なんとシンプルで心地よさそうな本だと思いました。
岩崎俊一さんの「幸福を見つめるコピー」
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「幸福を見つめるコピー」
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FM栃木(ラジオベリー)の日曜の夜22時からの番組
「柴草玲のイヌラジ」で
コピーライターが書くコーナーができました。
名付けて「コピーライターのひだりポケット」
ポケット社は、この原稿を執筆するチームです。
いまのところ、
社長の上田浩和、会長小松洋支巨匠、取締役細川美和子、
この三人で構成されています。
これにゲストを毎月加えていきます。
番組は東京では聴くことができませんが
番組ブログをつくって
原稿と音声を掲載します。
ポケット社をよろしくお願いします。
ポケット社発足を記念して、
社長の肖像写真を掲載しました。
秋の色1 金色の小さき鳥
11月はどんな色、と、訊かれたら
なんと答えればいいだろう。
庭の花はほとんど枯れた。
今年は山の紅葉を見ることもなかった。
でも…
ああ、そうだ、と与謝野晶子は思ったに違いない。
金色の ちひさき鳥の かたちして
銀杏散るなり 夕日の岡に
大空に両手を広げたイチョウから
金色に輝く鳥が舞い降りて来る。
なんと華やかな秋の色だろう。
まだ間に合う。
冬の扉が開く前に
すぐそばにある秋を見に行こう。
秋の色2 石鹸の泡つぶ
秋になって
草が色づくことを草紅葉(くさもみじ)という。
ヨモギ、エノコログサ、チガヤ、メヒシバ
青々と繁っていたときは雑草とひと言で片づけていたのに
秋の色に染まったとたん
思わず足を止めて、名前を知りたくなる。
そんななかに
ひとり秋の色にも染まらず花をつけている草を
北原白秋は見つけた。
秋の草 白き石鹸(しゃぼん)の泡つぶの けはひ幽(かす)かに 花つけてけり
赤や黄色のなかに
消え入りそうな白い花を咲かせる草は
どんな名前を持っているのか知りたい。
秋の色3 さびしき青
同じ景色のなかで
同じ季節を過ごしているのに
私は本当にあの人と同じものを見ているのだろうか。
あの人と寄り添っているのだろうか。
ふとそんなことを考えて寂しくなってしまうのも
冷たく乾いた秋風のせい。
わが妻よ わがさびしさは青のいろ 君がもてるは 黄朽葉(きくちば)ならむ
若山牧水のさびしい心は青の色
そして妻は枯れた落ち葉の色。
冬の寒さがやってくる前に
すれ違った心と心をもう一度近づけて
あたためておきましょう。
秋の色4 野菊のうた
露が凍って霜のようになったものを「露霜」という。
露霜にあたると花も葉も色あせてしまうけれど
それもまた美しいと思う心が日本人にはあった。
伊藤左千夫が「野菊の墓」のなかで
野菊にたとえた民子は
なにもかもあきらめて心を石のようにして
嫁に行ってしまうけれど
その嫁入り先での暮らしぶりについて
左千夫は何も書いていない。
ただ民子が亡くなった後の
みんなが後悔するさまを描くことで
民子が弱っていく様子が想像できるようになっている。
伊藤左千夫が歌に詠む野菊はかわいそうだ。
秋草の いづれはあれど 露霜に 痩せし野菊の 花をあはれむ
露霜にあたって
花の色が褪せ、葉が茶色になっても
野菊は辛抱強く立っている。
枯れた枝の先に花を残していることもある。
忘れないで、という野菊の声が聞こえる。
秋の色5 白壁の柿
緑の竹林、白い壁、赤い柿の実
会津八一が絵のような秋の風景に出会ったのは
平城京の西のはずれ、秋篠寺のあたり。
夏におとずれた奈良を
どうしてももう一度見たくなって
病気の躯をおして出かけた。
奈良のお寺の仏さまはいずれも古い友人のようなもの
病気の躯でも慈悲深く迎えてくださるだろう…
そんな気持で出かけた八一が見つけたのが
命が照り輝くような柿の実の色。
まばらなる 竹のかなたのしろかべに しだれてあかき かきの實のかず
その秋の色はずしりと重い。
秋の色6 白い芒
島木赤彦は柿の実の赤い色が好きだった。
赤彦ではなく柿人(かきびと)という名前を使ったこともあったし
その住まいは柿の陰と書いて「柿陰(しいん)山房」と名付けていた。
けれども、その庭に柿の木はない。
芒(すすき)の穂 白き水噴くと見るまでに 夕日に光り 竝(なら)びたるかも
この芒の穂の上に垂れ下がる柿の色は
赤彦の心のなかだけにある。
秋の色7 燃え上がる公孫樹
もしもイチョウの木がなかったら
秋はどんなにか寂しいだろう。
でも野生のイチョウは日本にはいない。
仏教とともに中国から持ち込まれ
人の手で植えられて広まったのだ。
イチョウの生命力はたくましい。
2億年も昔から地球に存在しつづけているイチョウは
恐竜とともに滅びることもなく生きながらえ
いまでは世界中に子孫を増やしている。
その寿命も2000年と気が遠くなるほど長い。
病を得た中村憲吉にとって
そんなイチョウはあまりにもまぶし過ぎた。
燃えあがる 公孫樹(いちょう)落葉の金色に おそれて足を 踏み入れずけり
けれども
45歳で亡くなるまでに3000首を超える美しい歌を詠んだ
中村憲吉の生涯もまた
金色に輝いているのではないだろうか。
ベベコンビッチは五島の言葉でうたうバンドである。
自己紹介の文面によると
「ポジティブバカなGOTO−POPをオラブ〜バンド!! 」
だそうだ。
「オラブー」という五島語は「わめく」の意味だ。
漢字で書くと「哭ぶ」である。慟哭の「哭」である。
早い話が騒ぎわめくのだろうと想像されるが
ただうるさくやかましいだけではない。
悲しみも漂うのである。
話は長くなるが、万葉集の1809に
菟原娘子(うなひをとめ)の伝説が記載されている。
ふたりの男に求婚された娘が
選ぶに選べず死んでしまうのだが、それを知った男は
「仰天 於良妣」(天を仰ぎおらび)
つまり天を仰いで泣き叫ぶのが「おらぶ」なのだ。
方言には古語が多い。そして古語は表現力が豊かだ。
「オラブーバンド」の「オラブー」も古語である。
万葉の時代には表現力豊かな標準の言葉であったものが
方言と呼ばれるのは、
古い言葉が地方にしか残っていないからだ。
方言に較べるといま標準語と称するものは
なんと表現力の貧困なことだろう。
さて、ここで言わんとするのはそういうことではない。
ベベンコビッチオーケストラ12月のライブのお知らせである。
12月27日 日取りだけ決まっている。時間場所未定。
12月30日 時間も場所も未定。
いかにも五島らしくおおらかである。
たぶん正月に帰省した中村直史が
レポートを書いてくれるだろう。
ベベコンビッチオーケストラブログ
http://blog.goo.ne.jp/bebencobicci
ワーズワースの家
湖の詩人ワーズワースが生まれたのは
イギリスの湖水地方、
川や森に囲まれたコッカマスの町。
その目抜き通りに面した家を見学に行くと
なんだかいい匂い。
キッチンでミートパイを焼いている最中です。
庭では野菜を収穫しています。
お父さんの書斎や客間の道具に
手を触れることはできませんが
子供部屋の家具やおもちゃはご自由にどうぞ。
ただ家を眺めるだけでなく
当時の暮らしぶりも見ることができる。
ワーズワースの家はまだ生きて呼吸しています。
ワーズワースの落書き
湖の詩人ワーズワースは8歳で母親に死に別れます。
裕福な法律家だった父は
幼いワーズワースを湖水地方中部の村
ホークスヘッドのグラマースクールに送りました。
9歳の少年が下宿生活をしながら
学校に通ったのです。
その学校は小さかったけれど
16世紀に創立した伝統ある学び舎でした。
白い壁に木の床、細長い木の机に
椅子は背もたれのない木のベンチ。
机のひとつには
ワーズワースの名前が刻まれていました。
少年ワーズワースが
小刀で刻んだいたずら書きです。
ワーズワースとアンおばさん
湖の詩人ワーズワースが
母の死をきっかけに
ホークスヘッドで学校生活を送っていたころ
その下宿先のおかみさんにアンおばさんと呼ばれる人がいました。
アンおばさんは孤独な少年に愛情を注ぎ
少年も母のようにアンおばさんを慕いました。
ワーズワースが大学生になった夏休み
なつかしいアンおばさんに会うために
ホークスヘッドを訪れたときの詩があります。
ヒースの野を越え
牧場の丘からウィダミア湖へ駆け下り
大声で渡し船を呼んで湖を渡ると
また丘を駆け登ってホークスヘッドへ向う…
その飛ぶような足取りとはやる心を
その詩はうたっています。
丘から見える湖は青く輝き
その湖の向こうになつかしいおばさんがいる。
ワーズワースがその詩のなかで
アンおばさんを表現した言葉「kind and motherly」は
湖水地方の風景そのものでした。
ワーズワースのクリスマス休暇
13歳のワーズワースは
クリスマス休暇で家に帰るために
迎えの馬車を待っていました。
待ち切れず、原っぱに駆け出し岩山に登り
吹きさらしの風のなかで
草の上にしゃがみこんで馬車が来る道を眺めていました。
それほど待ちかねたクリスマス休暇の最中に
ワーズワースの父は亡くなり
馬車を待っていたときの風の声、森や水のざわめきは
ワーズワースの心の中に暗く沈みます。
その風景は一生ワーズワースにつきまとい
常に警告を発するブレーキの役割を果たしました。
ワーズワースの散歩
大学から湖水地方を離れていたワーズワースが
再び湖のそばに戻って来たのは1799年のことでした。
グラスミア湖のほとりの
もとは宿屋だったというダヴ・コテージを借りて
妹のドロシーと一緒に暮らしはじめます。
家は湖に面し、小さな果樹園と庭がありました。
バラとスイカズラが白い壁を彩っていました。
この頃の生活の中心は散歩。
ふたりは昼でも夜でもかまわず歩きまわりました。
5キロ離れた隣の町などは散歩のうちにも入らないくらい
20キロ先の友人の家でも気軽に歩いて遊びに行きます。
けれども、本当に好きなのは山や谷、森に湖。
ここにはワーズワースの作品のテーマが
すべてそろっていました。
大自然こそ自分の書斎と言い切るワーズワースにとって
山や湖を歩くことは
感性を研ぎすまし、詩の風景をさがすことでもありました。
そんな詩人の心中を知らない村の人々は
ワーズワースのあまりに長い散歩の理由がさっぱりわからず
ときには、こんな愉快な噂もあったようです。
「フランスのスパイかしら?」
ワーズワースの最後の家
1813年
湖の詩人ワーズワースは最後の引っ越しをします。
古い農家を改築したその家からは
ふたつの湖を眺めることができました。
庭はワーズワース自身が設計し
まわりの風景に溶け込むように
注意深く木々や草花が植えられています。
この最後の家こそワーズワースにとって完璧な家。
でも自分が死んだらどうなるだろう…
家の正面の壁や石段はそのまま残るだろうか。
庭はどうだろう。
美しいシダやコケ、野生のゼラニウム…
ご心配なく。
心ある人たちの手でいまもちゃんと守られています。
ワーズワースの朗読
湖の詩人ワーズワースが
書き上げたばかりの新しい詩を真っ先に聴いたのは
庭の小鳥たちでした。
ワーズワースは
新しい詩をつくるたびに庭に出て朗読をし
小鳥が返すさえずりで
作品の出来を判断していたといいます。
批評家の小鳥の名前は
残念ながら伝わっていないのですが。
ワーズワースの自然保護
湖の詩人ワーズワースの存在は
イギリスの湖水地方を世界的に有名にする一方で
湖水の景観を守る意識を人々に植えつけました。
1844年、この地方に鉄道を敷く計画が持ち上がったとき
ワーズワースは湖の環境だいなしにすると猛反対。
モーニング・ポストに反対の意思を表明する文書を投稿し
それがきっかけで鉄道計画は中止になります。
いまでもウィンダミアから湖に向う鉄道はなく
自動車では近づけない湖もあります。
そのかわりに活躍するのがフットパスと呼ばれる散歩道。
歩いてください。
そして美しい自然を楽しんでください。
ワーズワースの声が聞こえるようです。
Watch DEP 1/6 in ��� | View More Free Videos Online at Veoh.com
モトのページはこちらです。
20分づつ6つに別れているのが面倒ですが
画質はなかなかであります。
http://www.veoh.com/browse/videos/category/drama/watch/v18089250DWMJFC68
まだ「ギャル」とかろうじて呼べるふたり、
熊埜御堂由香(クマ)と石橋涼子(イシバ)の収録見学記を
おとどけします。
たぶん…来週あたりから。
週末のJ-waveは怖いぞ〜
いっぺんトイレに出るともう中に入れなくなるぞ〜
と、脅されまくり
オシッコも我慢しながら頑張ったふたりは
さて、どんな体験と学習をしたのか。
お楽しみに。
番組の一部が聴けるようになりました。
CDの原盤権の都合上、BGMは変えてあります。
原案:古田彰一
スクリプト:細田高広・八木田杏子
構成・演出:厚焼玉子
MIX・演出:森田仁人
AD:吉田香
CP:久保田永靖
出演:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/
出演:三坂知絵子 http://www.studio-2-neo.com/
「五島のはなし」連載中の中村直史くんが
五島に帰ったきり、ちっとも記事を更新しなくなりました。
図書館のパソコンで仕事をする羽目になったという
噂もききますが、もしかしたら
鯛やヒラメと舞い踊っているのかもしれません。
折しもいま、五島の福江島は
お盆の行事「チャンココ踊り」の最中です。
写真のように腰ミノをつけて花笠を被った人たち、
(なんだか派手な浦島さんのようです)が踊ります。
直史くんも踊っているのかもしれません。
その際、鯛やヒラメや乙姫さまはご一緒なのでしょうか。
興味があります。
興味がありますが、直史くんは記事を送ってくれません。
さて、そのチャンココ踊りは長崎県の無形民族文化財です。
チャンと鉦を鳴らしてココと太鼓をたたくから
「チャンココ」だ、という説もありますが
やはりここは韓国語をひもといて
「チャンゴ」=「太鼓」であることを理解すべきと思います。
発祥は定かではありませんが、
800年ほど前から伝わっているそうです。
親から子へ伝授される踊りだそうで
観光客が飛び入りで踊れるものではありません。
(だいたい腰ミノは普通に売っていないと思います)
中村直史くんもお父さんから伝授されているのでしょうか。
腰ミノを用意すれば踊ってみせてくれるでしょうか。
帰京が待たれます(厚焼玉子)
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