名雪祐平 10年07月10日放送


ハワード・カーター

世紀の発見といわれた
エジプト・ツタンカーメン王の墓。

考古学者ハワード・カーターの
30年におよぶ執念だった。

ついに、ついに。

ファラオのマスク、動物たち、像。
どこもかしこも黄金だった。

しかし、なかでも目を引いたものがあった。
王の棺にそっと置かれた、
ヤグルマソウのからからに乾いた花束。

 どの輝きよりも、
 その枯れた花のほうが美しいと、
 私は思いました。

 花が教えてくれたのです。
 3000年といっても、
 それはわずかな時間に過ぎないのだと…。


山田風太郎

いかに死ぬか。

作家・山田風太郎は、
『人間臨終図鑑』で、
古今東西923名人の臨終の様をまとめた。

死へ思い巡らし、
結論として愛した言葉は、

 いまわの際に言うべき一大事はなし。

1996年、風太郎は突然倒れ、
慌てて駆け寄った妻へのひと言は、

 死んだ。

実際に亡くなったのは、その5年後で、
愛した言葉どおり、
ひと言も残さず、
風のように世を去ったという。


ウィリアム・ランドルフ・ハースト

20世紀初めのアメリカに
君臨した新聞王、
ウィリアム・ランドルフ・ハースト。

戦争や殺人事件、スキャンダルな記事で
部数を伸ばし、
数十のマスコミを牛耳った。
その影響力は大統領さえ上回るといわれた。

倫理や道徳は、儲からない。
イエロージャーナリズムが富を生む。

ハーストの横暴ぶりは、
映画『市民ケーン』のモデルとなった。

幸か不幸か映画は傑作となり、
後世まで伝わることに。

ハースト家が背負う十字架として。


パトリシア・ハースト

1974年、アメリカ屈指の大富豪である
ハースト家の令嬢、
パトリシアが誘拐された。

過激派の犯行声明があり、
連日連夜、報道されるなか、
事件はあまりにも意外な展開に。

あらたに銀行襲撃事件が発生し、
犯人一味のなかにマシンガンをもった
パトリシア本人がいたのだ。

 私はこれ以上、
 ハースト家の一員として生きられない。
 私はここで戦う。

謎めいた言葉を残して
彼女は逃亡する。

追いかけてきたのは、
皮肉にもハースト家の祖父が造りあげた
イエロージャーナリズムだった。
祖父譲りの横暴さで、彼女は吐き捨てる。

 あなたたちジャーナリストのせいで
 刑務所に入ったのよ。

この事件は、もちろん映画になった。
ただ、幸か不幸か、祖父がモデルの
『市民ケーン』のような傑作ではないらしい。


ボブ・ウィーランド

歩いて、
アメリカ大陸を横断できるか。

 やろうと思えば何だってできるんだ。

そう覚悟した男には、両足がなかった。
ベトナム戦争で地雷を踏んだのだ。

腕で歩く。

それが、ボブ・ウィーランドのやり方。

1982年9月、ロサンゼルスを出発。
5000キロの挑戦は、

one step at a time
一歩ずつあせらないで。

そして3年8か月後、ついにワシントンへ。

ゴール地点はベトナムで戦死した
5万8000人の兵士の名前が刻まれた
記念碑の前であった。


山野忠彦

樹木を癒す人がいた。

 どこが痛いんだ。
 いま、治してやるからな。

樹木の医者、「樹医」。
山野忠彦

日本全国の
樹齢百年、千年の老木、巨木を
甦らせてきた。

忠彦は98歳で永眠したが、
彼が治療した樹は
あと百年、
あと千年、
生きてゆく。


三浦綾子

昭和39年、ある新聞社が
新聞小説を広く募集した。
賞金は当時としては破格の1000万円。

プロの作家の応募作もあるなか、
1等を射止めたのは、
北海道旭川で雑貨店を営む、
42歳の主婦だった。

女流作家・三浦綾子は
こうして衝撃的デビューを果たした。

受賞作『氷点』のなかで、こう記している。

 信頼し合ったことさえ、
 悲劇になることもある。

背後に、死の意味を孕む言葉。

それは三浦自身が経験した
戦争体験や長年の闘病生活から得た
達観であるかもしれない。

しかし、こんな言葉も残している。

 苦難の中にこそ、人生は豊かなのです。

人に勇気を与える文学を書く。
その決意で多くの本を出し、
大人気作家になっていったのだった。

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