大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」尾崎紅葉
数え10歳で母親を亡くした、泉鏡花。
幼少期から、母が残した江戸後記の小説類、
草双紙(くさぞうし)を読んでいた。
そして長じて尾崎紅葉の小説に出会い、耽読した。
尾崎紅葉のように小説家になりたいと
志を決め、上京するのである。
1919年、明治23年、鏡花18歳のときのことだった。
しかし紅葉を訪ねる勇気はない。
知り合いを頼って、居候のような生活をし、
1年ほどは、東京のあちこちをさまよっていた。
万策尽き果てて、金沢に帰ろうとしたが、
せめて帰る前にひと目でも紅葉先生に会いたいと
牛込の尾崎宅を訪ねた。
玄関先で、鏡花は紅葉に挨拶をした。
先生の小説を読んで小説家になりたいと思って上京したのだが、
もうとてもやっていけないので、これから帰郷すると告げた。
紅葉は、そんなに小説家になりたいのなら
俺のところにおいてやると即座に答えたという。
なぜ、尾崎はそんなことを言ったのか。
鏡花の中になにか、ただならぬものを感じたのか。
ともあれ、鏡花はそのまま尾崎紅葉の内弟子となったのだ。