小林慎一 16年9月18日放送
笑点を書いた人篇
登内明人は、小学校入学のお祝いに、
父親から落語全集をもらうと
暗記するほど読み込んだ。
高校生になると
ラジオ寄席を聞くだけには飽き足らなくなり
長野県飯田市から片道8時間半かけて新宿まで
寄席を聞きに行くようになる。
大学を卒業し、
デザイン会社に勤務しながら、
寄席通いを続けていたある時、
パンフレットに書いてある
寄席文字の素晴らしさに気づいた。
調べてみると橘右近という人が書いている。
昭和36年、
意を決して谷中にあった右近の家を訪ね
文字を書く師匠の姿をひたすら見る日々がはじまった。
登内の子供が1歳になった誕生祝いに師匠を呼ぶと、
喜んでやって来た。
帰り際に「おまえに、あげるよ」とポンと表札を渡される。
そこには、「橘左近」と書いてあった。
橘左近。
大喜利番組「笑点」の題字を書いたその人である。
満員御礼を願って、
太い文字で、余白いっぱいに、
そして右肩上がりに、一気に書く。
左近が意図したかどうかは分からないが
笑点の笑うという文字は、笑っているように見える。