佐藤延夫 11年02月05日放送
大正生まれの俳人、石田波郷は、
病室の窓から外を眺めていた。
昭和42年のことだ。
戦争で体を悪くしたあとは、
病気と付き合いながら数々の句を詠んだ。
春雪三日 祭の如く 過ぎにけり
(しゅんせつみっか まつりのごとく すぎにけり)
関東地方では、真冬よりも春先に雪が降る。
水分を多く含んだ牡丹雪で、
地面に触れた途端、はかなく消えてしまう。
残るのは、祭りのあとのような寂しさだけで。
立春を過ぎても、春はまだ遠い。
岐阜の郡上八幡(ぐじょうはちまん)は、
長良川と吉田川、小駄良川(こだらがわ)の
3つの川に挟まれた小さな城下町だ。
ここには宗祇水(そうぎすい)という湧水の名所があり、
全国名水百選の第一番に選ばれている。
大正生まれの俳人、宇佐美魚目は
父を亡くしたあと郡上八幡を訪れ、六つの句を詠んだ。
なお寒く 水菜浮きをり 宗祇(そうぎ)の井
奥美濃の早春。
水と風、心の中も、まだ寒々としている。
長生殿(ちょうせいでん)、福徳、いがら饅頭というのは
金沢の代表的な和菓子であり、
明治時代の俳人、加藤楸邨もこの菓子を愛した。
母の故郷、金沢に住み始めたのは16歳のとき。
雪の降りしきる中、母が食べさせてくれた
いがら饅頭の味は、生涯忘れなかったそうだ。
いがら饅頭 黄なり雪ふる 母の国
(いがらまんじゅう きなりゆきふる ははのくに)
楸邨が詠む金沢の冬は、包まれるように深く優しい。
愛知県の蒲郡は、文人たちに愛された土地だ。
高浜虚子も志賀直哉も、
穏やかな三河の海が好きだった。
明治生まれの俳人、松本たかしは
立春を過ぎたばかりのある日、
宿泊したホテルの庭で小さな発見をした。
暖房の 外の日向の 梅早し
ぽかぽかした陽射しの中、
もう梅の花が咲いている。
三河湾にぽつんと浮かぶ竹島と
遠くにかすむ知多半島、渥美半島を眺めたら、
また言葉が生まれてきた。
夕霞む 桃色の海 紺の島
色とりどりの風景に染まる蒲郡には、
ひと足早い春がやってくるのかもしれない。
漂泊の旅人と呼ばれる俳人、臼田亜浪。
自然とのやりとりの中で
独自の世界をつくりあげた。
信州小諸に生まれた亜浪は
折に触れ故郷に戻り、句を詠んだ。
雪散るや 千曲の川音(かわと) 立ち来たり
目を閉じると、木々に積もった雪が崩れ、
千曲川の流れが耳に飛び込んでくる。
それが幼き日の思い出の音だった。
あなたの故郷の音は、何ですか?
俳人、飯田蛇笏の四男として生まれた飯田龍太は、
父親のように俳句の世界に入った。
父親のように山梨を愛し、
ふるさとの情景を言葉にした。
雪の日暮れは いくたびも読む 文(ふみ)のごとし
いとおしい時間は、
しんしんと降る雪のように
ゆっくりと流れていく。
伊豆の風景。
山葵田(わさびだ)の清らかな水。
青く光る滝壷。
つづら折りの峠道。
そしてシダ植物のひとつ、ハイコモチシダは
別名ジョウレンシダとも呼ばれ、
本州では伊豆、浄蓮の滝付近で自生が確認されている。
明治生まれの俳人、秋元不死男は
この場所がたいそう気に入ったようで
何度も訪れ、多くの句を残している。
これは昭和49年2月11日の作。
葛折の 東風の峠に 影日向
(つづらおりの こちのとうげに かげひなた)
秋元不死男は語る。
俳句とは、ものに執着し、もので終わる、沈黙の文芸である。
そのとおり、早春の伊豆天城には、ものたちの優しい光が溢れている。