大友美有紀 16年11月6日放送
「日本の灯台の父/R・H・ブラントン」灯台補給船
明治元年に来日したイギリスの灯台技師・ブラントンは、
灯台の設計・建築のほか日本に灯台管理の業務を伝える任務もあった。
日本に多数の灯台が建築されると、補給船の運行も開始する。
各灯台を巡回し点検と物資の運搬を行う船だ。
当時の日本には内陸の交通が完備しておらず、
補給船も一艘しかなく、各灯台には一年分の物資が必要だと考えた。
しかし日本の灯台頭(とうだいのかみ)
佐野常民(つねたみ)は半年分でいいと言う。
大量の物資が手元にあれば灯台保守員は
それを浪費する誘惑にかられることだろうというのであった。
しかし私は毎月の消費量の報告を提出させれば防げることであり
その抗議は子どもじみたものに思えた。
ブラントンは日本人が気がつく前に1年分の物資を船に積み込ませた。
後日、佐野は自分の無知からブラントンの仕事を遅らせたことを大いに詫びた。
ブラントンは佐野の精神を高貴であると誉め称えている。