厚焼玉子(事務局・中山佐知子)

厚焼玉子 18年4月21日放送

180421-05

春の死 藤原保則

出羽国の蝦夷が反乱を起こしたのは元慶2年3月15日、
西暦878年の4月21日のことだった。
干ばつ、飢饉、厳しい取り立てが重なったのが原因と思われる。

この地方を治めていた官僚はすでに逃げ
朝廷が派遣した軍隊も大敗を喫した。

このとき、討伐の命を受けたのが藤原保則だった。
保則は軍を指揮したことはなかったが
どこへ行っても領民に慕われるという評判があった。

出和国へ到着した保則は
軍事的措置を講じる一方で反乱軍にも食料を与え、
降伏したものについてはこれを許した。
討伐ではなく、良い政治をすることで融和をはかったのだ。

藤原保則は寛平(かんぴょう)7年4月21日、
死に臨んで比叡山に入り、
念仏を唱えながら往生したといわれる。

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厚焼玉子 18年4月14日放送

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タイタニック ランチ

スープはコンソメまたは鶏と葱のスープ。
ヒラメのソテー、アスパラガス入りの炒り卵。
フライドチキンのグレービー添え。
骨付きマトンのグリル。
ビュッフェにはローストビーフ、鶏のガランティーヌ、
燻製のサーディン、カンバーランドハム、子牛とハムのパイ、
ボローニャソーセージ、レタスにトマトなどの野菜。
それから8種類のチーズ。

これは2012年のオークションで落札された
タイタニック号のファーストクラスのランチメニュー。
日付けは1912年4月14日。

この日タイタニック号は
付近を航行する船からたびたび無線を受け取り
流氷群の危険を警告されていた。

そしてその夜、
タイタニック号はついに氷山と衝突する。

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厚焼玉子 18年4月14日放送

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タイタニック バイオリン

1912年4月14日
沈没するタイタニックで
最後まで演奏をつづけた楽団のバンドマスターは33歳だった。
その遺体は彼が最後まで弾いていたバイオリンとともに発見され、
イングランドのふるさとに埋葬された。

バイオリンには銀のプレートがついており、
文字が刻まれていた。
「ウォレスへ 婚約の記念に マリアより」

マリアは一生結婚せずに1939年に亡くなった。

1912年の今夜、
タイタニックは氷山に衝突する。

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厚焼玉子 18年4月14日放送

180414-03

タイタニック 絵画

タイタニック号の処女航海のチケットNo.112050は
タイタニックを設計したトーマス・アンドリュースのチケットだった。
アンドリュースは出航前に妻に手紙を書き
「タイタニックはほぼ完璧な船だ。 明日無事に出港すれば
 我々の造船所の名はますます高まるだろう」と伝えている。

4月14日の夜、
氷山に衝突したタイタニックの損傷を調べたアンドリュースは
1時間乃至1時間半で沈むことを予告し
航海士たちに救命ボートの用意を命じた。

アンドリュースが最後に目撃されたのは喫煙室だった。
彼は救命胴衣もつけずに暖炉の上の絵画を見つめていたという。
絵画のタイトルは「The Apporoach To Plymouth Harbour」
「新しい世界の接近」だった。

1912年の今夜、
タイタニックは氷山に衝突する。

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厚焼玉子 18年4月14日放送

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タイタニック ホイッスル

彼らは転覆して上下が逆さまになった救命ボートの上で
一晩中沈まないようにバランスを取り続けていた。
体力の限界が来ていた。
明けがたになって救助の船が見えたが、
6km先に停泊している救助船が自分たちを発見するまで
生きていられるかどうか自信がなかった。

しかし、夜がすっかり明けてみると
700mの距離に仲間のボートがいた。
おーい
声をかけたが届かない。
そのときひとりの航海士がポケットからホイッスルを取り出して
空気を裂くような音で鳴らした。

救命ボート4号と12号が近づいてきた。
ホイッスルのひと吹きで
彼らはタイタニック生存者の仲間入りをした。

1912年の今夜、
タイタニックは氷山に衝突する。

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厚焼玉子 18年4月14日放送

180414-05

タイタニック バクテリア

3,650メートルの深海に沈むタイタニックが発見されたのは
1985年のことだった。
タイタニック国際保護条約は
タイタニックに残されている遺品の劣化を防ぎ、
違法な回収行為からタイタニックを守る内容になっているが、
それでも売ることを目的に遺品を回収する人々は
後を絶たない。

さらにタイタニックにはもうひとつの敵がいる。
それは鉄を食べるバクテリア。
5万トンのタイタニックを餌にバクテリアは増え続けており
タイタニックはやがてバクテリアのせいで
鉄サビのカタマリになってしまうと予想されている。

1912年の今夜、
タイタニックは氷山に衝突する。

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厚焼玉子 17年12月9日放送

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まーさ
菊 長寿

1年365日、誕生日の花というのがあって、
12月9日、今日の誕生日の花のひとつが菊だった。

秋の花だと思っていたが、
確かに日だまりにはまだ菊が咲いている。
忘れられたころまで花を咲かせているので
長寿の象徴になったのだろうか。
江戸時代までは、菊の長寿にあやかろうと
その花びらを浮かべた酒を酌み交わす風習が
あったそうだ。

菊の咲きはじめは秋のはじまり。
冬が始まってもまだ名残の菊がある。
長く咲いてくれてありがとう。

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厚焼玉子 17年12月9日放送

171209-02
たけぽ
菊 小林一茶

1年365日の誕生日の花というのがある。
菊は今日の誕生日の花のひとつだ。

菊は陽当たりを好むが
野生の野菊も例外ではない。

たとえ山の中だとしても
頭上に木の枝などが密生していない
明るい場所で咲く。

小林一茶の句がその様子をとらえている。

 足元に 日の落ちかかる 野菊かな

野菊が人目につきやすいのは
お日さまのスポットライトを
いつも浴びているからだ。

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厚焼玉子 17年12月9日放送

171209-03
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菊 正岡子規

1年365日の誕生日の花というのがある。
菊は今日の誕生日の花のひとつだ。

正岡子規は酒に弱かったが酒好きだった。
学生時代の適量は五勺、一合の半分。
あるとき一合飲んだら酔いつぶれ
翌日の試験の結果がさんざんだったという逸話もある。

そんな子規が菊を詠んだ句がある。

 酒買うて 酒屋の菊を もらひけり  

夭折した正岡子規に
長寿を象徴する菊の花は寂しい。

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厚焼玉子 17年12月9日放送

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菊 夏目漱石

1年365日の誕生日の花というのがある。
菊は今日の誕生日の花のひとつだ。

 ある程の 菊投げ入れよ 棺(かん)の中

夏目漱石がこんな句を捧げて早すぎる死を惜しんだ
歌人大塚楠緒子は
歌を詠み、小説を書き、語学にも堪能、
絵も描けばピアノも弾くという才色兼備の人だった。

漱石は入院中にその訃報をきき
「菊投げ入れよ」の歌を詠んだ。

そして1916年の今日、夏目漱石は亡くなっている。

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