五島のはなし。

五島のはなし(44)

同じ五島・福江島出身の妻が、
幼い頃に祖母から歌ってもらってた
子守唄がありまして、それを書き起こすと

〇〇ちゃんば ぶんぶくに やったなら
ちょっぱげも なんも ながらかし
これから なんで くんでのもか
ギーッココン バーッココン
ギーッココン バーッココン

(〇〇のところは、子どもの名前が入ります)
となります。
訳すと、

〇〇ちゃんを 水汲みにやったら 
ちょっぱげも 何もかも (川に)流してしまい
これから 何で (水を)汲んでのもう?

ってとこでしょうか。
ギーッココン バーッココンは
子どもを(あやすために)揺らす動作に合わせた音だと思います。
この歌の中の「ちょっぱげ」は、
僕も聞いたことがない言葉だったので
「五島雑学辞典」で調べてみたら、載ってました。

ちょっぱげ : 瓢箪をくりぬき、容器にしたもの。
         サイズの小さなものは、ひしゃくとして用いた。

ということが書かれてあります。さらに、

「五島では、ちょっぱげに赤飯を入れて河童にあげていたが、
 なぜか河童はいつも河の底まで持っていくことができなかった。
 そこで人々は、河童がちょっぱげを恐れていることに気付き、
 泉や小川の水汲み場にちょっぱげを置くようにしたところ
 それから、河童にいたずらされることがなくなった」

とありました。
「という言い伝えがある」とかじゃなく、
河童は「いる」前提なとこがすごいですが、
実際五島のじいさんばあさんの中には河童を「いる」ものとして
話す人がいます。
僕も「昔はよく河童と相撲をとった」という話を聞いたことがあります。
まあ、いるっていうんだから、いるんでしょうね。

五島雑学辞典

五島雑学辞典

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五島のはなし(43)

子どものころ言われて、
いまもなんとなくやっちゃいけないと思ってること
けっこうありませんか。
迷信だと思うのですが。

●夜に口笛を吹くとヘビが来る。
●靴下をはいて寝ると、親の死に目に会えない。
●夜にツメを切ってはいけない。
●新しいクツは夜のうちに玄関におろしておく。
●「し」という字が含まれる名前を赤い色で書いてはいけない。
●みみずにおしっこをかけるとオチンチンが腫れる。
●お盆明けの8月16日は地獄の釜のふたが開いているから海に入ってはいけない。
●家の中にいるクモを殺してはいけない。

僕が覚えているものでは、
ざっとこんなところでしょうか。
全部五島にいるころに聞いたものですが、
こういうのって、どのくらい地域差があるんですかね?

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五島のはなし(42)

この夏、実家から持ち帰ってきた
「五島の史話と民話」という小冊子の
第1ぺージ目に、五島の歴史年表が載っていました。
年表のいちばん最初に書かれていたのは、

695年(西暦)  深江、五社神社創立。

深江は僕の出身地である福江の昔の呼び名であり、
五社神社は僕が生まれたときからお参りしている神社です。
え!そんなに古い神社だったの?!と正直驚きました。

小さな神社です。
子どものころから、お祓いをしてもらうときにに鳴る太鼓が
なぜか可笑しくて、兄と二人わけもなく笑っていました。
不謹慎です。

そういうときは、神主さんが祈りを捧げる
祭壇(と言っていいんでしょうか)の向こうに広がる深い竹林を
見つめます。何かがいそうで怖いんです。
実際、たぶん、何かいるんでしょう。
1300年もの間、たくさんの人たちが、
いろんなことを祈ってきたと思うと気が遠くなります。

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五島のはなし(41)

むかしむかし、五島のある山の中に
「ぐつ」という名の男が住んでいました。

ぐつは、お母さんとお兄さんといっしょに暮らしていて、
お兄さんは、わなで獣をとるのを生業としていました。

ある日、お兄さんはぐつに言いました。
「ぐつ、わなに何かかかっていないか見てこい」
ぐつはわなを見に行きすぐに帰ってきました。
「何かかかっていたか?」お兄さんが聞くと、ぐつは
「隣のニワトリがかかっていたから逃がしてやった」と言います。
お兄さんが「何と言って逃げたか」と聞くと、ぐつは
「けんけんと鳴いて逃げて行った」と答えました。
お兄さんは怒って「お前はバカだな、それは鶏でなく雉だ」と言いました。

次の日、またお兄さんはぐつにわなを見てこいと言いました。
ぐつはすぐに帰ってきて、
「お兄さん、今日は隣の子牛がかかっていたから逃がしてあげた」と言いました。
逃げるときになんと言ったかとお兄さんが聞くと、
「おつんようおつんようと鳴いた」と答えます。
お兄さんはカンカンになって、「お前のようなバカはいない、
せっかく猪がかかっていたのに。これからは、わなにかかっていたものは何でも
逃がさずにぞろぞろ引っ張ってこい」と叱りつけました。

その次の日、ぐつがお兄さんに言われてわなを見に行くと
薪採りに出かけていたお母さんが誤ってわなにかかっていました。
お母さんはぐつを見ると、「ぐつよ、早くわなを外しておくれ」と言いました。
するとぐつは、「お兄さんに叱られるからできないよ」と言って
そのままお母さんをずるずると引っ張ってきました。

苦しさに耐えかねたお母さんは「ぐつよ、つらいから引っ張らないでおくれ」と
頼みましたが、ぐつは「お兄さんが掛っているものは何でも逃がさず持ってこい
と言ったから」と首を縦にふりません。
お母さんはその道中とうとう死んでしまいました。

お兄さんはぐつをこっぴどく叱り、
「お母さんの葬式を出さなければいけない。和尚さんを呼んで来い」と言いました。
ぐつが「和尚さんとは何ですか」と聞くと
「黒い格好で拝む人が和尚さんだ」と言います。
「黒い格好、黒い格好・・・」ぐつは牛小屋に行くと、黒牛に向かって
「お母さんが死んだから来てくれ」と言いました。すると牛が「もう」と鳴きました。
ぐつが家に帰り、お兄さんに「和尚さんが、もういやと言った」と言うと、
お兄さんが「お坊さんはどこにいた?」と聞きました。
「牛小屋にいた」「馬鹿者、和尚さんは寺にいるのだ」「寺とは何だ?」「高い大きな家だ」

あきれたお兄さんは自分で和尚さんを呼びに行くことにし、
ぐつに「お前は飯を炊いておけ」と言いました。
お兄さんが出かけた後、ぐつが飯をたいていると、鍋がグツグツ言いました。
ぐつは自分の名前を呼ばれていると思い、
鍋に「なんだ?」と声をかけると、今度は鍋が「ぐつくった、ぐつくった」と言います。
ぐつは鍋に「俺はくわん」と言いましたが、鍋は「ぐつくった」と言い続けます。
ぐつはとうとう腹を立て、鍋を石の上めがけ投げつけました。
すると鍋は「くわん」と言って割れました。
「それみろ、だから俺はくわんと言うのに。早くからそう言えば割られずにすんだのに」と
ぐつは言いました。帰ってきたお兄さんにその成り行きを話すと、
お兄さんから大目玉をくらいました。

今度はお兄さんから「和尚さんのために風呂をわかせ」と言われました。
火をくべて少したって、湯に手を入れてみると熱かったので、
ぐつは「沸いたぞー」と知らせました。
和尚さんが入ると下の方はまだ水で、
「ひゃあ冷たい、風邪をひくから、なんでも火にくべろ」と叫びました。
そこで、ぐつは「はいはい」と答えると、和尚さんの下駄から衣類まで
すべて燃やしてしまいました。
和尚さんが風呂から上がると何もありません。
腹を立ててみましたがらちがあかず、
丹前を借りると、それを頭からかぶって帰りました。おしまい。

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五島のはなし(40)

五島列島の良さを知ってもらうことで
「島といえばハワイか五島だよね」くらいにしたい。
そんな目論見で日々書いています。

さて、いままで五島のあれこれ書いてきましたが、
大事な場所を忘れていました。

その名も、大瀬崎灯台(おおせざきとうだい)。
200万カンデラという日本一の明るさで海を照らし、
日本最後の夕陽を眺められる場所です。

日本の灯台50選
日本の夕陽100選

にも選ばれています。
日露戦争のとき、
バルチック艦隊発見の電報を受信したのもこの場所(だそうです)。

観光パンフレットに載ってある「行き方」を見たら、
「大瀬崎灯台入口のバス停でバスを降り、徒歩40分」と書いてありました。
40分って・・・
歩かないでしょうふつう。

福江島の市街地から車で約1時間半。そこから徒歩。
(自家用車ならば奥の駐車場まで行けて、そこから徒歩20分で灯台です)
僕自身も灯台のある先端まで行ったのは
いままで5回あるかないか、です。 が。
遠いだけのことはある、絶景です。

大瀬崎灯台

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五島のはなし(39)

五島の観光パンフレットに
載っているキャッチフレーズあれこれを紹介します。

「西海国立公園。五島列島」 事実直球型ですね。
「雄大な自然と、歴史あふれる癒しの島・・・」 ・・・がミソです。
「蒼き海原が誘い、碧深き山が迎える」 きっとコピーライターが書いてるな。
「巡礼の旅 心安らぐ祈りの島へ」 教会めぐりのススメ。

今年見た中でいちばん僕にヒットしたのは、

「今から選ぶなら、五島がふるさと!!」

大胆です。戦略的でもあります。
今までのあなたのふるさと、それはそれでいいでしょう。
でも今から選ぶなら(この考えが大胆)。
第2の、いや第3、第4のふるさとでもいいから。
そして、「いかがですか?」という提案ではない。
言い切っているところが気持ちいい。びっくりマークも2つ。
したたかなキャッチフレーズです。

あ!見落としていた。
同じパンフレットの下の方に、小さく
「子守唄の流れるしま」
という別のキャッチフレーズも書いてある!
しかも五島椿をモチーフにロゴ化されている!
でも子守唄・・・?
よしこの際だ、島中に流れてることにしよう。

パンフ巡礼パンフ蒼きパンフ今からパンフ子守唄

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五島のはなし(38)

お盆の時期には、
親戚や先祖の話になることが多く、
僕も一時期まわりに聞き込み調査をしては
勝手に家系図をつくったりしていました。

自分のルーツが知りたいというよりも、
たとえば祖父の兄弟たちがそれぞれどんな人生を送ったか
みたいな昔話には、必ずと言っていいほど、
単なる事実とはちょっと違う物語性がまとわりついてきて
それがおもしろいんです。

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」という小説は
その事実だけど事実ではないような、
一族の神話みたいなもので埋め尽くされていて、
読むたび、五島のじいさんばあさんの話みたいだと思います。
というか、たぶん世界中のじいさんばあさんの話みたいな話なんでしょう。
そして、そういう話には否応なくのめりこんでしまう魔力があります。

そういえば。
数年前のやはりお盆の時期、母方の従兄弟が、
彼の叔父から見せられた家系図のことを話してくれました。
その家系図は、曾祖父の世代くらいまでは名前が書かれているのですが、
その先は「・・・・」と省略されて、突然「桓武天皇」になってたそうです。

こういう、「アバウトな家系図」みたいなものにも
たまらなく魅力を感じてしまいます。

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五島のはなし(37)

五島の実家に置いてあった
小学校の卒業文集を開いてみたら、
将来の夢「プログラマー」と書いてありました。
今の自分のパソコンの使えなさを考えると
正直意味がわかりません。

そのころパソコンを使っていたわけでもありません。
ただ、小学生にしてメンズクラブを愛読し、
誰よりも早くパソコンを購入した友人に影響されていたことは覚えています。

「メンズクラブ」と「パソコン」にあこがれた島の小学生は、
それが何かも知らないのに夢は「プログラマー」と語り、
高校時代は将来「NASA」で働くとほざき、
部活はずっと「バスケットボール」で、やがて
「アメリカ」に留学し、日本に帰って「コピーライター」になりました。

僕が死んだら、
墓には「もっと横文字を」と刻まれることでしょう。

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五島のはなし(36)

36回目です。
祝、僕の年齢と同じ回数。
12で割り切れる数字です。つまり丑年、年男です。
年始に見た占いに、丑年の人は今年活躍するでしょう、
特に「広告・出版」業界の人は、目覚ましい活躍をします。
と書いてありました。
いまのところ、その占い師に「うそつき!」と叫びたい状況です。

さて、今回実家に帰ったら、親が僕の大学時代の荷物
(大学卒業と同時に留学したので、まとめて島に送っていたらしい)を
整理していて、そしたら、そのころにもらった手紙が
どっさり出てきました。手紙をやりとりしてたんだなあ~としみじみ。
まだケータイ(メール)ありませんでしたからね。

その中の多くは死んだ祖母からのもので、
すべて現金書留でした。
手紙が入っていて、読み返してみたら、しめくくりはいつも
「ばあちゃんからお金をもらっことは誰にも言わないように」

そのころ祖母はうちの母にお金の管理をまかせていて、
お金を送っているとなると「甘やかすな」と咎められるので
そう書いたのでしょう。
実際、母は頻繁に小遣いをせがむ祖母に
「また何に使うつもりね?」と小言を言ってたらしいです。

この夏、そのお金が僕(やたぶん他の孫たちも)に送られていたこと、
筆不精だった祖母が一所懸命手紙を書いていたことを、
はじめて知った母は泣いたそうです。
そのせいもあってか、この夏は母の孫たちへの応対が
いつもよりやさしく、僕としては、
「ばあちゃん、グッジョブ!」という気分でした。

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五島のはなし(35)

ぼくの実家から歩いて2分くらいのところに、
「明人堂」があります。
かつて、明の国から五島にやってきて貿易なんかを
活発に行っていた「王直」という人がまつられています。

有吉佐和子は、その著書の中で五島にふれ、
種子島に鉄砲が伝わる以前に、すでに日本に鉄砲が入ってきてたんじゃないか、
それにこの王直が一枚かんでたんじゃないか、
その証拠に、王直は鉄砲に使う火薬を交易の品として運んでいた、
さらに種子島に鉄砲が伝わったとき、この王直の名前が出てくる
という説を述べています。

「鉄砲伝来、実は五島が先だった」ら。
もっと五島はメジャーだったのに!日本史の教科書でみんな必ず覚えるのに!
宇宙センターだって五島にできてたかもしれないのに!

ちなみにその王直さんのことを父に聞いたら(父は市役所で働いていた)、
「王直さんは中国の〇〇省出身で、わざわざそこに姉妹都市を結びに行ったよ~」
なんて言ってました。
先方では「へ~、そんな人いたんだあ、じゃあ、姉妹都市になりましょう!」
と歓待してくれたそうです。

明人堂

明人堂

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