佐藤理人 12年12月15日放送
力道山⑤「昭和の巌流島」
柔道王木村政彦は怒っていた。
全日本柔道選手権13年連続優勝、
木村の前に木村なく、木村の後に木村なし
と謳われた自分が力道山の引き立て役に甘んじている。
彼は朝日新聞に「真剣勝負なら負けない」と語った。
1954年12月22日、日本プロレス選手権。
通称「昭和の巌流島」と言われた戦いで、
二人は決着をつけることになった。
結果は力道山の完勝。
木村は気絶し、マットは血に染まった。
しかし当時の映像を見ると、
木村はどこか油断しているように見える。
それもそのはず。試合は事前の了解で
引き分けに終わる予定だったのだ。
互いに勝ち負けを繰り返して巡業を盛り上げ、
多額の収益をあげる、はずだった。
力道山はなぜ裏切ったのか。
プロレスは八百長だという噂を払拭し、
名実ともに頂点に立つためか。
それとも真剣勝負では敵わないと思ったのか。
真相は未だプロレス史最大の謎である。