大友美有紀 16年8月7日放送
世界で愛された日本人 トミー・ポルカ
安政7年、幕府は日米修好通商条約の批准のため、遣米使節を派遣。
その中に16歳のオランダ語通詞、立石斧次郎がいた。幼名を、為八という。
可愛らしい顔つきにちょんまげ、英語が堪能で、人なつこい性格。
アメリカ人船員から好かれ「トミー」と呼ばれていた。
ワシントンに到着すると、ご婦人方からも熱烈に歓迎された。
お忍びで使節団に参加した日本のプリンスだと噂されるほどだった。
通りがかった
人妻も娘も、思わず夢中で取り巻く
かわいい男、小さな男
その名はトミー、かしこいトミー、黄色いトミー、
日本からやってきたサムライ・トミー
明治2年、岩倉使節団の通訳として、12年ぶりにアメリカを訪れた
斧次郎は、自分の名前が歌われた「トミー・ポルカ」の存在を知る。
けれど、使節団は天皇の委任状をもっておらず、「トミー」も洋装で
訪れたため、前回のような歓迎は受けなかった。
世界で愛されるには、タイミングも必要だった。