遺言の日 カール・マルクス
カール・マルクスは家政婦に遺言を求められたときに
こう言った。
出て行ってくれ!
最後の言葉なんてものは、
充分に言い足りなかったバカ者達のためにあるのだ。
皮肉なことに、この言葉が
いまではマルクスの最後の言葉として伝えられている。
4月15日は遺言の日
遺言の日 カール・マルクス
カール・マルクスは家政婦に遺言を求められたときに
こう言った。
出て行ってくれ!
最後の言葉なんてものは、
充分に言い足りなかったバカ者達のためにあるのだ。
皮肉なことに、この言葉が
いまではマルクスの最後の言葉として伝えられている。
4月15日は遺言の日
遺言の日 ガンディ
束縛があるからこそ、
私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、
私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、
私は走れるのだ。
涙があるからこそ、
私は前に進めるのだ。
これはマハトマ・ガンディが
暗殺される3か月前に書いた詩だ。
ガンディは胸に3発の銃弾を打ち込まれたとき
暗殺者を許すという意味のジェスチャーをしたと伝えられている。
4月15日は遺言の日
yamada*
春の妖精 二輪草
春の妖精と呼ばれる草花がある。
英語ではspring ephemeral、春の短い命。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
その仲間の一つ、二輪草は背丈20センチ。
ひとつの株から2本の茎を伸ばして
小さな白い花を二つ咲かせるから二輪草。
この花には一輪草という仲間もいて
北原白秋はこんな詩を書いている。
真実さびしき花ゆえに
一輪草とは申すなり
一輪咲いたが一輪草、二輪咲くのが二輪草
とはいえ、早春の落葉樹の森へ行くと
一輪草も二輪草も
命の短さを知るかのように
何本も何十本も、ときには何百本も寄り添って
いたわり合って咲いている。
Oryzias
春の妖精 カタクリ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
その仲間で一番知られているのは
カタクリかもしれない。
日本の各地に群落があり
季節になると花の便りがニュースになる。
江戸時代の探検家松浦武四郎は
北海道の食用植物として
「山慈姑」という名前を挙げ
カタクリとルビを振っている。
花が咲くまでに8年もかかるカタクリは
その貴重なデンプンで人々を養っていた。
biscorogus
春の妖精 エゾエンゴサク
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
エゾエンゴサクもその仲間で、
森に背の高い草が生える前に
10センチかそこらの小さな茎の先端に
2センチほどの花をつける。
その花がお天気によって
赤紫に見えたり青紫に見えたりする
エンゴサクは花も葉も根も食べられるが
環境を保護する人たちから
せめて根っこは残しておいて、というお願いを
ときどき見かける。
確かに、妖精たちが消えた春はあまりにも寂しい。
bastus917
春の妖精 アズマイチゲ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
にんじんは 明日蒔けばよし 帰らむよ
アズマイチゲの花も閉ざしぬ
アララギ派の歌人土屋文明(つちやぶんめい)の歌は
アズマイチゲの特徴を歌っている。
アズマイチゲが花を開くのは天気のいい昼間だけ。
曇りの日も雨の日も、つぼんでいるし、
日暮れにはさっさと花を閉じてしまう。
春の晴天の日しか咲かないアズマイチゲ。
そのせいか、地方によっては
花を摘むと雨が降る雨降り花と呼んで
子供が摘まないように呼びかけているそうだ。
春のはかない命に人もやさしい。
titanium22
春の妖精 バイモ
春の妖精と呼ばれる草花がある。
その名の通り、春まだ浅い野山に咲き、
初夏の日差しを浴びる前に姿を消す。
母の貝と書いてバイモ。
ほっそりした茎に百合に似たうつむきかげんの花が咲く。
中国原産で、日本には江戸時代に渡来したと言われているが
平安時代の辞書「和名抄」にすでに名前が出ているから
実はもっと古いのかもしれない。
万葉集の防人の歌にも「母という花」が出てくる。
時々の花は咲けども何すれそ 母とふ花の咲き出来ずけむ
(ときどきの 花はさけども 何すれぞ 母とふ花の 咲きでこずけむ)
母という名の花が咲いていたら一緒に連れて行きたい。
そんな気持ちが込められた、ちょっと切ない歌。
39kochi
七草その1 貝原好古
1月7日。七草の日。
七草は日本の田畑に生える野草だが
大根が「すずしろ」、はこべは「はこべら」など
みやびな名前が覚えにくい。
これを覚えやすい順番で読み上げると
芹、なづな、おぎょう、はこべら、ホトケノザ
すずな、すずしろ。
さらに五七五のリズムをつけ、
短歌として読むと、こうなる。
芹、なづな、おぎょう、はこべら、ホトケノザ
すずな、すずしろ、これぞ七草。
これは貝原好古が編纂した江戸時代の歳時記に
載っているそうだが、
なるほど、確かに覚えやすい。
七草その2 宇多天皇
1月7日。七草の日。
いまでは漢字で七つの草と書くが
昔は七つの種類と書いて「ななくさ」だった。
そして、平安時代はキビや粟、胡麻や小豆など
もっぱら穀物が使われていた。
この七種粥を宮中に取り入れたのは
平安中期の帝、宇多天皇で、
これと同時に五月五日のチマキ、七月七日の素麺なども
宮中の行事食としてお定めになった。
7種類の穀物の七草粥。
年の初めの行事でお疲れの天皇を
おなぐさめしただろうか。
Yakinik
七草その3 ナヅナ売り
1月7日。七草の日。
その1日前の1月6日、
江戸の町にはナヅナ売りの声が聞こえた。
ナヅナはぺんぺん草のことで、
そのへんに生えている野草を取って売るのだから
値段も安く、
ナヅナを売るのは老人や子供のアルバイトだった。
柳多留という江戸時代の川柳の本には
親切にもナヅナ売りの年齢を教えてくれる句が見える。
ナヅナ売り 六十以上 十五以下
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