想回家的
涼をたのしむ 金魚
ゆらゆらと涼しげに泳ぐ、金魚。
ルーツは1700年前、中国で突然変異した、
赤いフナだと言われている。
日本では、江戸時代から養殖が盛んになり、
金魚売りや金魚すくいが、夏の風物詩となった。
当時は、桶や鉢の中で育てたので、
上から見て美しい姿へと、様々な品種改良がなされた。
背びれのない「らんちゅう」は、その代表だ。
金魚の赤い色は「病魔を遠ざける」と言われている。
この夏の不安も、暑さと共に吹き飛ばしてくれるかもしれない。
想回家的
涼をたのしむ 金魚
ゆらゆらと涼しげに泳ぐ、金魚。
ルーツは1700年前、中国で突然変異した、
赤いフナだと言われている。
日本では、江戸時代から養殖が盛んになり、
金魚売りや金魚すくいが、夏の風物詩となった。
当時は、桶や鉢の中で育てたので、
上から見て美しい姿へと、様々な品種改良がなされた。
背びれのない「らんちゅう」は、その代表だ。
金魚の赤い色は「病魔を遠ざける」と言われている。
この夏の不安も、暑さと共に吹き飛ばしてくれるかもしれない。
涼をたのしむ 風鈴
チリーンチリーン。
涼しげな風鈴の音色に、すーっと暑さが引くように思える。
実はこれ、単なる気のせいではない。
20~60代の男女数人を対象に、
蒸し暑い部屋で、風鈴の音を聞かせたところ、
実際に皮膚温度が2、3度下がった、という実験がある。
ただし結果は、日本で生まれ育った人に限ったこと。
風鈴を知らない人には、同じ現象は起こらないという。
風鈴が運ぶ涼しさは、思い出から届くのかもしれない。
nakimusi
涼をたのしむ 打ち水
暑い夏、アスファルトからたちのぼる熱気を鎮めるかのように、
優雅に動く柄杓ときらめく水しぶき。
パシャッ、パシャッと小気味いい音を立てて撒かれる”打ち水”は、
客人を茶室に招き入れる前、地面を清めるために行ったという、
茶の湯の文化が起源だそうだ。
家族や道行く人が、すこしでも涼やかに過ごせるように。
人に水がかからぬよう、手際よく打たれるそのきらめきは、
打つ人の心配りをそのまま映し出す。
うだるような暑さでも、心にすうっと涼しい風が吹く。
打ち水の効果は、そんなところにもあるようだ。
涼をたのしむ 水うちわ
透明なうちわがあるのをご存じだろうか。
骨が透けて見えるほどうすい和紙がはられ、
破れぬようにニスが塗られたこの美しい扇は、水うちわと呼ばれている。
うちわを水にひたしてから扇ぎ、その気化熱で涼む、明治時代のアイデアだ。
アイデアの故郷は、岐阜県。長良川が流れる水の街だ。
人々は、舟遊びの際に川の水に浸しては扇ぎ、涼をとっていたのだという。
一時は継承者が途絶えた水うちわ。
しかし、最近になって復刻し、今では毎年完売するほどの人気だそうだ。
電気も電波もない時代。
そのアイデアは、いつの時代にもやさしくフィットする。
snardxpop
危機一髪 任天堂
1980年、任天堂のアメリカ進出は最初からつまずいた。
開発したアーケードゲームがヒットせず、大量の在庫を抱えた。
在庫を解消するため、新たなゲーム開発を命ぜられたのが
当時28歳の工業デザイナー宮本茂だった。
宮本はマリオが初めて登場するゲーム「ドンキーコング」を開発。
インベーダーゲームが主流の当時、
恋人をさらったゴリラを追いかけるという
ストーリー性のあるゲームは革新的だった。
ドンキーコングは大ヒットを記録。
数百億円を稼ぎ出し、任天堂を窮地から救った。
危機一髪は乗り越えるためにある。
危機一髪 エルメス
ファッションブランドのエルメスは1837年に馬具工房として誕生した。
しかし、その後、交通手段が馬から自動車へと移り変わると、
馬具の需要も減り始める。
多くの馬具工房が廃業する中、
3代目社長のエミール=モーリス・エルメスは新たな事業に乗り出す。
当時発明されたばかりのファスナーに、
馬具づくりで培った革製品の技術を掛け合わせ、
バッグや財布の製造を始めた。
エルメスの新たな革製品は瞬く間に女性たちの目を奪い、
その成功がこんにちのエルメスを築き上げた。
危機一髪は乗り越えるためにある。
危機一髪 愛知ドビー
名古屋の老舗鋳造メーカー、愛知ドビー。
いわゆる町工場として大企業の下請けを担っていたが、
時代が変わり、ピンチに陥った。
そこで下請けから脱するために目をつけたのが鋳物ホーロー鍋。
鋳造技術と精密加工技術を発揮できると製品の開発に
三年もかかったが、
素材のうまみを引き出し、最高の一品を作る鍋。
「バーミキュラ」が完成。
いまや大人気となった鍋は、
どっしりとした風貌でおうち時間をおいしくしてくれる。
危機一髪は乗り越えるためにある。
危機一髪 龍角散
明治4年から続くのど薬メーカー、龍角散。
藤井隆太が8代目社長に就任したとき、
会社は倒産秒読みの段階だったという。
役員たちが新たなプロジェクトを立ち上げようとするなかで、藤井は決断する。
のど関係の商品だけに力を注ぐことを決断。
猛反対にあいながらも、45年続いた類似商品を廃止し、
龍角散の顆粒タイプやのど飴を発表。
めまぐるしいV字回復をなし遂げた。
危機に面したとき、藤井は
「自分たちにしかできないことは何か」を考え続けた。
古臭いと思われているけれど、いいところもたくさんある。
彼は、龍角散と、それを選んでくれるお客さんのことを信じていた。
危機一髪は乗り越えるためにある。
危機一髪 上羽絵惣(うえばえそう)の仕事
1751年からつづく、上羽絵惣。
日本画に使う顔料の胡粉をあつかう京都の老舗だ。
10代目を継いだのは、石田結実さん。
実は、家業を継ぐと同時に多額の借金も引き継いでいた。
廃業も頭をよぎったが、職人たちの背中を見て心機一転。
胡粉の持つ1200色もの和の色をいかした、胡粉ネイルを売り出した。
日本ならではの美しいカラーをそろえた胡粉ネイルは瞬く間に大人気。
上羽絵惣の仕事は、絵具屋ではなく、世の中に色を提案する仕事。
そう捉え直したことで、彼女の世界は鮮やかに色づいたのだ。
危機一髪は乗り越えるためにある。
Rollofunk
危機一髪 21代目の苦戦
1625年創業の、埼玉のとある造り酒屋は、
昭和になってから、ウイスキー造りも始めていた。
しかし、21代目が家業を継いで間もなく、
経営は危機に直面する。蒸溜所は売却され、
20年物の原酒およそ400樽を破棄しなければならない状況にまで陥った。
21代目は奔走して樽を守り抜き、新たに蒸留所を設立する。
その名は秩父蒸溜所。
今や日本が世界に誇るシングルモルトウイスキー
イチローズモルトを生み出す新進気鋭の造り手だ。
肥土伊知郎社長の夢は、
秩父蒸溜所で造った30年物を飲むこと。
つまり、それまで事業を存続させること。
秩父の樽には今も、肥土の決意が眠っている。
危機一髪は乗り越えるためにある。
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