蛭田瑞穂 10年04月11日放送
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち①
ゴダール、
トリュフォー、
エリック・ロメール。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちは、
もともとは映画の批評家だった。
伝統的な映画づくりを否定し、
今までにない映画の在り方を主張した。
そうして実際、そのとおりに映画を撮ったのだ。
「有言実行」とは、つまりこういうこと。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち②
フランスの映画批評誌「カイエ・デュ・シネマ」。
その初代編集長、アンドレ・バザン。
彼はその雑誌に、
映画への情熱にあふれる若者たちを集め、
自由に批評を書く場を与えた。
のちに、その若者たちの中から、
ゴダールやトリュフォーといった
映画の歴史を変える監督があらわれる。
アンドレ・バザン。
彼こそが「ヌーヴェル・ヴァーグの父」である。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち③
1954年、フランスの映画批評誌
「カイエ・デュ・シネマ」に、
1本の評論が掲載された。
題名は「フランス映画のある種の傾向」。
執筆したのは21歳の若者、
フランソワ・トリュフォー。
評論の中でトリュフォーは伝統的な映画手法を否定し、
監督の作家性を押し出す「作家主義の映画」を主張した。
これがフランス映画界に波紋を起こす。
波紋はやがて大きな波へと変わり、
世界の映画人を飲み込むことになる。
「ヌーヴェル・ヴァーグ」。
日本語で「新しい波」を意味する
映画運動はこうして始まった。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち④
処女作にはその作家のすべてがある。
映画監督フランソワ・トリュフォーの処女長編は
家族愛に恵まれない不幸な少年の物語。
両親に見捨てられ、孤独な少年時代を過ごした
トリュフォーの自伝的作品といわれる。
タイトルは“LES QUATRE CENTS COUPS”
邦題は、「大人は判ってくれない」。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑤
ジャン=リュック・ゴダールの
長編デビュー作「勝手にしやがれ」。
ゴダールはこの作品で、
さまざまな新しい試みをした。
脚本のない即興演出。
手持ちカメラによる大胆な街頭ロケ。
「ジャンプカット」と呼ばれる革新的な編集技法。
そして映画史に残る衝撃のラストシーン。
批評家アレクサンドル・アストリュックはこう語る。
それは爆弾のように炸裂した。
たった1本の映画で、
ゴダールは「明日の映画」を発明したのである。
「勝手にしやがれ」の封切りから今年でちょうど50年。
未だ古びて見えないのは、
フィルムに「明日」が映っているから。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑥
映画監督エリック・ロメールの
デビュー作「獅子座」。
その内容はというと。
事件はほとんど起こらない。
物語は淡々と進む。
興行的にも振るわなかった。
でも、それが彼のやり方。
ありきたりの手法を否定することで、
既存の映画に反抗した。
「獅子座」。
それはロメールが起こした、静かな革命だった。
ヌーヴェル・ヴァーグの作家たち⑦
今年1月、
89歳で亡くなった映画監督
エリック・ロメール。
彼の映画はタイトルだけで
瑞々しい映像が浮かんでくるようだ。
「海辺のポーリーヌ」
「緑の光線」
「春のソナタ」
「夏物語」
ロメールが天国で、次の映画を撮るとしたら、
どんなタイトルになるのだろう。