松岡明芳
台風
9月は台風の季節。
台風の恩恵のひとつに「運ぶ」と言う役割がある。
土砂を運び、海に砂浜をつくる。
赤道の熱エネルギーを温帯地方に運ぶ。
身近なことで言えば、川沿いに咲く彼岸花。
彼岸花は必ず人里に咲く。
もし人里離れた川沿いに咲いている彼岸花があれば
上流の村から土砂に混じって流されたと思っていいそうだ。
木や草の種を思いがけない遠くへ運ぶのも台風だ。
海から顔を出したばかりの新しい島に
いつの間にか草が生えている。
虫も台風の風に乗ってやってくる。
松岡明芳
台風
9月は台風の季節。
台風の恩恵のひとつに「運ぶ」と言う役割がある。
土砂を運び、海に砂浜をつくる。
赤道の熱エネルギーを温帯地方に運ぶ。
身近なことで言えば、川沿いに咲く彼岸花。
彼岸花は必ず人里に咲く。
もし人里離れた川沿いに咲いている彼岸花があれば
上流の村から土砂に混じって流されたと思っていいそうだ。
木や草の種を思いがけない遠くへ運ぶのも台風だ。
海から顔を出したばかりの新しい島に
いつの間にか草が生えている。
虫も台風の風に乗ってやってくる。
xanday
日本三景 天橋立
イザナギとイザナミが国づくりをすると、
天の神々はその美しい国へ行ってみたくなった。
そこで天から地上までハシゴをかけた。
地上には美しい人間の娘たちがいた。
娘たちは天にある神の国を見たがった。
それなら内緒で連れて行こう。
でも声をたてないようにね。
神さまたちは娘たちにさんざん注意したけれど、
ハシゴから下を見た娘たちは
「わあキレイ」と声を上げた。
とたんにハシゴは音を立てて崩れ、
いまではその一部が天橋立と呼ばれているそうな。
これは日本三景のひとつ天橋立にまつわる伝説のひとつ。
今日は日本三景の記念日。
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日本三景 松島
松島や ああ松島や 松島や
松尾芭蕉の句と言われているが、
実は芭蕉は松島でひとつも俳句を作れなかった。
言葉にできない美しい風景を眺め、
眠れない一夜を過ごした。
「松島や」の句は
そんな芭蕉の気持ちを後世の人が代弁している。
ところで、物理学のアインシュタイン博士が
月を見るために松島を訪れたことがある。
1922年12月、
凍てつく空にかかった十三夜の月を見て
「おお、月が…」と言ったきり絶句したそうだ。
日本三景の松島は言葉を失うほど美しい。
今日は日本三景の記念日。
wiennat
日本三景 厳島
厳島は日本三景のなかで
唯一世界遺産に登録された景勝地だ。
1996年に厳島神社と原始林が世界遺産に、
そして2012年には海岸の一部が
ラムサール条約に登録されている。
もともとこの島は神の島であり
人が住むことを禁じられていた。
人が住むようになってからも
土地を耕すことは禁じられていた。
現在も島全体が保護区として
日本古来の自然の姿を保ち続けている。
今日は日本三景の記念日。
立命館大学アート・リサーチセンター所蔵
日本三景 林 鵞峰
江戸時代のはじめ、
日本全国を旅した儒学者林鵞峰(がほう)が
自らの著書に卓越した日本の三つの景観として
松島、天橋立、厳島を紹介した。
これが日本三景のはじまりである。
東北、近畿、中国に散らばる日本三景は
一見共通点がないように思えるが、
これをめぐる人は、太平洋、日本海、瀬戸内海の
三つの海を旅することになり、
日本が海に囲まれた島国であることを認識する。
日本三景は三つの海を代表する景色でもあるのだ。
林鵞峰は1618年7月21日に生まれ、
その日が日本三景の記念日になった。
けびぃ
日本三景 雪雪花
三種なら雪・月・花。
四種あれば花鳥風月。
いずれも日本の風景に彩りを添える風物だが、
日本三景を雪月花に当てはめ他のはどこの風流人だろう。
それによると、雪は天橋立。
8000本の松の木々が雪化粧をした天橋立は
幻の景色とされている。
月は松島。
もともと松島は月の名所だった。
そして、花は厳島。
実は花ではなく花に見立てた紅葉だが
色づく秋の山を背景にした厳島神社の美しさは
必見だそうだ。
美しい風景があり、季節がある。
日本はいい国だ。
今日は日本三景の記念日。
daniel.kakiuthi
パリ祭 その日
7月14日、パリ祭。
この日、パリでは花火が上がり、
軍隊のパレードはシャンゼリゼ通りを行進し
フランス空軍のアクロバット飛行チームが空で演技をする。
大統領はこの日のためにとっておきの演説をし、
ルーブル美術館はこの日入場無料になる。
エッフェル塔の下ではコンサートが開かれ
フランスの大部分の都市ではダンスパーティが開かれる。
おりしも観光シーズン。
街は観光客で溢れている。
まだパリに残っていた市民も
この日が終わるとバカンスに出発する。
演説のためにパリに残っていた大統領も
翌日から南フランスの別荘で
およそ1ヶ月の休暇を過ごすのが恒例らしい。
パリ祭 名称
7月14日はパリ祭
パリ祭の正式名称はFête nationale française、
国民の祭りというような意味だ。
単にQuatorze Juillet、7月14日と呼ばれることもある。
日本でパリ祭と呼ばれるのは
1933年に封切られたルネ・クレール監督の映画
「Quatorze Juillet」が「巴里祭」というタイトルで公開されたことが
原因らしい。
英語圏ではBastille dayと呼ばれることもある。
この日はパリの市民がバスティーユを襲撃した日、
フランス革命の始まりの日でもあるからだ。
パリ祭 亡命のパリ祭
1940年から1944年まで
ロンドンで開催されたパリ祭の記念式典がある。
ドイツ軍によってパリが陥落した1940年、
ナチスドイツに協力を表明した新政府に追われて
イギリスに亡命したフランス陸軍次官シャルル・ド・ゴールと
彼の亡命政権である自由フランス政府が行ったものだ。
このとき、ド・ゴールの亡命政権がなかったら
真っ先にドイツに降伏したフランスは
敗戦国になっていたと思われる。
ド・ゴールはイギリスからフランス本土へ向けて
徹底抗戦を呼びかけていた。
ロンドンで行われたパリ祭は
フランスは負けていないというアピールだったのかもしれない。
パリ祭 歴史
1789年のこの日
パリの市民によるバスティーユの襲撃は
フランス革命につながった。
翌1790年の7月14日には大規模な記念式典が行われ
国民軍司令官のラ・ファイエット公爵とルイ16世が
憲法に忠誠を誓った。
革命の余波は長く続いた。
国王と王妃の処刑。
ナポレオンのクーデター。
王政復古。
多くの血が流された。
我々は本当に正しいことをしているのかと
疑いを持った人もいただろう。
そして1879年、7月14日を祝う祝祭が再び開かれ
1880年には7月14日を祝日にする法案が可決された。
最初のパリ祭から90年後のことだった。
市民の決起は正しかった。
あの革命は正しかったと思えるまでに
長い時間が必要だったのだろう。
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