中村直史 09年12月06日放送
ジュール・ヴェルヌ
未来ニュースです。
世界のCO2排出量が産業革命以前のレベルに戻りました。
未来ニュースです。
貧困のために命を落とす子どもの数がゼロになりました。
未来ニュースです。
世界で最後のひとつとなっていた戦争がついに終わりました。
・・・そんな都合のいい未来なんて来るはずがないでしょ。
そう思った方に。
19世紀のSF作家、
ジュール・ヴェルヌが残した言葉を送ります。
人間が想像できることは、必ず人間が実現できる。
「林家彦六」
「笑いとは視点のずれである」
と言った人がいた。
なるほど
うまいことを言う。
そしてあの人のことを思い出した。
落語家、林家彦六(はやしや ひころく)。
生涯現役をモットーに
80を超えても
精力的に高座に上がった。
こころもとない語り口に
客も楽屋の仲間たちも引き込まれた。
ある日の彦六師匠。
「なんでモチはくさるんですかね」
という何気ない弟子の質問に
ボソリと答えた。
ばかやろお、早く食わねえからだ。
ほんとだ。
笑いとは視点のズレである。
「フルトヴェングラー」
ひとりひとり違う人の出す音が
重なって、
ひとつになって、
それってすごいと思わない?
オーケストラの素晴らしさを
わかってほしくて
熱く語ったら、
その相手はポカンとしていた。
感動とは人間の中にではなく、人と人の間にあるものだ。
20世紀の偉大なる指揮者
フルトヴェングラーの言葉を引き合いに出しても
その人はまだポカンとしていた。
しょうがないからオーケストラを
見に連れて行ったら、演奏後
きみの言ってたことはまだわからないけど、音楽が素敵なことはわかった。
とその人は言った。
あなたもコンサートホールに出かけてみませんか。
うまく言えないのが残念ですが、いいものですよ。
「アントニオ猪木」
燃える闘魂。
そんな形容詞をもつ
男のこと。
ビジネスで取り扱うものにも
アントニオ猪木らしさが貫かれている。
刺激的な辛さの調味料「タバスコ」。
じつは、猪木の会社が
輸入代理店を務めたことで
日本中に知れ渡った。
私をミスタータバスコと呼んでください。
そう言われてみれば。
頬に張り手をされながら
「ゲンキデスカー」
と問われているような味覚。
・・・と言えなくもない。
「フンデルトヴァッサー」
なにかを きらうことは
なにかを あいすることの
うらがえし
日本語で「百の水」 という 意味の名をもつ
オーストリアの芸術家
フンデルトヴァッサー
「ちょくせん」が だいきらいだった
なぜなら 彼が あいする自然
のなかに けっして存在しないものだから
直線は神への冒涜であり 不道徳である
じじつ
かれの描いた絵も つくった建物も
こどもがひいたような線に あふれ
いろんな いろたちが
おどっている
死ぬまで ずっと しぜんのいちぶで ありつづけた
フンデルトヴァッサーに
ありったけの敬意を表して
直線的ではない読み方
で
お送りしてみました。
「三遊亭圓朝」
ある時、
落語の国に住まわれる、
落語の神様がこう言った。
「このままでは落語が絶滅だ、
ちょっくら地上に行ってなんとかしてくるか」
そうして
明治の日本に降り立った一人の男。
落語家、三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)のことを思うと
そんな想像をしてしまう。
「芝浜」「死神」「牡丹燈籠」「四谷怪談」・・・
100年以上も
人をとりこにする
名作中の名作たち。
その多くを、即興でつくったなんて。
やはり人間わざとは思えない。
「林房雄」
もし、あなたのご主人が
あなたをほっぽらかしにして
魚釣りばかり行ってるとしたら。
そして、そんなご主人のことを
理解できずにいるとしたら。
小説家、林房雄(はやし ふさお)が残した
言葉をぜひ知ってほしいと思います。
釣り師は 心に傷があるから釣りに行く。
しかし、彼はそれを知らないでいる。
妻よ、
聞こえましたか。
来週末も行かせてください。
こんな色んな話題を収益と関係ないところで出せることに賞賛するよ。
そんな君が、五島に関する話をここまで続けることが説得力ある。
ギバッて色んな地元の人間が気づかない視点でふるさとを教えてあげてください。
ああ、そんな風に言われたらおそれ多いです。
ありがとうございます。
五島については、人に知らせる前に
もうちょっと自分自身の知識がないとダメやろって痛感してます。