小宮由美子 10年08月28日放送
詩人・山之口獏の生活は貧しかった。
戦後、貧乏を語る専門家のようにマスコミにひっぱりだされたことも
手伝って、生活の苦労は一躍有名になってしまう。
妻である静江は、新聞記者やアナウンサーから
不躾な質問を浴びせられた。
「逃げ出したいと思われたことは何度かあったでしょうね?」
それに対して、
静江は詩人の妻としての矜持に溢れた返答をしている。
「貧乏はしましたけれど、
わたくしたちの生活にすさんだものはありませんでした。
ともかく詩がありましたから…」
似た者夫婦という言葉があるが、
正反対の夫婦もある。
中川一政は、
女房となった暢子を画家らしい視点から観察した。
「どうも自分の女房は人が好きらしい。
私の家へ客が来る。客がくれば食事をする。
面倒くさいだろうと思うのだが、長年の間、
そういうことで嫌な顔をしたことが一度もなかった」
麦や胡瓜は食べるが、その生態には興味がない。
鳥や樹木を愛でるが、その名前にも興味がない。
黙々と知識を得るより、人とのかかわりによって生き生きとする妻。
「私は考えた。私の女房は人生派である。
私は自然派であると。
その極端が夫婦になったのだと」
「さみしい家庭」に育ち、人を怖れていたと語る一政。
暢子への視線には、自分にないものを持つ妻への
信頼と憧れとを感じることができる。
「夫婦の愛というのは、それぞれの夫婦によって
築いていくものが違います」
この一文からはじまる「愛について」という随筆の書き手、
節子・クロソフスカ・ド・ローラ。
2001年にこの世を去った画家・バルテュスと
彼女の場合、それは<仕事>だった。
「私はバルテュスという人間と、彼が作る作品を愛しました。
美しい作品を生むためには何でも受け入れることができる、という
気持ちがあったことが、長く続く基盤になったのです」
最期の別れのとき、
節子は昏睡状態にある夫・バルテュスの耳元にそっとささやいた。
「今まで何から何まで本当にありがとうございました」
「再婚はいたしませんよ」
そう付け加えると、バルテュスの口元が、微笑んだという。
西武子は、夫を、硫黄島の戦いで亡くした。
夫の名は、バロン西こと、西竹一。
男爵家に生まれ、莫大な財力と華やかな容姿、
人を魅了してやまない独特の魅力に恵まれた男。
その竹一に嫁いだのが、名家に生まれ、美貌の人だった武子。
のちに竹一はロサンゼルスオリンピックの馬術競技で金メダルを獲得し
さらに輝かしい栄華に包まれるも、太平洋戦争、勃発。
二人もまた、時代の渦にのみこまれていく。
生前の栄光と、過酷な戦場であった硫黄島での戦死という
壮絶なコントラストによって、死後も注目を集める竹一。
周囲が特別な視線を遺族に浴びせ続ける中で、
女手ひとつ、のこされた一男二女を育てあげた武子は、
後年、次のような文章を残している。
「戦後、花やをやり、デパートでもんぺをはいて、
売り場に立ったこともあります。もとの知人が私を見て、
『気の毒で声をかけられなかった』と、あとで聞きましたが、
残念でした。私にとっては当たり前のことでしたのに」
西武子は、昭和53年に亡くなった。73歳だった。
年を重ねたときの彼女は落ち着いた気品があり、
若いときよりさらに美しかったという。
戦「おまえなんか、酒田へ帰れ!」
と、押し入れからトランクを引っぱり出す夫・弘(ひろし)。
「ええ、帰ります!」と、トランクに物を詰め始める妻・きみ子。
「まあ、まあ」と、そこに同居の父が割って入って事なきを得る。
吉野家で繰り返された、夫婦喧嘩の一場面。
互いに気持ちをわかっていながら、時に烈しくぶつかり合う。
ぶつかりながら、長い年月をかけて信頼を築く。
そんな、妻・きみ子との夫婦生活の中から、詩は生まれた。
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい…
結婚式で、新しい門出を迎えたふたりに贈られることの多い『祝婚歌』。
夫である、詩人の吉野弘の作による。
「あなたの直感を信じればいいのよ」
「僕の直感は、僕のことを信じていないんだ」
夫婦そろって、世界no.1プロ・テニスプレーヤーで
あったことで知られる、アンドレ・アガシとグラフの会話。
ふたりの考え方は、まったく違う。
「そこが、結婚生活がうまくいっている秘訣なんだ」とアガシは言う。
彼が長年に渡ってテニス界のトップに君臨し続けることが
できたのは、同業者であり、考え方の違う、この妻の存在が
大きかったといわれている。
「あるとき、檀のことをどのくらいわかっていたと思うかと質問された。
それに対して、私は傲慢にも、檀の気持ちのかなりの部分は
わかっていたと思うと答えてしまった。たぶん10のうち7か8は、と。
だが、本当は何もわかっていなかった」
檀ヨソ子が、夫である作家・檀一雄の代表作『火宅の人』を通読したのは、
檀の17回忌を過ぎた後だった。
愛人との暮らしを綴った私小説ともいえるその内容は、
妻であるヨソ子にとっては堪え難いものだった。
ヨソ子はその苦悩を、インタビューを受けるかたちで、
『檀』という一冊の本に記す。
過ぎ去った日々の記憶に傷つき、
夫の死後に知る、夫婦の距離に茫然とするヨソ子の心情が
率直に書かれた本の中には、
だが時に、夫と妻の間だけで交わされた、甘い思い出が滲む。
一年に渡るインタビューによって書かれたというその本は、
ヨソ子のこんな言葉によって締めくくられている。
「あなたにとって私とは何だったのか。
私にとってあなたはすべてであったけれど。
だが、それも、答えは必要としない」