五島のはなし(130)

先日なかなか立派なあらかぶが釣れた。
大都会の海でも遊んでくれるから、
あらかぶはほんとにいいやつだ。

ところで、五島ではあらかぶと言うけれど
こちらでは、カサゴと呼ばれる魚である。
ぼくもこちらでは「カサゴが釣れたんだ」なんて
東京っぽく言うのだ。

かつて五島に住んでいたとき、
いちばんの都会は長崎で(五島も長崎県なのに!)、
修学旅行や部活の試合のために
長崎にフェリーで渡ると
かすかにみんなの言葉が変化してた。

長崎本土に近づくと、
ちょっと長崎弁(五島弁とは明らかに違う)に
なってくるやつがいるのである。

・・・っていうことを
「カサゴが釣れたんだ」なんてかっこつけて
人に言ってるとき、ふと思い出したりする。

カサゴが釣れたんだ

五島のはなし(129)

あした(2011年3月11日金曜日)
五島のはなしがテレビで放送されます!
といってもこの五島のはなしじゃなくって
五島が舞台のドラマ。

なんでも、ざだまさしがうんたらかんらで、
堀北マキさんもうんぬんかんぬんで、
五島の実在の人をモデルにしたドラマなんだとか。

よい話まちがいなし!

「復讐するは我にあり」とか「悪人」とか
五島が舞台だったり撮影場所だったりなのは
ちょっとダーク(でも名作!)なのが多いから
ぜひ、あしたのドラマで全国のみなさんのイメージをかえてもらいたい。

フジテレビでやるらしい

じっと座る猫



ある日、ご近所の玄関の前で黒虎の猫が座っていた。
ほとんど玄関の風景に溶け込んでいた。
もうずっと座っていたのかもしれないし
これからしばらく、たぶんこの玄関が開くまで
座っていそうな気がした。

猫は座り込みが得意だ。
お腹が空くと自分のお皿の前にいつまででも座っている。
かなり根気があり、辛抱強い。(暇ともいえるが)

そういう姿を見ると可哀想になるのが
ちょっと困る(玉子)

就職先が「嵐」



やっと決まった就職。
でもその就職先がなんと「嵐」ということになり…

という奇想天外なストーリーを書いたのは
岡野草平くんであります。

原稿を読みたい人はこちらの2月6日の記事でどうぞ(玉子)
http://01pk.seesaa.net/

三毛猫AとB




近所に似た柄の三毛猫Aと三毛猫Bがいる。
よく見ると一方は鼻のあたりにも模様がある。
もう一方はない。
鼻に模様のある方が美人で女性らしい顔をしており
表情になんともいえない情感がある。

しかし、遠目や後姿ではほぼ区別がつかない。

まあ、どっちにしろ会えるとうれしいのに変わりはないが
でもでも、どちらかというと美人の方により会いたい…
と、思いつつ
今日もキョロキョロ歩いている(玉子)

いじめっこの猫



この猫はいじめっこで飼い主もちょっと困っているらしい。
欲しがるときに餌をあげないともう一匹の猫をいじめる。
出たがるときに出さないとやはりもう一匹をいじめる。
出たらこんどは外の猫をいじめる。

しかも堂々8kgの巨体なのだ。
年齢は2歳。
若くて強いが猫としての分別がつくにはもう少しかかる。

この猫が15歳くらいになったときの姿を
見てみたいな〜(玉子)

ごめんね、ほうさい。

咳をしたら あったかくして寝なさいと 卵酒

五島のはなし(128)

なるべく見ないようにしてるブログ。

http://khulmann.blogspot.com/

見ると五島に帰りたくてしょうがなくなるから。

http://takoyanikki.blogspot.com/

でも見ちゃうけど。

この正月、ブログの主である

あこがれのおふたりと釣り行けたけど

ぼくの技術ではだめだったー。

リベンジにいかねば、と。

この海に屈服

五島のはなし(127)

五島に帰って
最初に釣り糸をたらした瞬間
クエが釣れました。

クエです、クエ。

超高級魚。・・・の子。

すぐさま海にお帰りいただいた。

三陸の海からのおたよりです



三陸の海のかたから、こんなコメントをいただきました。

 宮城県 牡蠣の森を慕う会(代表 畠山重篤)と申します。
 森は海の恋人運動にコメント頂いている方にお知らせいたしております。
 この度、畠山重篤エッセイブログの掲載を開始いたしました。
 ご覧いただければ幸いです。
 今後とも、本運動にご理解、ご賛同賜ります様、お願い申し上げます。

昭和40年代から50年代にかけて
牡蠣の養殖で名高い気仙沼の自然環境が悪化したことがあります。
原因は工場排水、家庭からの排水、農薬、除草剤
手入れをしない針葉樹林から流出した赤土、
それらが湾内に流れ込んだのです。

醤油を流したような赤潮を吸い込んだ牡蠣は
すべて廃棄処分されました。

それに追い打ちをかけるように
湾からわずか8キロ上流のダム計画。
海に必要な養分は川によって山からもたらされるのに
その川を堰き止めてしまったら。

山(森)、川、海を別々に考えるべきではない。
これらはすべて繋がっている。

そんな考えからNPO法人「森は海の恋人」が誕生しました。
海に生活の根拠を置く人たちが山を守り
山から流れる川の流域の自然を守る活動をはじめたのです。
山に木を植え、草を刈り、里山をつくり、
生物多様性のワークショップを開き、
NPO法人「森は海の恋人」の活動は多岐にわたっています。

おたよりをくださった畠山さんはこの活動を推進した
中心人物です。
お暇があるときに、海と山のことをちょっと勉強しませんか。

畠山さんブログ:http://d.hatena.ne.jp/mizuyama-oyster-farm/
海は山の恋人HP:http://www.mori-umi.org/base.html

なお、このコメントは去年6月5日のVision原稿掲載ページに寄せられました。
以下にその原稿をコピーしておきます。


海は森を恋いながら 熊谷龍子

 森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく

この美しい言葉は宮城県の歌人熊谷龍子さんが詠んだ歌。
熊谷さんは森のなかの家に住み
山から海を考えたことはあったけれど
海から山を見たことはなかった。

誘われて海へ行った。
海の水で洗っただけのまっ白な牡蠣を食べた。
その牡蠣は森の恵みだと教えられた。
びっくりした。

森の落ち葉が腐葉土になり
森に降った雨が腐葉土にしみ込んで
その養分を川に運ぶ。
その川はやがて海につながっていくのだ。

海と森には深い絆がある。
太古からの地球の営みのなかで
海と森はつながっている。

森は海を、海は森を恋い慕っている。
この言葉を忘れないようにしよう。


森は海の恋人 畠山重篤

宮城県気仙沼の海が茶色になったのは
昭和40年代から50年年代にかけてのことだった。

その原因は多過ぎるほどあった。
工場排水、一般家庭からの排水、農薬に除草剤、
手入れのされない針葉樹林からの赤土…

気仙沼で牡蠣の養殖をしていた畠山重篤さんは
まっ白なはずの牡蠣の身が赤くなったことに驚き
ヨーロッパまで視察に行って勉強をした。

いままでの海を取り戻すには何をすればいいのだろう。
海ばかり見ていたのではダメなんだ。

海には植物プランクトンの森がある。
海の森を育てるのは山の森だ。
山の森の養分を川が運んで海の森を育てることがわかった。

いま、畠山さんは「森は海の恋人」というNPO法人の代表として
海に生きる人たちの手で山の森を育てる活動をしている。

木を植え、森を育て、里山をつくり
気仙沼の海は少しづつキレイになっている。

「森は海の恋人」という言葉は歌人熊谷龍子さんの歌からもらった。

  森は海を 海は森を恋いながら 悠久よりの愛紡ぎゆく

美しい言葉に負けない美しい海を…


login