三國菜恵 10年08月15日放送
あの人の8月15日。/高見順
1945年8月15日
プロレタリア作家、高見順は
電車に乗っていた。
彼はそこで、
終戦を信じない日本兵たちの声を聞く。
今は休戦のような声をしているが、敵をひきつけてガンと叩くに違いない。
高見は、ひそかやな溜息をついた。
すべてだまし合いだ。
政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。
軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます。
戦争がはぐくんだ
だましあいの心に気づき、彼はじっと眼を閉じた。
あの人の8月15日。/野坂昭如
1945年8月15日
あの「火垂るの墓」を書いた
野坂昭如は、14歳の少年だった。
玉音放送を聴いたとき、彼はこう思ったという。
死ななくていい、生きて行ける、
本当にホッとした。
この軽い言葉がいちばんふさわしい。
誰もがみんな、
敗けたかなしみに打ちひしがれている訳ではなかったのだ。
あの人の8月15日。/永井荷風
昭和を代表する小説家、永井荷風は
1945年8月15日
玉音放送の直前まで、
谷崎潤一郎と過ごしていた。
二人は戦時中も
絶やすことなく日記を書き、
新たな原稿を書いては、互いに読み合っていた。
そんな荷風の8月15日の日記。
終戦の記録は、たった一行
枠の外にしるされているだけだった。
正午戦争停止
その言葉のほかには
天気と、食べ物と、友人の話があるばかり。
普通の幸せがいちばんなんだ。
彼は戦火の中で、
そう思い続けていたのかもしれない。