厚焼玉子 18年4月21日放送

180421-04

春の死 柳生十兵衛

柳生十兵衛三巌(みつよし)は
天才といわれた剣の使い手だった。
13歳で徳川家光の小姓として江戸城に勤めたが
一説によると、20歳のとき
剣術の稽古で家光を容赦なく打ち据えたために怒りを買い
謹慎を命じられた。

それから12年後、
32歳の十兵衛は書院番として再び江戸城に勤務するが
それまで何をしていたのか、
本人の言い分と記録に矛盾もあり、謎が多い。

慶安3年3月21日。
すでにお城勤めを退職して柳生に引退していた43歳の十兵衛は
鷹狩りに出かけた先で原因不明の死を遂げる。
検死をしても村人を尋問しても死因は明らかにならず、
死んだ場所も記録によって違う。

柳生藩二代目藩主 柳生十兵衛三巌は
そのとき本当に死んだのだろうか。

十兵衛の命日は慶安3年3月21日、
西暦になおすと1650年4月21日ということになっている。

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