蛭田瑞穂

森由里佳 14年6月14日放送

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josemanuelerre
雨に想う① シェルブールの雨傘

カトリーヌ・ドヌーブがヒロインを演じた映画
『シェルブールの雨傘』。

彼女には将来を誓い合う恋人がいた。
しかし、戦争によってふたりは引き裂かれる。

ラストシーンで再会するふたり。
だが、胸の内を言葉にすることができない。
互いに別の人生を歩み始め、家庭もあった。

別れ際、カトリーヌ・ドヌーヴは
かつての恋人にこう問いかけ、静かに立ち去る。

あなたは、幸せ?

そのひと言にどれほど多くの感情が込められているか。
世界中の女性が思いを巡らせ、涙を流した。

『シェルブールの雨傘』。
オープニングで降り始める雨は、
ラストシーンでは雪に変わる。

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森由里佳 14年6月14日放送

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steve lorillere
雨に想う② レ・ミゼラブル

1985年にロンドンで上演されて以来、
世界中で愛され続けるミュージカル『レ・ミゼラブル』。

劇中、叶わぬ恋が描かれる場面がある。

市民革命のさなか、
少女エポニーヌは
ひそかに想いを寄せていた青年マリウスをかばい、
銃弾に倒れる。

静かに雨が降る中、
死の淵で彼女はこう歌う。

 あなたを連れてきてくれたこの雨は、天の恵みだわ。

エポニーヌは始めからわかっていた。
これが叶わぬ恋であることを。
それでも彼女はやすらかに目を閉じる。
マリウスの腕に、初めて包まれながら。

少女の頬をつたうしずくは、涙か、雨か。

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蛭田瑞穂 14年6月14日放送

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hidden side
雨に想う③ 川端康成

川端康成の「掌の小説」のなかに
『雨傘』という一編がある。

父親の転任のため離ればなれになる少年と少女。
雨の中ふたりは写真館へ行き、別れの写真を撮る。

要約すれば、それだけの話である。しかし、

写真屋を出ようとして、少年は雨傘を捜した。
ふと見ると、先きに出た少女がその傘を持って、
表に立っていた。少年に見られてはじめて、
少女は自分が少年の傘を持って出たことに気がついた。
そして少女は驚いた。なにごころないしぐさのうちに、
彼女が彼のものだと感じていることを現わしたではないか。

ふたりの距離が縮まったことを物語る一本の傘。
川端康成は男女の機微をおそろしいほど見事に描く。

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飯國なつき 14年6月14日放送

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雨に想う④ 宮沢賢治

宮沢賢治に「永訣の朝」という詩がある。
最愛の妹との別れをうたった詩だ。

病の床に伏す妹。
外はみぞれまじりの雨が降っている。
激しい熱と喉の渇きに、妹は賢治に
「あめゆじゅとてちてけんじゃ」、
「雨と雪をとってきてほしい」とせがむ。

 ああとし子
 死ぬといういまごろになって
 わたくしをいっしょうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ

死にゆく者を前にして、人は無力である。
賢治は妹の頼みを兄に対するやさしさと受け取った。

 あめゆじゅとてちてけんじゃ

「永訣の朝」の中で繰り返されるこの言葉。
その響きはあまりに哀しく、あたたかい。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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Psicoloco
旅する人① 玄奘

唐の時代、玄奘という僧侶がいた。

「仏教について、一番詳しい人に話を聞きに行こう」。
そんな理由で、聖地インドをめざして旅に出た、
豪胆な人物である。

国禁を犯して出国し、ある時は灼熱の砂漠を越え、
ある時は雪と氷にとざされた山脈を越えた。
その旅の壮絶さは想像に難くない。

そして16年後、玄奘は膨大な数の経典をインドから持ち帰り、
終生を翻訳の作業に費やした。

玄奘が人生を賭したこの旅は、
「西遊記」の物語の元になったといわれている。

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森由里佳 14年5月10日放送

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旅する人② 平田オリザ

劇作家平田オリザは16歳の時、世界一周の自転車旅行に出た。
「なぜ旅に出るのか?」と大人から尋ねられるたびに、
彼はこう答えた。

何故、理由なく旅に出てはいけないのですか?

大義名分を求める大人たちを嗤うかのように、
16歳の平田オリザは飄々と疑問を投げ返した。

平田のその精神は遍歴の旅人ドン・キホーテの物語から
借用したという旅行記のタイトルにも表れている。

『十六歳のオリザの未だかつて
 ためしのない勇気が到達した最後の点と、
 到達しえた極限とを明らかにして、
 上々の首尾にいたった世界一周
 自転車旅行の冒険をしるす本』

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蛭田瑞穂 14年5月10日放送

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旅する人③ ジョン・スタインベック

作家ジョン・スタインベックは58歳の時、
愛犬のチャーリーと共に旅に出た。

自分は祖国の実情を何も知らないのではないか。
そう思った末の、半ば衝動的な旅だった。

自らクルマを運転し、4カ月かけてアメリカ合衆国を一周。
その一部始終を『チャーリーとの旅』という旅行記にまとめた。

本の冒頭、スタインベックはこう記した。

 子どもの時、どこかへ出かけたくなると、
 大人になれば落ち着くと言われた。
 大人と呼ばれる年齢になった時
 中年になれば落ち着くと言われた。
 今58歳だが、病は一向に治らない。

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飯國なつき 14年5月10日放送

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旅する人④ 辺見庸

ルポ・ライターの辺見庸は、
ある日世界各国を食べ歩く旅に出た。

バングラデシュでは、屋台で売られている、
すえた臭いの残飯を食べた。
タイでは、缶詰工場で働く人々の質素な食事を食べた。
ソマリアでは、難民キャンプの発酵したクレープを食べた。

食べ物は、その国の文化や経済状況を如実に映し出す。
しかし辺見は、痛烈な社会批判をすることなく、
リアルな食の現場を、淡々とあぶり出していった。

辺見は語る。

 奇食に見えて、しかし奇食など世界には一つとしてない。
 行く先々にもの食う人びとがいて、
 いまそれを食うことの十二分な理由と、
 食うことと食えないことにかかわる
 知られざるドラマを持っていた。

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森由里佳 14年4月19日放送

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先駆者たち① 平賀源内

 ああ非常の人 非常のことを好み
 行いこれ非常 何ぞ非常に死するや

平賀源内の墓碑に友人の杉田玄白はこう記し、
稀代の天才の死を惜しんだ。

次々と新しいものに興味を持ち、
その世界に挑戦していく源内を、
人々は「非常の人」、型破りの人間と呼んだ。

医師であり画家であり、発明家。
脚本家、地質学者、事業家。
そして日本で最初のコピーライター。

いくつ肩書きをつけても追いつかない
桁外れのマルチ人間、平賀源内は
しかし、時代に受け入れられることはなかったという。

いや、そうではない。
時代が平賀源内に追いつけなかったのだ。

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森由里佳 14年4月19日放送

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先駆者たち② 杉田玄白

日本で初めて西洋の医学書を翻訳した杉田玄白は、
その苦労をつづった『蘭学事始』の中で、こう述べた。

 はじめて唱ふる時にあたりては、
 なかなか後のそしりを恐るゝやうなる碌々たる了簡にて
 企事は出来ぬものなり

新しいことをするにあたっては、
やる前から後の批判を恐れるような平凡な考えでは、
一歩も踏み出すことはできない。

200年前、未知への興奮と情熱をたよりに
途方もない企事をやりとげた先駆者が、
今、この時代に私たちの背中を押してくれる。

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