五島のはなし(25)
五島の実家に帰っている子どもたちから電話があった。
夏休みはやはり気分が開放されるものなのか
はげしく元気である。
「いま登場ごっこやってんの!」と叫んでいた。
どんな遊びかわからないが、楽しそうではある。
妻と子どもたちは、夏になると速攻で五島に帰る。
今年は子どもの終業式さえほっぽらかして早々と帰った。
横浜にいるとき、子どもらはよく
「五島に帰ろうよ~」と言ってくる。
ふたりとも五島の病院で生まれたし、赤ちゃんのころは大半を五島で過ごしたから
「帰る」は間違いでないのだけれど、
18まで五島で育った僕と違い、ふたりは横浜で育っている。
そのうち「行く」になるんだろうなと想像する。
そのとき、僕がどんな気分になるのかは、ちょっとわからない。
五島のはなし(24)
さきほど、編集者をしている親友から電話がありました。
「五島うどんのことを取材することになった。五島うどんについて教えて」
よしきたまかせろ、と思ったけれど、
正直、五島うどんについてほぼ何も語れない。
会社でも同僚から「五島うどんって美味しいらしいね、日本3大うどんのひとつだってね!」
と言われることがあり、そのたびに、
「ええ、うまいですよ!トビウオのだしで食べるんです!」
なんて、さも毎日食べてました的勢いで答えるのだけれど、
実は島を出るまで、トビウオのだし(アゴだし、と呼びます)で
うどんを食べたことがありませんでした。
・アゴだしで食べる。
・ほそい。
・うまい。
・上五島が名産地。
・五島うどんは、讃岐、稲庭に並ぶ日本3大うどんのひとつ。
・いやいや、讃岐、稲庭、水沢うどんこそが日本3大うどんという説もあり。
・そもそも日本に、「〇〇うどん」って、上記の4つくらいしか存在しないんじゃないか?
・だから水沢うどんと五島うどんで3つ目の座を争わず、いっそ「日本4大うどん」でいいんじゃないか?
以上が五島うどんに対する僕の全知識(とギモン)でありまして、
もちろん「うまい店情報」など全くなく、
友人の電話も、彼が調べた情報に対して
「うん」「そう」「かもね」の3ワード(正確にはワーズ)でなんとか乗り切りました。
原因は産地である上五島のことを、よく知らないということです。
五島は北東側の島々を「上五島」、南西側の島々を「下五島」と呼び、
僕は下五島出身。上五島には、部活の練習試合で2,3回行っただけ。
なので、ここの話も本来なら「下五島のはなし」でないと、
上五島の方たちに、申し訳ない感じなのです。
まあそういうことは置いといて、
今では島に帰るたびに土産物屋さんで「五島うどん」をゲットし、
横浜に持ち帰っては食べてます。
乾麺と即席の粉末アゴだしスープでも抜群においしいので、
産地の上五島で、本物のできたて五島うどんを食べたらどんなにうまかろう
と想像します。
海のむこう、広告のむこう。 〜 細田高広篇
もう本当にカンヌって何だっけ、
かもしれませんね。
こうなったら来年のカンヌまでやって
リアルタイムのフリをしたいです。
今回は少し趣向を変えまして。
前回、ホテルでばったり出くわした
ヤングカンヌ代表の古田組・細田さん。
日本代表。
ジャパン。
そんな貴重な話を聞かないなんて。
ということで、
その激戦の模様をつづっていただきました。
どうぞ、お楽しみください。
〜・〜・〜
カンヌのホテルで小山さんに出くわしたとき、
僕が「うわっ。何でここに!」と大げさに驚いてるのに、
小山さんたら「あ、ども。」と軽く会釈するだけ。
まるで渋谷あたりですれ違ったかのよう。
あまりの自然さに「まだ夢でも見てるのかな」と混乱したほどです。
それにしても、あのときの僕の姿と言ったら。
寝癖そのままの爆発ヘアーに、ださいパジャマ、
ひしゃげたメガネに、むくんだ顔。
あぁ、お恥ずかしい。
でも無理もないのです。
あの時は、コンペに負けた悔しさで
およそ1日半「ふて寝」した直後だったのですから。
そう。今回僕はカンヌでヤング・ライオンという若手(28歳以下)の
コンペに参加していました。
ヤング・ライオンにはフィルム、プレス、サイバー、メディアの
4部門があり、僕が出場したのはメディア部門。
雑誌とか、テレビCMとか、屋外広告とか、ウェブとか
メディアを自由に組み合わせてひとつのキャンペーンを提案します。
スケジュールは以下の通り。3日間にわたります。
1日目 16:00 オリエン(課題発表)
2日目 08:00−20:00 (制作作業)
3日目 プレゼン 各チーム5分 スライド10枚
今年のクライアントは、WFP(国連世界食料計画)。
世界の発展途上国の小学校に給食を送る活動を行っている団体です。
お題は、「先進国の子どもたちに活動の意義を伝え、自分ごと化させ、
寄付をさせるためのコミュニケーションを考えよ」というもの。
想定予算はおよそ5000万円。
25カ国の代表が一部屋に集まって話を聞くのですが、
みんな28歳以下に全然見えません。
「あの男強そう」とか「ケンカしたら負けるよね」とか
もうひとりのパートナーと、意味も無くブルブル怯えていました。
オリエンが終わると、皆、一斉に作戦会議を始めます。
会場の中で考えると煮詰まりそうだったので、
僕たちは会場側のカフェに移動し、とりあえず
お互いのアイデアを練ることにしました。
カンヌの心地よい風が眠気を誘います。
なんと仕事に向かない幸福な気候なのでしょう。
それをエスプレッソと日本から持ってきた
粉末ユンケルでやっつけながら、およそ2時間後。
2人のアイデアを元に議論開始。
徐々に日が落ち始めた頃、ようやく提案の筋が見え始めます。
僕はコンセプトやメッセージやらを詰め、
パートナーはキャンペーン展開をするメディアを考え、
再び持ち寄って・・・と繰り返しているうちに
あっという間に夜が明けました。
さぁ、2日目はいよいよ制作作業です。
皆さんなら、どんなキャンペーンを考えますか?
【つづく】
五島のはなし(23)
五島のはなしを書いてきたおかげで、
ひとつパソコンに詳しくなりました。
それは、数字を〇で囲めるのは20まで、という事実です。
みなさん知ってたでしょうか?
二桁囲むんだったら、99までいけよ!と思うのですが。
ここに僕は科学技術の限界を見たのです。
さて僕のはじめての修学旅行のことを書きます。
それは小学5年生のときでした。
行先は「長崎」。長崎県人なのに長崎かよ!と今ならつっこみを入れたくなりますが、
その当時、長崎は僕にとって日本一の大都会。
銀座なんか目じゃありません。長崎。それも浜の町アーケード街。あこがれたなあ。
フェリー乗り場で整列した僕らに先生が聞きました。
「長崎行くの、初めての人」
クラスの半分近くが手を挙げたでしょうか。
僕はすでに何度か行ったことがあったので手を挙げなかったんですが、
その、手を挙げない優越感といったら!
というわけで、最初の修学旅行で思い出に残っているのは、
長崎の町ではなく、この五島のフェリー乗り場での一瞬の出来事で、
しかもほぼ唯一の思い出です。
すごく人間が小さいエピソードだと、我ながら、ほれぼれします。
五島のはなし(22)
先日、鳥巣くんが書いてくれた「五島自動車学校」。
ここで、ぼくも運転免許をとりました。
高校の卒業式が終わり島を離れるまでの1か月間で。
自動車学校に入学する前、とても不安に思ってたことがあります。
それは「高速教習」。
まわりの大人たちが言うわけです。
「五島には高速道路がないけん、高速教習は滑走路でせんばとぞ」
当時はウブでしたので(いまもウブと思ってますが)、
その話を鵜呑みにしてました。
福江空港の滑走路で、飛び立つ飛行機を前に猛スピードで駆け抜ける俺。
こわい。けどちょっとやってみたい。
自動車学校に入学し、その話がウソだとわかったとき、
ちょっと残念な気分になったのを覚えています。
でも、無事に免許を取り終えたとき、ちゃんと後輩たちには言いました。
「滑走路での高速教習が怖かった」と。
五島のはなし(21)
ちょっと前の話ですが、
落語専門情報誌「東京かわら版」の巻頭エッセーで
五島の「いあな」のことが出てました。
書いていたのは、爆笑新作落語家、林家彦いち師匠。
なんでも、落語家仲間とアフリカのギアナに行こうとしていたら
その仲間の都合で急遽行けなくなったとか。
じゃあ、せめて一人ででも、ギアナっぽいところに行こうと
全国の地図をくまなく探して見つけたのが、五島・福江島の「いあな」だったとか。
バカですね~。
彦いち師匠は、こういう普段の生活を落語に仕立てて爆笑させるのが得意です。
で、この「いあな」。漢字では井穴と書きます。
溶岩が噴出した際に、ああなって、こうなって、できた洞窟です。
隔離された生態系をもつため、世界的に珍しい生物がいます。
「なんとかハゼ」とか、「ほにゃららコウモリ」とか。
土器なんかも出土しており、大昔は人も住んでいたんだそうです。
何百メートルも続いた洞窟の先は海中に沈んでおり、
その先がどうなっているのかは「わからない」のだそうです。
ロマンあります。
恐竜とかいたらいいのになあ、と思います。
海のむこう、広告のむこう。~vol.5
そろそろカンヌってなんだったっけってなっている頃かと思いますが。
めげずに書きます。
今のところ、ただ飛行機に乗り遅れて荷物をなくしただけの
間抜けな日本人ですものね。
広告の話まったくしてないし。
それにしてもこんな大仰なタイトルつけるんじゃなかった・・・。
ホテルについた翌朝、
そういえば広告祭を見にきたんだったとホテルのエレベーターを降りると
見た顔が。
Visionの細田さんです。
ヤングライオン日本代表だったという細田さん、すごいですね。
コンペの翌日だったそうで、その顔色が壮絶な戦いを物語っていました。
あと会場でも佐藤さん(事務局長)に会いました。
カンヌの光を浴びて、一層さわやかな佐藤さん。
さすがです。
Visionの人たちにはたくさん会ったんですが、
今年のカンヌはみなさんもご存知のとおり、本当に人が少なくて。
5年前に初めて来たときには、
日本人も外国人も外国人みたいな日本人も、みんなみんな
道端にあふれ返っていたし、
夜になると歓声や奇声があちこちのパーティーから聞こえていたのに、
今年は普通の観光客しかいなくて
あぁカンヌってリゾート地だったんだな、と改めて思いました。
会場内も、
スクリーニングの会場に3人しか見ている人がいなかったり、
地下のグラフィックが並んでるフロアも冷え切ってたりと
どうも様子が違います。
とはいえ、女子トイレに並ばなくても入れるし、
微妙に知ってるけど微妙にしか知らない会社の人とかに会って
まごついたりしなくてもいいので、
意外と悪くないです。
地味カンヌ。
フィルムのグランプリもインターネット、
やれ時代はサイバーだなんだといってるのに、
そんな流れとはまったく関係ないPRESS部門を真っ先に見にいきます。
英語がわからないので、ずいぶん時間がかかる。
好きだったのは、GOLDだったFIATの環境広告。
車の衝突実験でエアバッグがバーンって開いてるんだけど
運転席にいるのがパンダとか絶滅危惧種。
「Engineerd for a Lower Impact on the environment.」。
たしかフィルムでもSILVERだった気が。
あとは、
これもGOLDのMiller「High Life Innovation.」シリーズ。
「ミラーを飲むとき足を組まないようにしとく装置を開発しました」
「ミラーを飲むとき小指を立てないようにしとく装置を開発しました」
ばかばかしくっていいなぁ。
グランプリのWrangler「We are animals.」は
コピーがいい的なことを外人が言ってました。
その隣にはOUTDOOR部門やMEDIA部門のボードが並んでいます。
カテゴリーの違いが今いちよくわかりません。
目を引いたのは、
たしかOUTDOORのグランプリだった
「TRILLON DOLLAR BILLBORAD」っていうお札でできたポスター。
ジンバブエの新聞の広告で、
何万枚という本物のお札でできたポスターに
「こんなにたくさんのお金でもこの一枚のポスターが刷れません」
というようなことが書いてある。
ジンバブエは今ものすごいインフレで
1兆ジンバブエ・ドルとかになってるらしく。
この手の経済ネタは結構あって(夕張もそうですよね。)
「来年までは経済ものはイケるから、貧乏な街を探しにいこう」って
さっき打合せで古川さんが言ってました。
その日はほぼ一日、地下にいて
夜はブイヤベースをいただきました。
うまーい。
高崎さん、タダさん、阿部さん、ありがとうございます。
ようやく、わたしカンヌにいるんだと、実感。
薄組・薄景子
見つけていただき、ありがとうございます。
薄景子対談
http://www.acc-cm.or.jp/kaiho/118/16radio/index.html