熊埜御堂由香―美しい音色の意味は?
Visionの最後には、
なにやらおしゃれなフランス語がMIXされています。
語学がさっぱりなわたしには、
「もにょもにょもにょもにょ、Vision」と聞えるけれど、
心地よいサウンドロゴみたいな、詩みたいなあの音色。
あらかじめ用意してあるひとつの素材をあてて
作っていると思ったら・・・
VieVieさんがその都度読んでいるではないですかー!!??
フレーズも数種類あって、
毎回、その場の判断で使い分けているそうです。
私の原稿にくっつく、あの「もにょもにょ」は
いま、読み上げられたあの音色、
世界にひとつしかないのかと思うとありがたさ倍増。
「もにょもにょ」は、日本語に訳しても美しい響きを持つ言葉です。
Vision du passé, (ヴィジョン・デュ・パッセ)
過去のヴィジョン
du present, (デュ・プレザン)
現在のヴィジョン
du future, (デュ・フューチュー)
未来のヴィジョン
Le future etait deja la. (ル・フュチュー・エテ・デジャ・ラ)
未来はもうそこにあった。
Vision
(つづく)
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最近気になってしょうがないんですが、
これから、昔をどれくらい「昔」として語れるだろう、
と思うんです。
訳がわからない言い方ですが、つまり、
僕が子どものころ、親から
「昔は何も食べ物がなかった」とか
「小さい頃から川に水汲みに行っていた」みたいな
昔の(そして苦労した)話を聞かされるたびに
「昔って(ほんの数十年前なのに)昔だったんだなあ」と
感じたものでした。
前回、「昔はよく河童と相撲をとったもんだ」という
話を聞いたことがあると書いたけれど、
それにしたって、もし仮に河童の存在はウソだとしても
河童という言葉が出ること自体、昔だったんだなあ、と感じます。
僕が子どもたちに、昔は・・・と言うとしたら何だろう?
と考えると、
「昔はなあ、ネットとかケータイとか、なかったんだぞ」とか
「昔はウォシュレットもなくて苦労したもんだ
みたいなことかなあ。
なんか、へぇ~!って感じがしないです。
よく、「今は時代の移り変わるスピードが速い」なんて言う人いますが、
ほんとかなあ、と思ってしまいます。
僕が生まれたときには電話もテレビも水道も
冷蔵庫も便器も車もあって、
当たり前だけど地球はすでに丸くて、
アメリカ大陸も見つかっていて、月にも行っていて、
いくら今の変化が速いと言っても、
何か劇的に「ない→ある」という変化じゃないような気がしてしまいます。
以上、今日のうだうだ、終わりです。
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同じ五島・福江島出身の妻が、
幼い頃に祖母から歌ってもらってた
子守唄がありまして、それを書き起こすと
〇〇ちゃんば ぶんぶくに やったなら
ちょっぱげも なんも ながらかし
これから なんで くんでのもか
ギーッココン バーッココン
ギーッココン バーッココン
(〇〇のところは、子どもの名前が入ります)
となります。
訳すと、
〇〇ちゃんを 水汲みにやったら
ちょっぱげも 何もかも (川に)流してしまい
これから 何で (水を)汲んでのもう?
ってとこでしょうか。
ギーッココン バーッココンは
子どもを(あやすために)揺らす動作に合わせた音だと思います。
この歌の中の「ちょっぱげ」は、
僕も聞いたことがない言葉だったので
「五島雑学辞典」で調べてみたら、載ってました。
ちょっぱげ : 瓢箪をくりぬき、容器にしたもの。
サイズの小さなものは、ひしゃくとして用いた。
ということが書かれてあります。さらに、
「五島では、ちょっぱげに赤飯を入れて河童にあげていたが、
なぜか河童はいつも河の底まで持っていくことができなかった。
そこで人々は、河童がちょっぱげを恐れていることに気付き、
泉や小川の水汲み場にちょっぱげを置くようにしたところ
それから、河童にいたずらされることがなくなった」
とありました。
「という言い伝えがある」とかじゃなく、
河童は「いる」前提なとこがすごいですが、
実際五島のじいさんばあさんの中には河童を「いる」ものとして
話す人がいます。
僕も「昔はよく河童と相撲をとった」という話を聞いたことがあります。
まあ、いるっていうんだから、いるんでしょうね。
五島雑学辞典
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熊埜御堂―憧れの所作
収録の現場でうっとりさせられる所作がありました。
ディレクターのCさんが、
ガラス越しにDJブースのVieVieさんに送るその合図。
指揮者が、演奏の幕を開けるタクトを振るように。
そっと、でも、その場を確かに操る、
手を天にかざす仕草です。
最初は、なんだろ、あれは?と思っていました。
でもだんだんと、
ああ、あの手つきを合図にVieVieさんは
原稿の読み始めを判断しているんだな
と分かってきました。
つまり、それはQ出しの合図です。
私たちコピーライターがラジオCMをつくるスタジオには
キューボタンといわれるスイッチが機材に組み込まれています。
そのボタンを押すと
防音ガラスに隔てられたナレーターさんの目の前のランプが光って
「今から原稿を読み始めて!」という合図が
送れるようになっているのです。
まさにそれと同じやりとりが
ガラス越しに向かい合うCさんとVieVieさんの間では
かざした手とまなざしの交換で行われていました。
単に習慣の違いと言えば、それまでなんですが
そのQ出しの所作が、Cさんのダンディないでたちと相まって、
なんとも言えずかっこいい!!
次、私がラジオCMを演出・収録できる機会がきたら
かざしたその手で、Q出ししてみようかなー
なんて思いました。 (つづく)
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石橋涼子ー音楽のこと
収録中にメモしたフジ子・ヘミングの「トロイカ」を
CDショップで捜索中の石橋です。
音楽の話を私も少々。
Visionはラジオのショートプログラムであり、
ラジオCMではありません。
というわけで、使える楽曲の幅がとても広いのです。
スタジオ内には古今の名盤が山高く積まれていて、
この中のどの曲を使ってもいいのね!と思うと
興奮してワクワクそわそわモジモジします。
関係各位には言わずもがなの話ですみません。
それ以上に、一般の方にわかりにくい話ですみません!
音楽には色々と、そう、権利とか権利とか権利とかがあるんです。
保持(ホジと書いてヤスモチと読む)さんは、
CMでは使用不可能と言われるビートルズの音源を
使うためだけにジョン・レノンの原稿を書いたのだとか。
(いや、それだけじゃないと思いますけど)
私はエリック・サティの曲が好きなので、
この機会にリクエストしちゃおっかなーなんて思って
にやにやしていました。
そして思い出しました。
サティは死後50年経っているから、
音源によっては権利がフリーだ・・・
ディレクターさんが一生懸命MIXしている横で
そんなことを考えながら一人にやけたり、
がっくりしたり、気味の悪い百面相をしていました。
収録って楽しい・・・ (つづく)
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子どものころ言われて、
いまもなんとなくやっちゃいけないと思ってること
けっこうありませんか。
迷信だと思うのですが。
●夜に口笛を吹くとヘビが来る。
●靴下をはいて寝ると、親の死に目に会えない。
●夜にツメを切ってはいけない。
●新しいクツは夜のうちに玄関におろしておく。
●「し」という字が含まれる名前を赤い色で書いてはいけない。
●みみずにおしっこをかけるとオチンチンが腫れる。
●お盆明けの8月16日は地獄の釜のふたが開いているから海に入ってはいけない。
●家の中にいるクモを殺してはいけない。
僕が覚えているものでは、
ざっとこんなところでしょうか。
全部五島にいるころに聞いたものですが、
こういうのって、どのくらい地域差があるんですかね?
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この夏、実家から持ち帰ってきた
「五島の史話と民話」という小冊子の
第1ぺージ目に、五島の歴史年表が載っていました。
年表のいちばん最初に書かれていたのは、
695年(西暦) 深江、五社神社創立。
深江は僕の出身地である福江の昔の呼び名であり、
五社神社は僕が生まれたときからお参りしている神社です。
え!そんなに古い神社だったの?!と正直驚きました。
小さな神社です。
子どものころから、お祓いをしてもらうときにに鳴る太鼓が
なぜか可笑しくて、兄と二人わけもなく笑っていました。
不謹慎です。
そういうときは、神主さんが祈りを捧げる
祭壇(と言っていいんでしょうか)の向こうに広がる深い竹林を
見つめます。何かがいそうで怖いんです。
実際、たぶん、何かいるんでしょう。
1300年もの間、たくさんの人たちが、
いろんなことを祈ってきたと思うと気が遠くなります。
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熊埜御堂―すすむ収録
石橋涼子さんの華麗なる脱線を軌道修正に参りました、
熊埜御堂由香です。
Visionはレギュラーで原稿を担当するメンバーに、
われわれ薄組のようにたまにお邪魔するゲストメンバーを加えると、
20 人以上のコピーライターが原稿を書いています。
収録は毎回、立ち会うわけではなく、
J-WAVEの方も、この原稿を書いたのはどんなひとなんだろうかと
いろいろな想像をふくらませていたよう。
名刺交換をして、
VieVieさんが、熊埜御堂という珍名にひとしきり驚いたあと、
「そういえば、ほじさんってどんなひとですか?うすいさんは?」
とキラキラしたまなざしでたずねてきました。
ほじに、うすい・・・??
そんな、メンバーにいないはず・・・、
あっ!
「保持(やすもち)に、薄(すすき)ですね。」
こんど、3人で珍名Visionチームを組もうかなぁと思うくらい、
紛らわしい名前!
そんな会話から、和やかな雰囲気に。
ディレクターのCさんが原稿にあう楽曲を
その場で選びMIXしていきます。
フジ子・ヘミングの原稿に当てられた彼女の楽曲を
石橋さんが気に入って、CD名を聞いてメモしていたり、
わいわいと、収録は進んでいきます。
その場でいろんな音源をききながらMIXしていくライブ感が新鮮!
広告の仕事では、納品してから、
OAや掲出までが1ヶ月以上空くこともざらです。
常に作業は前倒し。真夏にクリスマスの原稿を書いたり、
冬にキンキンに冷えたビールの
原稿を書くことも。
現在、土曜の15時。
そういえば、いま収録しているものが
数時間後にはもう放送網に乗っかって
世の中に届けられていくんだなぁと思うと
少し不思議な気持ちになりました。
(つづく)
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むかしむかし、五島のある山の中に
「ぐつ」という名の男が住んでいました。
ぐつは、お母さんとお兄さんといっしょに暮らしていて、
お兄さんは、わなで獣をとるのを生業としていました。
ある日、お兄さんはぐつに言いました。
「ぐつ、わなに何かかかっていないか見てこい」
ぐつはわなを見に行きすぐに帰ってきました。
「何かかかっていたか?」お兄さんが聞くと、ぐつは
「隣のニワトリがかかっていたから逃がしてやった」と言います。
お兄さんが「何と言って逃げたか」と聞くと、ぐつは
「けんけんと鳴いて逃げて行った」と答えました。
お兄さんは怒って「お前はバカだな、それは鶏でなく雉だ」と言いました。
次の日、またお兄さんはぐつにわなを見てこいと言いました。
ぐつはすぐに帰ってきて、
「お兄さん、今日は隣の子牛がかかっていたから逃がしてあげた」と言いました。
逃げるときになんと言ったかとお兄さんが聞くと、
「おつんようおつんようと鳴いた」と答えます。
お兄さんはカンカンになって、「お前のようなバカはいない、
せっかく猪がかかっていたのに。これからは、わなにかかっていたものは何でも
逃がさずにぞろぞろ引っ張ってこい」と叱りつけました。
その次の日、ぐつがお兄さんに言われてわなを見に行くと
薪採りに出かけていたお母さんが誤ってわなにかかっていました。
お母さんはぐつを見ると、「ぐつよ、早くわなを外しておくれ」と言いました。
するとぐつは、「お兄さんに叱られるからできないよ」と言って
そのままお母さんをずるずると引っ張ってきました。
苦しさに耐えかねたお母さんは「ぐつよ、つらいから引っ張らないでおくれ」と
頼みましたが、ぐつは「お兄さんが掛っているものは何でも逃がさず持ってこい
と言ったから」と首を縦にふりません。
お母さんはその道中とうとう死んでしまいました。
お兄さんはぐつをこっぴどく叱り、
「お母さんの葬式を出さなければいけない。和尚さんを呼んで来い」と言いました。
ぐつが「和尚さんとは何ですか」と聞くと
「黒い格好で拝む人が和尚さんだ」と言います。
「黒い格好、黒い格好・・・」ぐつは牛小屋に行くと、黒牛に向かって
「お母さんが死んだから来てくれ」と言いました。すると牛が「もう」と鳴きました。
ぐつが家に帰り、お兄さんに「和尚さんが、もういやと言った」と言うと、
お兄さんが「お坊さんはどこにいた?」と聞きました。
「牛小屋にいた」「馬鹿者、和尚さんは寺にいるのだ」「寺とは何だ?」「高い大きな家だ」
あきれたお兄さんは自分で和尚さんを呼びに行くことにし、
ぐつに「お前は飯を炊いておけ」と言いました。
お兄さんが出かけた後、ぐつが飯をたいていると、鍋がグツグツ言いました。
ぐつは自分の名前を呼ばれていると思い、
鍋に「なんだ?」と声をかけると、今度は鍋が「ぐつくった、ぐつくった」と言います。
ぐつは鍋に「俺はくわん」と言いましたが、鍋は「ぐつくった」と言い続けます。
ぐつはとうとう腹を立て、鍋を石の上めがけ投げつけました。
すると鍋は「くわん」と言って割れました。
「それみろ、だから俺はくわんと言うのに。早くからそう言えば割られずにすんだのに」と
ぐつは言いました。帰ってきたお兄さんにその成り行きを話すと、
お兄さんから大目玉をくらいました。
今度はお兄さんから「和尚さんのために風呂をわかせ」と言われました。
火をくべて少したって、湯に手を入れてみると熱かったので、
ぐつは「沸いたぞー」と知らせました。
和尚さんが入ると下の方はまだ水で、
「ひゃあ冷たい、風邪をひくから、なんでも火にくべろ」と叫びました。
そこで、ぐつは「はいはい」と答えると、和尚さんの下駄から衣類まで
すべて燃やしてしまいました。
和尚さんが風呂から上がると何もありません。
腹を立ててみましたがらちがあかず、
丹前を借りると、それを頭からかぶって帰りました。おしまい。
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五島列島の良さを知ってもらうことで
「島といえばハワイか五島だよね」くらいにしたい。
そんな目論見で日々書いています。
さて、いままで五島のあれこれ書いてきましたが、
大事な場所を忘れていました。
その名も、大瀬崎灯台(おおせざきとうだい)。
200万カンデラという日本一の明るさで海を照らし、
日本最後の夕陽を眺められる場所です。
日本の灯台50選
日本の夕陽100選
にも選ばれています。
日露戦争のとき、
バルチック艦隊発見の電報を受信したのもこの場所(だそうです)。
観光パンフレットに載ってある「行き方」を見たら、
「大瀬崎灯台入口のバス停でバスを降り、徒歩40分」と書いてありました。
40分って・・・
歩かないでしょうふつう。
福江島の市街地から車で約1時間半。そこから徒歩。
(自家用車ならば奥の駐車場まで行けて、そこから徒歩20分で灯台です)
僕自身も灯台のある先端まで行ったのは
いままで5回あるかないか、です。 が。
遠いだけのことはある、絶景です。
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