蛭田瑞穂

蛭田瑞穂 15年7月19日放送

150719-01

こども① 宮﨑駿

宮崎駿が初めて読んだ活字の本は
アンデルセンの『人魚姫』だったと言う。
以来宮崎は多くの児童文学に親しんできた。

大学時代は児童文学研究会に所属し、
アニメーションスタジオに入社してからも
会社の本棚にある少年文庫を
片っ端から読みふけった。

児童文学の魅力を宮崎駿はこう述べる。

 児童文学というのは(中略)
 「生まれてきてよかったんだ」というものなんです。
 生きててよかったんだ、生きていいんだ、というふうなことを、
 子どもたちにエールとして送ろうというのが、
 児童文学が生まれた基本的なきっかけだと思います。

topへ

蛭田瑞穂 15年7月19日放送

150719-02

こども② 谷崎潤一郎

谷崎潤一郎は
自分の生い立ちをできる限り詳細に綴ってみようと、
70歳で随筆集『幼少時代』を執筆した。

いちばん古い記憶のこと。父と母のこと。
生まれ育った街のこと。小学校の恩師のこと。
古い記憶を総動員して幼い日のことを振り返る谷崎。
そしてあとがきでこう述べる。

 現在自分が持っているものの大部分が、
 案外幼年時代に既に悉く芽生えていたのであって、
 青年時代以後においてほんとうに身についたものは、
 そんなに沢山はないような気がするのである。

topへ

蛭田瑞穂 15年7月19日放送

150719-03
Vintage Japan-esque
こども③ 茨木のり子

茨木のり子の詩「こどもたち」。
詩の中で茨木は、小さなこどもの見るものは常に断片であるが、
青春期になると突然それまでのすべての記憶をつなぎはじめる、
とこどもたちの記憶について洞察する。

そして茨木のり子は詩をこう結ぶ。

 その時に 父や母 教師や祖国などが
 ウミヘビや毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔のイメージで
 ちいさくかたどられるとしたら
 それはやはり哀しいことではないのか

 
 おとなたちにとって
 ゆめゆめ油断のならないのは
 なによりもまず まわりを走るこどもたち
 今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
 この栗鼠どもなのである

topへ

森由里佳 15年7月19日放送

150719-04

こども④ ボーイスカウトとこどもの国

世界中のボーイスカウトに共通する、
三指の礼。
 
第二次大戦中、
傷ついた米兵と、彼を見つけた日本兵との間に生まれた、
こんなエピソードがある。
 
君を刺そうとした時、君はぼくに三指の礼をした。
ぼくもボーイスカウトだった。
ボーイスカウトは兄弟だ。君もぼくも兄弟だ。
それに戦闘力を失ったものを殺すことは許されない。
傷には包帯をしておいたよ。グッドラック。
 
スカウト精神の結晶ともいえる
このエピソードの記念碑がたてられたのは、
横浜市にある「こどもの国」。
 
戦時中の美談が刻まれた「こどもの国」は、当時、
旧日本軍最大の弾薬製造貯蔵施設だったという。

topへ

森由里佳 15年7月19日放送

150719-05
qooh
こども⑤ レオ・レオニと「スイミー」

小さな黒い魚、スイミーは、
大きな魚を恐れる、赤い魚たちにこう言った。
 
「みんないっしょにおよぐんだ。海でいちばん大きな魚のふりをして。」
(中略)
みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、
スイミーは言った。
「ぼくが、目になろう。」
朝のつめたい水の中を、ひるのかがやく光の中を、
みんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。
 
レオ・レオニの絵本「スイミー」。
 
力をあわせて勇気を出せば、どんなことだってできる。
 
この絵本から、そんなことを感じた子供たちは多いだろう。
 
しかし、実はこの作品には、
もうひとつのメッセージが込められている。
それは、
 
「ぼくが、目になろう。」
 
芸術家として、周りの人に見えないものを見ようとしたレオと、
小さなスイミーの姿が、ゆらりと重なる。

topへ

森由里佳 15年7月19日放送

150719-06
r.nial.bradshaw
こども⑥ 「はろるどとまほうのくれよん」

「あるばん、ハロルドはふっとつきよのさんぽがしたくなった」
 
クロケット・ジョンソンの絵本
「はろるどとまほうのくれよん」は、こうしてはじまる。
 
描いたものは何でも本物になるという、
むらさき色のまほうのくれよん。
 
そのくれよんを拾ったはろるどは、
白い壁にさまざまなものを描いて、大冒険をはじめる。
自分で描いた道を通り、ふねで海を渡り、
おなかがすけばパイを描いて食べもした。
 
まほうのくれよんと想像力を使って、
さまざまなピンチを乗り越えていくはろるどの姿に、
世界中のこどもたちが夢中になった。
 
はろるどがつくりだした、
めくるめくむらさき色の世界は、
こどもたちの想像力をカラフルに色づかせたに違いない。

topへ

飯國なつき 15年7月19日放送

150719-07
Mami_H
こども⑦ 「こそあどの森の物語」

児童作家・岡田淳の代表作の一つである
「こそあどの森の物語」。
 
主人公は、森の中に住んでいる少年「スキッパー」。
内気であまり人を関わりたがらないスキッパーは、 
子供向け小説の主人公としてちょっと異色な存在だ。
 
岡田淳は、スキッパーについてこう語っている。
 
実は、できるだけスキッパーの成長には
ブレーキをかけたいなと思っているんです。(中略)
「自分の世界も大切にしていていいんだよ、
それはとっても素晴らしいことなんだよ…」というのもぼくは思うんです。
 
小学校の図工の先生を務めていた38年間、
いろんな子供たちと触れ合ってきた岡田淳。
 
だからこそ、彼の本には、
物語として「作られた」わけではない、
子供時代のリアルな空気が詰まっている。

topへ

飯國なつき 15年7月19日放送

150719-08
Sergiu Bacioiu
こども⑧ 「夏の庭」

「死体って重い。」
6年生の山下は、おばあさんの葬儀をそう語った。
 
湯本香樹実の小説、「夏の庭」の1シーンだ。
 
登場人物である、僕、山下、河辺の3人組は、
その話をきっかけに「死んだ人が見てみたい」と考えはじめる。
死んだらいったいどうなるんだろう?
興味と恐怖をないまぜに、
3人は、近所で「今にも死にそう」と噂されている
おじいさんの死ぬ瞬間を見ようとおじいさんを見張ることにした。
 
おじいさんに皮肉を言われたり
いつのまにか仲良くなったりしながら、
3人は少しずつ成長してゆく。
 
大人になると、なんとなくわかったような気になってしまう「死」。
 
けれど、湯本香樹実の描き出すこどもたちは、
「死」について、きらきらと純粋に考え、ぶつかってゆく。

topへ

飯國なつき 15年6月21日放送

150621-01

太陽① やなせたかし

 ぼくらはみんな生きている
 生きているから笑うんだ

やなせたかしが作詞した童謡、「手のひらを太陽に」。

この歌を作った時、やなせたかしは、
「自殺したいほどの」厭世的な気持ちに満ちていた。

漫画家を自認しながらも、仕事がうまくいかない日々。
暗いところで、冷たい手を暖めながら仕事をしていると、
ふと、自分の手のひらの赤さが電球で透けて見えた。

 ぼくは(中略)
 自分自身についても全く嫌気がさしていたが、
 それなのになんとぼくの血はまっかで元気そうに動いているのだろう。
 こんなに血が赤いのに、
 ぼくはまだ死んではいけないなとその時に思った。

きっとその時、
ぎらぎらと熱い「太陽」が
やなせたかしの心の中で輝きはじめていた。

topへ

飯國なつき 15年6月21日放送

150621-02
M-Kou
太陽② 岡本太郎

1970年に開催された大阪万博。
シンボルとして、テーマ館の屋根を突き破って
そびえ立つのはかの有名な「太陽の塔」である。

屋根には、当初、穴を開ける予定はなかった。
ところが、岡本太郎は
「べらぼうなものをつくりたい」と言い出し
どうしても70メートルの高さが必要だと譲らなかった。

その土俗的なデザインは、
万博のテーマである「人類の進歩と調和」というテーマを
否定するためだったともいわれている。

岡本太郎はこんな言葉を残している。

「人類は進歩なんかしていない。
 なにが進歩だ。縄文土器の凄さを見ろ。
 皆で妥協する調和なんて卑しい」

屋根を突き破り、そびえたった、岡本太郎の魂。
万博から40年以上たつ今でも、
人々の心を揺り動かし続けている。

topへ


login