蛭田瑞穂

蛭田瑞穂 17年9月17日放送

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美味なるイタリア料理 ペッレグリーノ・アルトゥージ

19世紀のイタリアの料理研究家ペッレグリーノ・アルトゥージは
イタリア各地をめぐり、古くから伝わる郷土料理に斬新なアレンジを加え、
そのレシピを一冊の本にまとめた。

それが1891年に出版された『料理の科学と美味しく食べる技法』。
本はどの家庭にも一冊あると言われるほど売れた。

中世以降、都市国家が群雄割拠し、
19世紀の末にようやく国家統一を果たしたイタリアにとって、
アルトゥージの本は「ひとつのイタリア」の象徴とも言えた。

その功績により、現在ペッレグリーノ・アルトゥージは
「イタリア料理の父」と呼ばれる。

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佐藤日登美 17年9月17日放送

170917-04
franzconde
美味なるイタリア料理 カルパッチョが生まれた店

ヴェネチア、サンマルコ広場近くに佇むハリーズ・バー。
創業者であるジュゼッペ・チプリアーニは接客の天才だった。

1950年のある日、ハリーズ・バーに常連客の伯爵夫人が訪れた。
彼女は体調を崩したため、
医者から加熱調理した肉を控えるように言われていた。
そんな彼女のために、チプリアーニは特別メニューを作った。

生の仔牛のフィレ肉を薄くそぎ、
その上にレモン果汁とマスタードを加えたマヨネーズソースを
美しくふりかける。

赤い生肉と白いソースの彩りが、
当時活躍していた画家、ヴィットーレ・カルパッチョの作風を思わせ、
その料理は「カルパッチョ」と命名された。

接客の天才は、
料理のアイディアも抜群らしい。

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佐藤日登美 17年9月17日放送

170917-05

美味なるイタリア料理 ベリーニが生まれた店

ヴェネチアの名物レストラン、ハリーズ・バー。
ベリーニというカクテルは、この店で生まれた。

搾りたての白桃を3分の1。
イタリア生まれのスパークリングワイン、プロセッコを3分の2。
コツは、搾った白桃を最初にグラスに注ぐこと。

カクテルの名前は、
ルネサンス期の画家、ジョヴァンニ・ベリーニの名前から拝借したという。

30年以上ハリーズ・バーでバーテンダーを務めるクラウディオ・ポンシオは言う。

 お客さまが好むお酒は、時間帯によって変わる。
 でも、ベリーニだけはどんな時間にも、どんな季節にも合う。
 だから結局みんな、ベリーニを飲んじゃうんだ。

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森由里佳 17年9月17日放送

170917-06

美味なるイタリア料理 飽きないという驚き

はじめてローマに着いたとき、
シェフ・落合務は「ゴミゴミしたところ」だと思ったそうだ。

フレンチを志していた彼にとって、
イタリア料理はどれも同じでがさつな感じ。

それでも、滞在している数日間、
飽きずに食べている自分に気づいたときの衝撃は、
彼の志を変えるのに十分だったようだ。

 イタリアの飯は、毎日食べても飽きない、
 これは目からウロコだった。
 食事とは本来そういうものだと、初めて気が付いた瞬間だった。

落合務。
今、イタリアンの世界で彼の名を知らない人はいない。

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森由里佳 17年9月17日放送

170917-07

美味なるイタリア料理 たった10人の客

イタリア料理どころか、
「パスタ」という言葉さえ知られていなかったときのこと。

シェフ・落合務はイタリアンレストラン「グラナータ」をオープンした。
しかし、それがまったくふるわない。
たった10人しかお客さんが来なかった夜、
ついに自信を失いかけていた落合に、オーナーがこう言った。

「お前は、来てくれた10人を満足させて帰したのか?」

落合はハッとした。

 それまでの僕は「たった10人しか来ない」とボヤくばかりで、
 その10人をいかに満足させるかなんて考えたこともなかったんだ。

心機一転、反省した落合に転機がやってくる。
イタリア政府観光局の人が訪れ、絶賛してくれたのだ。
彼の口コミで、グラナータは名店への道を駆けあがることになった。

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森由里佳 17年9月17日放送

170917-08
mike wilson
美味なるイタリア料理 自分のための仕事

イタリアンのシェフ・落合務。
彼が料理をつくるモチベーションは意外なところにあった。

 お客さんに喜んでもらう。でも、そんなのは当たり前のこと。
 何のために働くかというと、自分のためなんだよ。
 お客さんが喜んでくれたら、それが自分の喜びにもなるでしょ。
 ということは、結局、自分のためなわけだよ。
 「世のため、人のため」もいいけど、それも自分のためじゃないと、
 少しうまくいかないだけで誰かのせいにしちゃうからね。

つらい修行を前にしても、
お店に人がこなくても、
落合はずっと戦い抜いてきた。

成功の隠し味は、どうやら自分と向き合う力らしい。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

170813-01

左利き サウスポーの由来

映画「ロッキー」。
主人公のロッキー・バルボアはフィラデルフィア出身の
サウスポーのボクサーという設定である。

劇中、ロッキーが恋人のエイドリアンに
サウスポーという言葉の由来を説明する場面がある。

 昔々、200年も前の大昔、
 フィラデルフィアにケンカに滅法強い男がいた。
 そいつは左利きだったから腕はいつもニュージャージーを向いていた。
 つまり、南を向いていたってわけだ。
 だからそいつは「サウスポー」と呼ばれるようになったのさ。

もちろん、これは映画の中のホラ話。
だが、映画のフィナーレでフィラデルフィア出身のサウスポー、
ロッキー・バルボアは見事、世界チャンピオンの座を勝ち取る。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

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Chris Yarzab
左利き サウスポーのボクサー

映画「ロッキー」。
無名のボクサーのロッキー・バルボアが
世界チャンピオンのアポロ・クリードに勝てたのは
ロッキーがサウスポーだったことが大きい。

アポロがロッキーを対戦相手に指名すると、
トレーナーは激しく反対した。

 チャンプ、こいつはサウスポーだぞ!
 サウスポーだけはやめておけ!

右利きのアポロ・クリードは左利きのボクサーを苦手としていた。
だが、アポロは相手の力を見くびっていた。

ロッキーはサウスポーという数少ない利点を活かし、
格上の世界チャンピオンをノックアウトした。

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蛭田瑞穂 17年8月13日放送

170813-03

左利き シルベスター・スタローン

1970年代の頭、シルベスター・スタローンは売れない役者だった。
生活は貧窮の底にあった。

1975年29歳の時、観戦したヘビー級タイトルマッチに感銘を受け、
わずか3日で脚本を書き上げたスタローンは映画会社に売り込みに行く。

これが無名のボクサーが一夜にして世界チャンピオンの座を射止める
映画「ロッキー」の脚本である。

映画は世界的に大ヒットし、その年のアカデミー賞も受賞する。
ロッキー同様、スタローンもまた
この映画によってアメリカンドリームを手にした。

主人公のロッキーがサウスポーのボクサーなのは
スタローン自身が左利きだから。

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佐藤日登美 17年8月13日放送

170813-04
derekbruff
左利き 左利きの大統領たち

8月13日は、左利きの日。
イギリスにある「Left-Handers Club」によって制定された。
彼らの目的は、左利きの人々の生活環境の改善や、
左利きグッズの普及をメーカーに呼びかけること。

記念日である今日は、
左利きに焦点を当てたイベントが開催される。
左利き対右利きで試合。
左利きの人のためのティーパーティー。
パブでは左利き用の栓抜きで酒が開けられ、
左手を使ってカードゲームを楽しむ。

右利きの人も、今日だけは左手を使ってみては。

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