大友美有紀 16年11月6日放送
「日本の灯台の父/R・H・ブラントン」伊藤博文
明治初期、日本の近代化のために多くの外国人が日本へやってきた。
彼らは「お雇い外国人」と呼ばれた。
その1人だったイギリス人灯台技師、
リチャード・ヘンリー・ブラントンは、
のちに日本の灯台の父と呼ばれるようになる。
彼が任期を終えて、帰国する際、伊藤博文は手紙を送った。
貴殿の才能と熟練と知識は、
貴殿の今後の経歴に
日本の政府につくされたと同様の成功を
もたらすと信じている。
傲慢な褒め言葉だが、ブラントンの業績が成功だったと、
はっきり伝えている。
彼は30の灯台を手がけ、帰国した。