藤本組・上遠野茜

上遠野茜 16年4月9日放送

160409-011
jean.
たまごの話「岸田吟香の卵かけご飯」

炊きたてのご飯の真ん中に、
新鮮な卵を割りいれ、しょうゆをひとたらし。
あぁ、たまらない。
日本人が愛してやまない究極のシンプルフード、卵かけご飯。
最初に広めたのは、明治時代の新聞記者・岸田吟香と言われる。

岸田はかなりの冒険家だった。
突然記者を辞めたかと思えば、辞書を作ったり、目薬屋を始めたり。
生涯手がけた事業の数は、なんと10を超える。
型破りな性格の大男に、ついたあだ名は「奇人吟香」。

卵料理自体がまだまだ珍しかった時代。
卵を生のままご飯にかけるという発想は、
どれだけ斬新だったのだろう。

時代の一歩先を行く奇人のセンスがなければ、
卵かけご飯はこの世に生まれなかったかもしれない。

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上遠野茜 15年12月12日放送

151212-04
Tomomarusan
ケーキの話 藤井林右衛門

クリスマスにはやっぱりイチゴのショートケーキ。
実はそれ、日本だけの文化だと知っていますか?

不二家の創始者、藤井林右衛門。
アメリカで出会ったショートケーキを、
日本人好みの味に改良してクリスマスシーズンに売り出した。
それが、ジャパニーズ・クリスマスケーキの始まりだと言われている。

そもそもアメリカのショートケーキは、
サクサクのビスケット地を土台にした、全くの別物。
ふわふわのスポンジと生クリームが層になり、
イチゴがのったあの形は、日本発祥なのだそうだ。

しかも、なんでクリスマスに?
たしかに生クリームは白い雪を、イチゴは赤いサンタを
イメージしているようにも見えるが、
「あのおめでたい色合いがウケたのだ」と言う人もいる。
クリスマスに紅白を取り入れるなんて、
なんとも日本らしいアイデアだ。

「不二家」の名前には、3つの由来がある。
創業者・藤井家。2つとない、不二の店。
そして最後は日本のシンボル、そう、富士山。

うーん、日本人にウケるもの、
やっぱりわかっていますね、藤井さん。

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上遠野茜 15年8月22日放送

150822-02
thefoxling
あるオタクの話 クエンティン・タランティーノ

32歳の誕生日にアカデミー脚本賞を受賞した映画監督、
クエンティン・タランティーノ。
ディープな映画オタクとしても有名だ。

20代はレンタルビデオ店で働き、毎日映画三昧。
ハリウッド映画のみならず、マカロニウエスタンや
日本のヤクザ映画、B級モノまで観まくった。
映画の話が白熱すると客でもお構いなしに殴り倒し、
敬愛する映画監督には直接会いに行くほどの
熱烈な映画オタク。

タランティーノ作品の特徴は、
大好きな映画のエッセンスや友人のエピソードを
脚本に盛り込んでしまうこと。

他人の焼き直しだと批判され、友人たちに恨まれても、
彼はこう開き直る。

「俺はかつて作られた映画全てから盗む」

オタク愛の示し方は、人それぞれだ。

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上遠野茜 15年7月18日放送

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ホームランの話 ベーブ・ルース

「病気の少年のために、野球選手がホームランを約束する」

そんなストーリーの大元となったのは、
メジャーリーグの伝説、ベーブ・ルースだ。

ある日ルースは、病気で入院するファンの少年のため
ホームランを打つことを約束。
試合で見事にそれを果たし、少年を勇気づけたという。

「約束のホームラン」
そう呼ばれたこの逸話には、まだ続きがある。

20年余りが過ぎ、
晩年のルースが病気のため入院していた頃、
たくましい海軍隊員が彼を見舞った。
それは病気を克服し、立派に成長を遂げた当時の少年だった。

人一倍子供好きだったルース。どんなに喜んだだろう。

球史を塗りかえたホームラン王は、
人と人の間にも見事なアーチをかけた。

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上遠野茜 15年5月10日放送

150510-06

母を生きた人 石川啄木の母・カツ

石川啄木の母・カツは、
病弱な息子をとてもかわいがった。

そんな母の思い出を、啄木は歌で残している。

 あたたかき飯を子に盛り古飯に湯をかけ給ふ母の白髪(しらがみ)

子供には炊きたての温かいごはんを盛り、
自分は残り物のごはんにお湯をかけて食べる。
「母の愛」と呼ぶには照れくさいほど、
さりげない母のやさしさ。

決して特別なできごとではない。
けれど、こんなありふれた日々をあざやかに切り取ったからこそ、
啄木の歌は時代も国境も越えて
今も共感されているのかもしれない。

母の平凡な愛なくして、どんな天才も生まれない。

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上遠野茜 15年5月10日放送

150510-07
水葉
母を生きた人 石川啄木の母・カツ

石川啄木の母・カツは、
ご多分に漏れず嫁の節子と折り合いが悪かった。

間に挟まれた啄木としては、
さぞ居心地が悪かったのだろう。
思わず歌にしてしまうほどに。

 猫を飼はばその猫がまた争ひの種となるらむかなしき我が家(いへ)

家庭を和やかにしようと猫を飼っても、
それがまた嫁姑問題となりかねないとは。

息子を愛する母のライバルは、今も昔も変わらない。

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上遠野茜 15年5月10日放送

150510-08

母を生きた人 石川啄木の母・カツ

石川啄木が母・カツのことを詠った、
あまりにも有名な歌がある。

 たはむれに母を背負ひてその余り軽きに泣きて三歩あるかず

ずっと変わらないと思っていた親が
ふとした瞬間、急に年老いて感じる。
そんな経験をした人は少なくないはずだ。

父親が職をなくして以来、
生活苦から家族を救えないままでいた啄木。
そのやるせなさは、人一倍だったろう。

年老いた母を想うその普遍的な感情は、
やがて世界中の言葉に翻訳されて詠い継がれている。

そんな天才歌人が最後まで願っていたこと。
それは、平凡な親孝行だった。

 わが母の死ぬ日一日美(よ)き衣を着むと願へりゆるし給ふや

私の母が死ぬその日一日くらい、美しい服を着よう。
そう願うことをどうかお許しください。

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上遠野茜 15年4月11日放送

150411-03
Daniel Staemmler
ティム・バートン

その瞬間、映像を一時停止するように
世界のすべてが、ぴたり、と止まった。

静まり返ったサーカス会場で、
動いているのは主人公ひとりだけ。
飴細工のように固まった炎をかわし、
道化師の輪をくぐり抜け、
空中で浮いたままのポップコーンを手で払い落としながら
彼が歩み寄った先には、美しい女性の姿があった。

ティム・バートン監督の映画「BIG FISH」のワンシーン。
主人公が運命の人に出会ってひとめぼれするさまを、
ハリウッドを代表する鬼才は
時を止めることで鮮やかに表現してみせたのだ。

バートンは、あるインタビューでこんな言葉を残している。

「僕に未来はない。あるのは今だけだよ」

この一瞬を愛することができるなら、
人生はもっと素敵になるはずだ。

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上遠野茜 15年3月21日放送

150321-02
afagen
Spring has come!  高峰譲吉の春

アメリカ、ワシントンD.C.。
遠く離れたこの街にも「日本の春」が来ることを、
あなたは知っているだろうか。

ポトマック湖畔のほとりに咲く3000本の桜。
科学者・高峰譲吉の尽力によって
日本から贈られた桜たちだ。

エリート官僚の道を捨て、アメリカに渡った高峰。
頼る者もいないその地で
困難にぶつかりながらも挑戦を重ね、
やがて多くの研究成果を上げる。
1901年、彼の抽出したアドレナリンは
医学界の大発見となった。

はるばる太平洋を渡り、
アメリカに根を下ろした桜の木々。
異国の地で、今では見事な花を咲かせるその姿は
まさに高峰の生き様そのものだ。

厳しい冬を乗り越えるから、春は美しい。
今年もワシントンには
大勢の人が日本の春を慈しみにやってくる。

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