藤本宗将 17年1月21日放送
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竹鶴政孝と風邪とリンゴジュース
日本におけるウイスキーの父、竹鶴政孝。
彼が北海道・余市で興したニッカウヰスキーは、
はじめ「大日本果汁株式会社」という名前だった。
ウイスキーづくりには長い年月がかかる。
その間のつなぎとしてリンゴジュースを販売し、
経営を支えようとしたのだ。
しかし高価な果汁100%リンゴジュースは
当時あまり売れなかった。
そこで彼はリンゴジュースの
高い栄養価を前面に押し出して宣伝。
風邪をひいたときの民間療法として、
ようやくリンゴジュースは普及していった。
当時、宣伝の一環として
ニッカから発行された一冊の本がある。
医師がリンゴの効能について記したものなのだが、
随所にジュースの広告が入っている。
商品を売るために健康本を出版する。
宣伝マンとしての竹鶴もなかなかのものだ。