小野麻利江 13年3月10日放送
出発のはなし3 武田百合子の日記
まだ知らない場所へと旅立つ瞬間は
一抹の不安も入り混じり。
心からワクワクしているのか、嬉しいのか、
実はよく分からない。
冒険の最初の一歩が達成されたあと
徐々にうれしく感じるというのが
本当に正直な、心のありように思える。
昭和44年。随筆家の武田百合子は、
夫・武田泰淳のロシア旅行に同行する。
「連れていってやるんだからな。
日記をつけるのだぞ」
夫にそう言われて
走り書きでつけ続けた日記は
『犬が星見た ロシア旅行』という一冊になり
出発の瞬間のあの独特の感情を
今も多くの読者に、呼び起させる。
百合子。面白いか? 嬉しいか?
横浜大桟橋で見送る知人たちの表情が
するすると離れて見えなくなったのち。
甲板から船の中に戻り、
ビールを飲みながら尋ねる夫に
百合子はこう答える。
面白くも嬉しくもまだない。
だんだん嬉しくなると思う。