佐藤延夫 15年5月2日放送
生みの親/斎藤義政
大正時代、フルーツパーラーを経営していた斎藤義政は、
秋冬用の新メニューを考えていた。
イチゴやスイカなど人気の果物がない秋は、客足が遠のくからだ。
まずは、ヨーロッパで見た「パンチ」という甘いカクテルに
フルーツをたっぷり飾ろうと考えた。
では名前はどうするか。
当時の風刺漫画は「ポンチ絵」と呼ばれており、
そこからネーミングを拝借し、フルーツポンチに決まった。
季節のフルーツで彩られた新メニューは、
当初の狙いから大きく外れ、
一年中愛される看板メニューになったことは言うまでもない。