働く猫 猫交通指導員
ワシントン州に住むモリソンさんは
今の家に引っ越してきてから
飼い猫のセーブルが仕事を始めたのに気づいた。
近くにある中学校の新学期が始まると
セーブルは交通指導員が来る時間に合わせて
雨の日も風の日も通学路にたたずみ、
生徒の登下校を見守るようになったのだ。
セーブルは名誉指導員として学校にも受け入れられ、
ニュースでも紹介されている。
働く猫 猫交通指導員
ワシントン州に住むモリソンさんは
今の家に引っ越してきてから
飼い猫のセーブルが仕事を始めたのに気づいた。
近くにある中学校の新学期が始まると
セーブルは交通指導員が来る時間に合わせて
雨の日も風の日も通学路にたたずみ、
生徒の登下校を見守るようになったのだ。
セーブルは名誉指導員として学校にも受け入れられ、
ニュースでも紹介されている。
働く猫 ネズミバスターズ
シカゴのあるビール工場は
原料である麦芽を食い荒らす
ネズミの被害に悩まされていた。
ネズミといえば当然ながら猫。
そこで4匹の猫がやってきた。
たった4匹の猫は驚くべき成果をあげた。
専門の業者が音をあげたネズミの大群を
わずか数日で駆逐してしまったのだ。
この4匹は、昼間は工場を自由に走りまわり
夜は経営者の家でゆったりくつろぎ、
ベッドにトイレ、おもちゃにおやつという
福利厚生も手厚い勤務条件でいまも働いており
その様子がホームページで紹介されている。
エルガーと五人のミューズ ヘレン
ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。
イギリスの作曲家エルガーの最初のミューズは
近所に住むヘレン・ウィーヴァーだった。
エルガーははじめての海外旅行の折に
ライプツィヒに留学中のヘレンを訪問し、
やっと婚約にまでこぎつけた。
しかしこの婚約は翌年になって
理由もわからず解消され、
エルガーは悲嘆にくれる毎日を送った。
エルガーのいくつかの作品には
彼女の愛称やイニシャルが散りばめられている。
エルガーと五人のミューズ 妻のアリス
ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。
イギリスの作曲家エルガーの妻アリス・ロバーツは
上流階級の出身で
エルガーと出会ったとき、
すでに小説家としてデビューを果たしていた。
しかし、アリスは家族の反対を押し切って結婚し、
ペンを捨ててエルガーのマネージメントに徹した。
エルガはこの献身的なミューズに尊敬と感謝を捧げ
こんな言葉を残している。
「私の作品を愛するのなら、まず妻に感謝すべきだ」
エルガーの「愛の挨拶」は妻アリスに贈られた曲である。
エルガーと五人のミューズ ウインドフラワー
ミューズは芸術を司るギリシャ神話の女神だが、
芸術家が崇拝する女性もミューズと呼ばれる。
イギリスの作曲家エルガーが
45歳のときに出会ったミューズは
政治家の夫人だった。
彼女は芸術の香りがした。
エルガーは彼女をウインドフラワーと呼んだ。
エルガーは彼女にピアノ協奏曲を贈ろうと考えた。
しかし新しく作曲に取りかかっても
バレエ音楽や交響曲に流用してしまい、
とうとう未完成のままエルガーは亡くなってしまう。
ミューズを賛美するにも時間が必要なのだ。
エルガーと五人のミューズ 謎の女性
イギリスの作曲家エルガーの変奏曲「エニグマ」は
いわば音楽による肖像画で
エルガーの家族や友人を一人づつ描く変奏曲だ。
そのモデルはひとつを除いて解明されている。
解明されていない曲のモデルには二人の候補者がいる。
謎の曲には「海」や「航海」をキーワードにする
メロディが含まれているところから
ニュージーランドへ移住した元婚約者のヘレン、
もうひとりはオーストラリアへ旅立った
エルガーのミューズ、メアリー・ライゴン。
さて、この謎が解けるのはいつのことになるのやら、
エルガーと五人のミューズ ヴェラ
1931年11月
イギリスの作曲家エルガーは
ロンドン交響楽団とのリハーサル中に
第一バイオリンの女性と目が合った。
女性の名前はヴェラ・ホックマン。
70代の半ばのエルガーと
30代の半ばのヴェラの交際がはじまった。
妻を亡くして以来、意欲が後退していたエルガーに
再び活力が訪れた。
オーケストラを指揮し、
オペラや交響曲の注文も受けた。
エルガーの交響曲第3番は
ヴェラがいなかったらこの世になかっただろうと言われている。
ミューズは芸術家の意欲を引き出すのである。
麒麟坊
歌会始
宮内庁の記録を読むと
宮中で行われていた新年の歌会始に
一般人が参加できるようになったのは
1874年、明治7年のことらしい。
当時は歌会始ではなく
歌御会始(うたごかいはじめ)と呼ばれていた。
歌御会始が歌会始になったのは昭和3年からだ。
1962年1月12日
歌会始にとって画期的な出来事があった。
初めてのテレビ中継である。
初めて一般の参加が認められた
明治7年の応募が4139首。
いまは2万首を超える応募があるのも
テレビの影響かもしれない。
歌会始
明治2年、15歳の少年だった明治天皇は
歌会始でこんな歌を詠んだ。
千代よろづ 変わらぬ春のしるしとて 海辺を伝う 風ぞのどけき
この年のお題は
「春風来海上」(春風、海上より來る)
翌年は「春来日暖」(春来たりて日あたたかし)
漢字ばかりのお題は
意味はわかっても読み下すのがむづかしいが
当時の歌会始は天皇とその側近だけで行われていたので
格別の支障もなかった。
このお題が誰にでもわかるやさしいものになったのは
戦後の昭和22年からだ。
ちなみに今年は「光」
16歳の高校生も入選を果たしている。
歌会始
歌会始に使われる言葉はむづかしい。
天皇陛下の歌は「御製(ぎょせい)」
皇后陛下の歌は「御歌(みうた)」
司会役を「読師(どくじ)」
歌を読み上げる役を「講師(こうじ)」
天皇から招かれて歌を詠む人は「召人(めしうど)」
歌会始のテレビ中継はあっても
ラジオ中継がない理由がよくわかる。
歌会始で発表される歌は
まず読み上げられ
それから節をつけて歌われる。
聞きなれない言葉やメロディは
千年の昔から伝わる文化でもある。
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