三國菜恵 10年09月12日放送
坂口弘は
死刑を言い渡されて7年が過ぎようとしている。
彼は、拘留所のなかでペンを執り
短歌を書きつづけた。
そしてそれを、新聞の寄稿欄に投稿していた。
定期的に届く歌に
多くの人がハッと心を動かされ、
気づけば、彼は歌壇の「常連」になっていた。
紙を滑る筆ペンの音の心地よさよ 房(ぼう)にも秋はひそやかに来ぬ
彼の短歌は一冊の本になって
壁の外で、ささやかな脚光を浴びている。
イギリスの舞台演出家、ピーター・ブルック。
彼は、なにもない空間に可能性を見出すことによって
伝統の壁を軽々と超えた。
どこでもいい、なにもない空間―
それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。
ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、
もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、
これだけで足りるはずだ。
いままで誰も見たことがなかったピーター・ブルックの演劇を
言い表す言葉はどこにもなかった、
それはいま、ふたつの言葉で表現されている。
「古典的、かつ、前衛的」
自らつくった心の壁が、
自らを閉じ込めてしまうこともある。
ミュージシャン・中村一義にもそんな時期があった。
自分の部屋をスタジオにして閉じこもり
壁のように閉ざしたドアの向こうで
ひとり聴きつづけた心の声。
自分の心に光をあてたその歌に救われた若者は多い。