五島のはなし。

五島のはなし(34)

昨日、世界陸上男子マラソンで
6位に入賞した佐藤敦之(さとうあつし)選手。
北京五輪では最下位の76位で、
まさに「どん底」を味わって臨んだ大会でした。

40キロを過ぎての激走で2人を抜き、
ゴールを駆け抜けたとき
天を仰ぎ大声で何度も叫んでいました。

直後のインタビュー。
「もう陸上をやめようと思ったけれど、ある人から、
どん底からはい上がるのが会津の人間だ、と言われて・・・」

感動的でした。
と同時に「どん底からはい上がるのが会津の人間だ」にしっくりくるのは
「会津」だからだよなあとも考えました。
もし僕がどん底を味わっていて、五島の人間から、
「どん底からはい上がるのが五島の人間だ」と言われたら
思わず顔を上げて、「ほんと~?」とつっこみたくなります。

どん底の五島人に、他の五島人が、どんな郷土魂を根拠にして励ますか。
考えてみたのですが、そもそもそんな郷土魂が希薄な気がします。
あえて言うなら、
「どん底っちいうたっち、生きていかんばしょんなかろーもん」
(どん底だろうがなんだろうが、生きていくしかしょうがないでしょ)
かなあ。

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五島のはなし(33)

僕が通った五島高校は、
城壁の中にあります。
そのころは、高校とはそういうもんだ、としか
思ってなかったですが、考えてみれば特殊です。

五島城は、「日本で一番最後にできた城」なんだそうです。
つまり、江戸の末期も末期。
世の中が、もう将軍の時代じゃないんじゃない? そろそろ開国じゃない?
と言ってた頃に、五島ではようやく「よし、城をつくろう」と
なったわけですが、これには理由があって、
「黒船の襲来に備える」ために建てられたのだそうです。
三方を海に囲まれた(現在は埋め立てのために海に面していませんが)
日本で唯一の「海城」でした。

結局、お城として存在した期間はとても短く、
本丸の跡に校舎が建てられ、今年で110年。

僕が在学中に90周年記念行事をやった覚えがあるから
それからもう20年。早いなあ。
毎日くぐった城門を改めて眺めてみたら
なかなかかっこいいのでした。

この門の先に高校が。

この門の先に高校が。

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五島のはなし(32)

五島つばき

五島つばき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五島の花といえば「椿」です。
観光パンフレットの表紙にもたいてい
椿の花が載っています。
つばき油も名産です。

そういえば、以前伊豆大島に行ったとき
椿の木をよく見かけました。
火山でできた風景や、椿の花を見て、
五島にとても似ているなあと思ったことを覚えています。

そんな五島が誇る花を名前にもつ演歌歌手、
それが「五島つばき」さんです。
五島の人にとってはこんなにわかりやすい名前はありません。

たとえて言うなら、
日本の誇りを胸に世界に飛び出したシンガーの名前が
「日本富士山」である、という感じでしょうか。
・・・いや、あまりいい例えじゃないか。

とにかく五島つばきさん。
演歌界に五島旋風を巻き起こしてもらいたいです。
どこかで目にしたら、ぜひ応援お願いします。

がんばれ、五島!
がんばれ、五島つばき!

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五島のはなし(31)

五島のことが好きな大きな理由は、海です。
海というか「獲物」と言ってもよいかもしれません。
実家に帰っている間は、とにかく海に行きまくります。
毎年欠かさないのが、兄と釣り歩く「あらかぶ」。
東京ではカサゴと呼ばれる魚です。

僕はこのあらかぶという魚を愛していて、
その愛を言葉にするのは難しいです。
姿、色、味、住んでる場所、生き方。
すべてを愛しています。
そもそも名前がいいです。「あらかぶ」。
なんかこう、ニッポン古来の強さ、みたいな響きです。
ますらおぶり、みたいな。

あらかぶは、海岸の岩と岩の間に隠れ住んでいて
それを釣り歩きます。エサはキビナゴかイカの切り身。
あらかぶは、用心深い魚ではないので
住みかさえ見つければわりと簡単に釣れます。
大きな口をあけて、岩陰からドバッと出てきて、エサをひとのみします。
小さなことは気にせず、大きな口をあけて、思いっきりエサにとびつく。
その姿勢が、小心者の僕に、あこがれのような感情をもたらします。
釣ったあらかぶは、たいていお味噌汁にして食べます。
これがまたうまい。

太陽が高く昇れば、暑いので泳ぎに行きます。
海に入れば子どものころからの習性でつい獲物をさがしてしまいます。
最近は魚介類を捕ってはいけない場所が多いので、
そういう場所で捕らないように気をつけていますが。

泳いでいてサザエを見つけるとうれしいですが
それよりうれしいのはタコです。
タコは岩と岩の間に隠れているのですが、
こちらが近づくとパッと体の色を変えて
「私はタコではありません。岩です。」みたいな主張をします。
僕は僕で、「私はあなたがタコだと気づいてません。ただの海水浴客です。」という
ふりをして近づき、一気につかまえます。
今年もそんな出会いがありました。

  • あらかぶ

    あらかぶ

  • さざえ

    さざえ

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五島のはなし(30)

五島では8月13,14,15のお盆の3日間、
夕方になるとみんながお墓に集まります。

通常、まず12日にお墓に行って、墓石や敷地の大掃除をやって、
それから「灯籠掛け」と呼ばれる、木材でできた枠組みを
墓石の前、もしくは墓石を囲むように組み立てます。
そして13日には、その灯籠掛けに提灯をぶらさげて灯りをともします。

灯りをともしたら、線香をたてて、そのあとは親戚のお墓に
線香をたてに回ります。
それぞれの親戚のお墓にもそれぞれの家族が集まっているので、
近況を報告しあい、だらだらとしゃべります。
おじさん、おばさんが元気にしてたのか、
いとこたちが今どこで何をやっているのか、
甥や姪やはとこたちはどのくらい大きくなったのか、
いまどこで魚が釣れているのか、
を知る場であり、新しい孫たちのお披露目の場でもあります。

子どもたちは話なんかに興味はないので、
みんな花火をやってます。墓の敷地の中で、
すべての子どもが花火をやっているので煙くってしょうがありません。
爆竹がひっきりなしに鳴り、矢がびゅんびゅん飛ぶので
ご先祖様もさぞ落ち着かないだろうと思うのですが、
とにかくそういう感じです。子どもらはお年玉のように
親戚から「花火代」をもらいます。
僕も子どものころはこの花火が楽しみでなりませんでした。
が、いまは煙くてうるさくてしょうがありません。

そうやって、だいたい夕方5時過ぎから7時過ぎまで、
だら~っとお墓にいます。お墓は海のそばか、河のそばか、
お寺のまわりかそんなとこに広がっていて、
たくさんあるお墓のほぼすべてが提灯で覆われているので
日が暮れて、墓のあたりを遠くから眺めると、とてもきれいです。

ひときわたくさんの提灯をともしている墓は、
この1年に家族の誰かが亡くなった家(初盆)の墓です。
初盆を迎えた家族は、まわりの人たちが帰った後も墓に残っています。
僕ももう何度か初盆を経験しましたが、
真っ暗になっても、もうちょっと墓にいようよ、という気分になります。

  • 灯籠掛け

    灯籠掛け

  • 初盆の家は遅くまで

    初盆の家は遅くまで

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五島のはなし(29)

東京にいるときの僕はお調子者で、
できもしないことをすぐ「まかせてください!」なんて言うんです。
「五島のはなし、五島から生更新します!」
とかなんとか言っちゃってましたが、
五島の空港に着いた瞬間、「んなことできるわけねー」と思いました。

青い海、青い空、そして根が怠惰な私。
この3つの要素がそろって、どうやって、
島でわざわざパソコンの前に座れるというのでしょう。
空港に着いたその1時間後には海で釣り糸を垂らしていました。

それからというもの海、海、海、墓、海、墓、海、となりの島の海、また海、
みたいな生活をしておりました。8日間の滞在で15回は海に行ったんじゃないでしょうか。
ちなみに「墓」というのは、五島ではお盆の3日間、
ほぼすべての島民が墓に集まるので、そのことを指しています。

あまりに遊びすぎたのと、東京での暮らしに戻れるか心配なのとで、
帰りの飛行機に乗る2時間くらい前から具合が悪くなり、
うんうんうなってました。そして昨夜遅く帰京。今日から出社。一日中廃人でした。

毎年、夏の五島から帰ってくると重い気分になります。
「なぜ自分は東京で働いているのだろう?」なんてことを考えてしまうわけです。
そんなに都会にあこがれているのか?
赤坂見附を「みつけ」と呼ぶ時の優越感にひたりたいのか?
島に帰って何の不都合があるのか?
夢をあきらめるのがイヤなのか?そもそも夢なんか持ったことないだろ?
バカみたいな自問自答を一日中してました。
帰省するまでは、仕事に対してのモチベーションが高く、
職場でどんな仕打ちにあおうと、
おれは「雨だれ石をも穿つ」の雨だれなんだ!くらいの勢いだったのに。
今日は精神が干からびたミミズみたいになってました。

さっき、家に帰ってくる電車の中で「夢見るヒコーキANA」のCMが流れていて、
僕はあのCMが好きで、そのとき、あ、そーだ、おれは
いい広告がつくりたくってここにいるんだと思い出して、
それでちょっと救われたのですが。

・・・ああ、だれか私をビンタしてください。

ともあれ、厚焼玉子さんが書いてくれた「チャンココ」のことだけ
今日は書いておきます。
チャンココは念仏踊りです。
「チャン」という鐘の音、「ココ」という太鼓の音から来ているとは聞いたことがありましたが、
厚焼玉子さんが書いてた「韓国語でチャンゴ=太鼓」は知らなかったです。
ただ、韓国にそういう踊りがあるかというと、ないらしく、
島にいる時もちょっと調べてみたのですが、ルーツはわからないようです。

お盆になると商店や家をまわって若者たちが踊ります。
念入りに踊っていれば、そこは初盆の家です。
チャンココの踊りが受け継がれているのは特定の地域だけで、
僕自身はその地域に生まれ育っていないので、踊ったことがありません。
子どものころはただ「お盆になると見かける踊り」としか思ってませんでしたが、
年をとると、死んでしまった親しい人たちの記憶と結びついて
切ない気分をもたらす踊りになってます。

五島はお盆が一大事です。
島の人口が3倍くらいになっているんじゃないかと思います。
五島のお盆については、また明日書きます。

チャンココ(8月13日撮影)

チャンココ(8月13日撮影)

ここから生更新するつもりだった、公共ネット施設(のポスター)

ここから生更新するつもりだった、公共ネット施設(のポスター)

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五島のはなし (番外)

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「五島のはなし」連載中の中村直史くんが
五島に帰ったきり、ちっとも記事を更新しなくなりました。

図書館のパソコンで仕事をする羽目になったという
噂もききますが、もしかしたら
鯛やヒラメと舞い踊っているのかもしれません。

折しもいま、五島の福江島は
お盆の行事「チャンココ踊り」の最中です。
写真のように腰ミノをつけて花笠を被った人たち、
(なんだか派手な浦島さんのようです)が踊ります。
直史くんも踊っているのかもしれません。
その際、鯛やヒラメや乙姫さまはご一緒なのでしょうか。
興味があります。
興味がありますが、直史くんは記事を送ってくれません。

さて、そのチャンココ踊りは長崎県の無形民族文化財です。
チャンと鉦を鳴らしてココと太鼓をたたくから
「チャンココ」だ、という説もありますが
やはりここは韓国語をひもといて
「チャンゴ」=「太鼓」であることを理解すべきと思います。
発祥は定かではありませんが、
800年ほど前から伝わっているそうです。
親から子へ伝授される踊りだそうで
観光客が飛び入りで踊れるものではありません。
(だいたい腰ミノは普通に売っていないと思います)

中村直史くんもお父さんから伝授されているのでしょうか。
腰ミノを用意すれば踊ってみせてくれるでしょうか。
帰京が待たれます(厚焼玉子)

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五島のはなし(28)

今日、ふと、そろそろ夏休みの
登校日だなあと思いました。
五島は長崎県なので、8月9日が登校日。
11時02分には黙とうをします。

話は変わりますが、Visionの原稿を書くために
戦争にまつわる歌のことを調べていたら
美空ひばりさんの「一本の鉛筆」に出会いました。

あんまり有名じゃないそうなんですが、
ひばりさんは、持ち歌の中のベスト10にいつも入れていたそうです。
・・・という話はともかく、いい歌です。
ほんといい歌です。

また話は変わりますが、明日から五島に帰ります。
現地から五島のはなしをお届けするのが目標です。
でも五島に着いたとたん、忘れてしまうかもしれません。

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五島のはなし(27)

僕が小学生のころに出た「ちびっこ相撲大会」で、
ひとつ下の学年にも関わらず、
圧倒的強さで優勝した少年がいました。

ぼくは3回戦で彼と対戦し負けたのですが、
いまではこれ、けっこう自慢です。
彼は大人になり、立派な幕内力士になったのです。
小柄ながら、地道な練習に支えられたテクニックを持ち
4度の技能賞に輝いた時津海。
数年前、相撲を見ようと国技館に両親を連れていったとき、母は
気が狂ったように「ぎばれ、時津海!」と叫んでました。
五島の英雄ですからね。

現在は時津風親方として、まだ若いながらも、
新生、時津風部屋を率いています。
今、時津風部屋を率いることは、どんなに困難なことかと想像します。

ぎばれ、時津風親方!

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五島のはなし(26)

Visionの原稿を書くために入った図書館で、
たまたま手に取った雑誌にすっかりやられてしまいました。

別冊太陽「白川静の世界」。
サブタイトルは「漢字のものがたり」。
白川さんは漢字の学者なんですが、彼によると
漢字とは「呪的儀礼を文字として形象化したもの」なんだそうです。
神さまの世界と日常とをつなぐ「儀礼」をかたちにしたものが漢字。
すごくないですか?
僕は単純に「もののかたち」が文字になったのが漢字だと思っていたので
かなりショッキングな話でした。

いろんな漢字にいろんな呪的バックグラウンドがあるのですが、
いちばん驚いたのは「道」。
「道」は自分のテリトリーから外に出る際に
外の世界に満ちた霊的パワーに負けないように(簡単に言うとおまじないとして)、
「生首を手に持って歩く様」なんだそうです。
すごすぎませんか?

この白川静さんという学者もすごいのですが、
彼の特集を組んだ「別冊太陽(2001年12月発行)」のできばえも質が高く、
編集者たちを尊敬してしまいました。

・・・今日は全く五島のはなしでなかった。
なにはともあれ、がんばれ、五島!

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