蛭田瑞穂

蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄①

1995年、野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースで
メジャーリーグデビューをした時、
正捕手を務めていたのが、マイク・ピアッツァだった。

メジャーリーグ史上最も攻撃力に溢れた捕手
とも賞賛されるピアッツァは、
1995年には打率3割4分6厘、32本塁打を記録し、
打者としても新人の野茂を援護をした。

野茂がピンチになる度に、ピアッツァはマウンドに
駆け寄り日本語で声をかけた。

 ノモ、シューチュー

「野茂、集中しろ」。
優れた投手と捕手は、短い言葉で
心をひとつにすることができる。
野茂とピアッツァがそれを教えてくれた。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄②

1996年9月17日、
ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄は
コロラド・ロッキーズを相手に
ノーヒット・ノーランを達成した。

野茂が記録を達成したケア―ズ・フィールドは
ホームランが出やすい球場として知られる。
その理由は球場の場所にある。
標高1600メートルという高地に位置するため、
気圧が低く、空気抵抗が少ない。
そのため打球の飛距離が伸びるのだ。

1995年に開場して以来、ケア―ズ・フィールドで
ノーヒット・ノーランを達成した選手は、
野茂英雄以外には誰もいない。

野茂自身初のノーヒット・ノーランの価値は
そこにもある。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送


Chickens in the Trees
野茂英雄③

野茂英雄がメジャーリーグで活躍するまで、
アメリカは日本のプロ野球を明らかに格下に見ていた。

野茂英雄のメジャーリーグ1年目は
マイナー契約からのスタート。
年俸はメジャーリーグ最低保障の十万ドルだった。
日本で4年連続最多勝を挙げた投手は
その程度の評価しかされていなかった。

1年目に新人王を獲得するほどの
活躍を野茂が見せたことにより、
メジャーリーグの日本に対する見方も変わった。

のちに松坂大輔は1億3百万ドルで
レッドソックスに入団し、
今年、上原浩治はワールドシリーズの胴上げ投手となった。

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蛭田瑞穂 13年11月23日放送



野茂英雄④

野茂英雄は1989年のドラフト会議で、
史上最多の8球団からの1位指名を受けた。

野茂はどの球団に指名されても
プロ入りすることを公言していた。
野茂は野球さえできればそれでよかった。

抽選の結果、野茂の交渉権を獲得したのは
近鉄バファローズだった。
くじを引き当てたのは当時の監督仰木彬。

野茂の特徴はその投球フォームにあった。
のちにトルネードとも称される独特のフォームに、
プロ野球界からは批判の声も上がっていた。

しかし野茂はプロ入りするにあたり
フォームを矯正されることだけは拒んだ。
そして仰木彬はそれを認めた。

仰木の判断が正しいことが証明されたのは
それから1年後。
新人の野茂は最多勝、奪三振王、新人王など、
あらゆる賞を総ナメにし、1年目にして
日本プロ野球界の頂点に立った。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史①

史上初の機械式計算機を発明したのは、
「人間は考える葦である」という
言葉で有名なブレーズ・パスカル。

パスカルの父親は徴税官だったため、
若い頃のパスカルは父の仕事を手伝って
税金の計算をしていた。

当時のフランスの貨幣単位は
12進法と20進法が混在しており、
その計算はおそろしく厄介だった。

そこで19歳のパスカルは、
歯車を使った計算機を開発する。

残念ながらパスカルの計算機が
普及することはなかったが、
その基本原理はのちにライプニッツの
計算機に受け継がれた。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史②

19世紀のイギリスの数学者、
チャールズ・バベッジは「コンピュータの父」
といわれる。

バベッジは歯車を回すだけで
計算から印刷までができる計算機を考案した。
これがアーキテクチャとしての
世界で最初のコンピュータと言われる。

さらにバベッジは「解析機関」と呼ばれる
新しい構造を持つ計算機を開発した。

この計算機によって四則演算が初めて可能になり、
同時に「プログラミング」という、
現在のコンピュータに続く概念が誕生した。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史③

近代コンピュータの歴史は、
1946年に開発された「ENIAC」から
始まると言われている。

開発の中心人物はペンシルバニア大学の
ジョン・モークリ―とジョン・エッカート。

「ENIAC」に使用された真空管は18000個以上。
重量は30トンもある巨大なマシンだった。
1秒間に5000回の加算、減算が可能で、
その速度は従来の計算機の1000倍もあった。

膨大な量の計算が可能だったが、
その分電力消費も膨大で、「ENIAC」作動中は
近郊の都市の灯りが暗くなったという。

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蛭田瑞穂 13年10月12日放送



コンピュータの歴史④

コンピュータの発展に多大な影響を及ぼした
もののひとつにトランジスタがある。

トランジスタを発明したのは
アメリカのベル研究所。ジョン・バーディーン、
ウォルター・ブラッテン、ウィリアム・ショクリーの
3人の研究員が中心となって開発された。

トランジスタを初めて採用したコンピュータは
IBMが1958年に製作した「IBM7070」。

トランジスタの導入でコンピュータは
小型化と高速化が進み、
電力消費を抑えることにも成功した。

トランジスタを開発した3人の研究者は、
のちにノーベル物理学賞を受賞している。

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蛭田瑞穂 13年9月14日放送



堀辰雄と周辺の人々①

 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。

という一節で始まる、堀辰雄の処女小説『聖家族』。
ここで語られる死とは、小説家芥川龍之介の死である。

高校在学中、堀辰雄は室生犀星を通じて
芥川龍之介と出会う。
堀は芥川を師と仰ぎ、芥川もまた堀を寵愛した。

しかし、その親密な関係も長くは続かない。
ふたりが知り合って4年後、
突然芥川は自らの命を絶つ。

芥川の死を受け入れ、芥川との日々を刻印するために
堀が執筆したのが『聖家族』。

芥川の死によって、小説家堀辰雄は誕生した。

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蛭田瑞穂 13年9月14日放送



堀辰雄と周辺の人々②

多くの小説家がそうであるように、
堀辰雄もまた音楽をこよなく愛した。

そして、音楽の形式を文学に取り込むことにも
意欲的だった。

堀が30歳で発表した小説『美しい村』は、
バッハのフーガからその形式を構想したという。

作家の萩原朔太郎は『美しい村』の音楽性について
「音楽としてのやさしさと匂い」があり、
「散文でかいた抒情詩」と評している。

堀辰雄の小説は聴くように読んでみたい。

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