Alan Vernon.
徳川光圀の食べる健康法
無病延命の術は、鳥獣に習うしかない。
鳥獣は腹が減ったら食い、空腹が収まったらもう食わない。
健康維持の秘訣をこう語ったのは、
水戸黄門として知られる徳川光圀。
ほどほどの食生活を心掛けながらも、
食に対しての好奇心は旺盛だった。
生類憐みの令が出ていても
お構いなしに牛肉や豚肉を食べたり。
また、無類の麺好きだったこともあり、
中国から亡命していた儒学者を呼び寄せ、
麺の作り方を調べ、ラーメンを食べたりも。
ちなみに、ラーメンも、餃子も、チーズも、牛乳も、
日本で最初に食べたのは光圀とされている。
光圀の食への探求は、ついに薬まで行きついてしまった。
中国、朝鮮、オランダから草木を取り寄せて漢方に。
大変貴重な薬だったとしても、
領内で薬を必要とする者がいたら惜しげなく与えたという。
庶民が住んでいる所には、医者もいないし、薬もない。
庶民は病気になったら自然に治るのを期待するしかない。
求めやすい漢方薬の処方を編纂し彼らに与え、彼らを救え。
光圀は水戸藩の医師に命じ、
いまで言う家庭の医学書「救民妙薬」を発行させる。
食べることが好きだった光圀だったからこそ、
誰よりも薬の大切さに気づいたのかもしれない。
73歳まで生きた光圀。
「この紋どころが目に入らぬか」
肌身離さず持っていた印籠は薬箱である。