厚焼玉子(事務局・中山佐知子)

クグロフのレシピ

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マリー・アントワネットが好きだったクグロフの材料。

強力粉 塩 砂糖 ドライイースト
卵 牛乳 バター レーズンまたはナッツ

写真で見る通り、お菓子というよりパンです。

「パンがなければお菓子を食べればいいのに」
というアントワネットの発言は
研究によると、実はアントワネットではなく
某大公夫人、またはルイ16世の叔母だったそうですが
いずれにしろ「お菓子」と訳されている原文は
「brioche」であり、
通常のパンよりもバターを多めに使った
やはりパンの一種なのでした。

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……天邪鬼な追悼ですが











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宴のメニュー

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マリー・アントワネットがフランスに出発するにあたって
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿で催された祝宴のメニューを
お知らせします。
招待客4000人に出されたこのメニューは
当時のフランクフルトの新聞に掲載されました。

◉ボイルドハム100本、塩漬けハム100本、雉の肉入りパイ40枚、
しゃこの肉入りパイ40枚、山鳥の肉入りパイ40枚、
やましぎの肉入りパイ40枚、七面鳥の肉入りパイ40枚、
去勢雄鶏の肉入りパイ50枚、ひき肉入りパイ50枚、
仔牛のもも肉入りパイ50枚、燻製のタン100本、
塩漬け肩先肉400ポンド、
ボローニア風ソーセージ100本。

◉肉類:七面鳥100羽、去勢雄鶏250羽、仔牛のひき肉80ポンド、
肥育鳥400羽、雌仔豚80頭、兎の肉入りゼリー50本、
ソーセージ風雌仔豚の香味漬け詰め物の煮物100個、
豚肉入りゼリー100本。
雉250羽、えぞ山鳥200羽、しゃこ250羽、やましぎ200羽、
のろ鹿の背肉ともも肉120頭分、七面鳥120羽、去勢雄鶏400羽、
肥育鶏と鶏の秋雛200羽、仔羊100頭、仔牛の丸100頭。

◉ケーキ:チーズケーキ50ダース、マドレーヌ風焼き菓子50ダース、
オリオール風焼き菓子50ダース、ショートケーキ50ダース、
愛の泉ケーキ50ダース、
ファルノーヌ50ダース、ショード60ダース、シュークリーム類60ダース、
ブリオッシュ50ダース、アーモンド入りショートケーキ50ダース、
ビスケット50ダース、ピスタチオの実入りショートケーキ50ダース、
平鉢100皿、計9,480個。

◉スペイン風雑炊とスープ20,660杯分

◉喫茶:コーヒー16,360杯分、チョコレート・ドリン14,592杯分、
紅茶3,840杯分、レモネード2000マース、ポメランツァーデ1200マース、
アーモンド・ジュース入りミルクセーキ1,160マース。

◉冷たい飲食類…レモン皮砂糖漬け1,600マース、だいだいの砂糖漬け220マース、
メラーローゼ80マース、ベルガモットオレンジの砂糖漬け80マース、
バニラ入りミルク80マース、肉桂入りパピーナ60マース、
あぶり砂糖60マース、イチゴジュース50マース、
チョコレート40マース、ミルクコーヒー50マース、
ドランジェー類750ポンド、だいだい8,000個、ベルガモット3,000個、
マシャンツカーりんご6,000個、タンタセルル1,600個、
はこね草の葉のシロップ180本、

◉パン他:クロワッサン8,000個、パンケーキ類2,440ポンド、
チョコレートとオリオ用ゼンメルパン6,000個、
パンケーキ類2,440ポンド。

◉ワイン類…トカイ産1,990本、マスカット301本、スペイン産452本、
シャンペン1,462本、ブルゴーニュ産赤ワイン1,080本、
ライン産白1,068本、モーゼル産白940本、
ラッツェンドルフ産820本、オーフェン産712本、エアウラ産570本、
ウィーン産602本、オーストリア産50アイマー。

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厚焼玉子 09年4月25日放送

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アントワネットの結婚式

ウイーンの春は木に咲く花からはじまる。
桜が咲き、リンク通りのカエデが満開になり
レンギョウの枝が黄色の花でいっぱいになると
もう4月だ。
木蓮の大きな蕾も膨らむ。

マリー・アントワネットの結婚式も4月だった。
1770年の4月、
王宮のアウグスティーナ教会に到着した花嫁は
14歳と6ヶ月、
花婿は婚約者のフランス皇太子ではなく
皇太子と同い年の兄、フェルディナンドが
代理をつとめていた。

王宮の庭ではリラの花が咲いていた。

アントワネットを歴史の舞台に送り出す準備は
こうして進められていく

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ウイーンの四月に

4月のウイーンは冬と春のせめぎあい。
日が延び、木々も芽吹き
カフェもテラスにテーブルを出しているのに
冬は最後の意地で道路を凍らせたりもする。

おかげでこの街のクルマは
4月15日まで冬のタイヤでないと罰金を取られることに
なってしまった。

14歳だったマリー・アントワネットの4月は
別れの月だった。
母に、家族に、さようなら。
そして生まれた国にも別れを告げて 
迎えの馬車に乗り、フランスに向かった。

57台の馬車と367頭の馬が
まだ少女だった未來のフランス王妃を守っていた。
3日間走り続けたその道は
春の花が散り敷くあたたかい道だったのか
馬の蹄も凍る冷たい道だったのか。

1770年4月
マリー・アントワネットはフランスへの旅の途中。

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はじめてのプロポーズ

ランバッハの修道院は
モーツァルトの楽譜が発見されたことで有名だ。
1769年、13歳のモーツァルトが
宿泊と食事のお礼に楽譜を置いていったのだという。

モーツァルトは6歳のときに
一度だけアントワネットに会っている。
ウイーンの王宮に招かれて演奏したときのことだ。
転んだモーツアルトを助け起こした
ひとつ年上のかわいい王女に
「僕のお嫁さんになってください」とプロポーズしたのは
有名な話。

やがて1770年
14歳のアントワネットもまたランバッハの修道院を訪れる。
それはフランスへ向かう旅の二泊め。
楽譜のことを知るよしもない。

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クグロフのうた

クグロフは不思議なお菓子。
パン屋さんで買うとパンのようなクグロフ、
お菓子屋さんで買うとお菓子のクグロフ。

クグロフには包容力がある。
卵とバターと粉があれば、
チョコレートチップ、くるみ、干しぶどう
あとは何でも好きなものを入れて
作る人の好みの味になってくれる。

クグロフは名前がかわいい。
口の中でころころころがる。

クグロフはウイーンがふるさと。
マリー・アントワネットのお嫁入りと一緒に
フランスまで旅をして
それから世界の人気ものになった。

アントワネットはお菓子が好きだったけれど
ウイーンがお菓子の街で、お母さまもお菓子好きで
生まれたお城にはヨーロッパのお菓子職人が集まっていたから
これはもう、しかたがない。

でも食べてみればわかるけれど
クグロフは決して贅沢なお菓子ではありません。

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ゲーテが目にしたもの

国境はライン川の真ん中だった。
その見えない国境を越えて向こう岸に渡ると
ストラスブールの街があった。

ストラスブールの大学に学んでいたゲーテは
マリー・アントワネットの婚礼の行列が街を行くのを目撃し
馬車の窓越しにアントワネットの姿もかいま見ることができた。
真っ直ぐ前を向いて姿勢正しく座る14歳の少女の姿は
ゲーテの心をとらえ、一生忘れることがなかった。

アントワネットは、ストラスブールの街へ入る前、
ライン川の中州につくられた建物の中で
オーストリアのドレスを脱ぎ捨てて
肌着から靴まで、すべてフランスのものを
身につけなければならなかった。

国境まで付き添ってきた家臣たちもすべて帰し
たったひとりで、フランスへの一歩を
踏み込んだばかりだった。

1770年4月
マリー・アントワネットは旅をつづけている。

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ドナウ川の緑の渓谷の上で

メルクの修道院は
ドナウ川の緑の渓谷の断崖の上にある。
バロック様式の建物は大きく、中も外も豪華に装飾されて
修道院というよりはお城のようだ。

メルクはもともとオーストリアの首都であり
修道院も国王の城として建てられていた。

マリー・アントワネットは
ウイーンを出発して8時間後にメルクの修道院に到着し
家族と離れたはじめての夜を過ごした。

絢爛たる天井画も図書館の10万冊の本も
修道院の生徒が歌うオペラも慰めにはならず
ただ悲しそうな顔をしていたと記録されている。

1770年4月
マリー・アントワネットはフランスへの旅の途中。

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ゲーテが目にしたもの2

アルザス地方の中心地ストラスブールが春を迎えるころ
アントワネットがフランスの王太子と結婚するために
この街を通るという噂があった。

街の大学生のグループは
アントワネットが休息する建物をのぞき見たいと考えて
行列が到着する数日前に
門番を言いくるめて中に入った。

その大学生の中にゲーテがいた。
ゲーテは部屋を飾るタペストリーを見て
声をあげて驚いたそうだ。

タペストリーには
ギリシャ神話のなかでももっとも不吉な結婚をする
王女メディアの物語が織り込まれていた。

1770年4月
アントワネットの旅はつづいている。

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厚焼玉子

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匿名希望 コピーライター

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