蛭田瑞穂

佐藤日登美 19年11月10日放送


Simonetta Di Zanutto
美食  サンセバスチャンに行ったならば①

スペイン、サンセバスチャン。
人口わずか18万人の都市は、世界一の美食の街と呼ばれる。
所狭しとバルが並び、人々は次から次へと店をはしごする。

バルに足を踏み入れたら、まずはピンチョスとチャコリをオーダーしよう。
ピンチョスは、パンの上に食材が乗った小さなオープンサンド。
海老やアンチョビなど、店によって個性が出る。
それに合わせるのが、チャコリという微発泡の白ワイン。
瓶を頭近くまで持ち上げ、コップに注ぎ落とすようにして入れる。
その様子を見るだけで、心が浮き足立つ。

ピンチョスをつまみ、チャコリを流し込んで次の店に向かう。
美食の街には美味なるものが多く、一日は短い。

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佐藤日登美 19年11月10日放送


WordRidden
美食  サンセバスチャンに行ったならば②

スペイン、サンセバスチャン。
バルセロナからもマドリードからも少し離れたこの場所は、
美食の街として名高い。

数ある店の中でも有名なのが、Bar Nestor。
メニューは4品ほどしかないが、すべてたまらなくおいしい。

予約しないと食べられないとろとろ卵のトルティーヤ。
塩とオリーブオイルをかけただけのぶつ切りトマトのサラダ。
どんどん口に運んでしまう、素揚げしたししとう。
そして岩塩をまぶした、肉の赤が美しいステーキ。

シンプルだけど力強い料理たちが、
美食の街の実力を見せつけてくる。

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蛭田瑞穂 19年11月10日放送



美食  ユルバン・デュボワ

19世紀のフランス料理は豪盛に盛り付けられた大皿料理を
一度にテーブルに並べ、各々が取り分けるというスタイルだった。

同じ時代、ロシアではできあがった料理を一皿ずつ提供するスタイルが取られていた。
極寒のロシアでは料理を一度に並べるとすぐに冷めてしまうため、
それを避けるための工夫だが、そこに目をつけた料理人がフランスにいた。

料理人の名はユルバン・デュボワ。
彼によってフランス料理にロシア式のサービスが導入され、
今日に続くコース料理のスタイルが確立された。

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蛭田瑞穂 19年11月10日放送



美食  オーギュスト・エスコフィエ

19世紀から20世紀にかけて活躍し、
「近代フランス料理の父」と称される料理人オーギュスト・エスコフィエ。

彼が現代のフランス料理に与えた影響は枚挙にいとまがない。
「総料理長」「副料理長」「ソース係」「焼き物係」「パティシエ」など、
厨房における役職制度と分業制を初めて確立。

料理人の社会的地位の向上のため、料理人に規律と品格と求め、
社会貢献活動も積極的におこなった。

そして、今ではコックの代名詞と言える、背の高い円筒形の帽子を
最初にかぶり始めたのもオーギュスト・エスコフィエである。

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森由里佳 19年11月10日放送


manhhai
美食  ベトナムの国民食

19世紀。
ベトナムはフランス植民地となり、ひどい貧困にあえいでいた。
独立を勝ち取った今でも、多くのフランスの痕跡と共存している。

例えば、ホーチミンの市庁舎はフレンチコロニアル様式だし、
国民食ともいえるバインミーというサンドイッチには、
本国顔負けの香ばしいフランスパンが使われるといった具合にだ。
しかし、ヌクマムを始めとしたベトナムならではのアレンジで、
バインミーは今や世界でも人気を誇る美食へと進化した。

凄惨な歴史を乗り越え、自国の文化として昇華し、前を向く。
ベトナムの美食をいただく際には、
そんな世界の歴史とベトナムの矜持も味わいたい。

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森由里佳 19年11月10日放送


trungydang
美食  ベトナムのデザート

東洋のパリといわれる、
ベトナム・美食の街ホーチミン。
メインストリートであるドンコイ通りは、
べトナムのシャンゼリゼ通りとまで言われている。

フランスによる植民地時代のおもかげを
色濃く残すこの街の人気スイーツのひとつに、
バインフランというものがある。

濃厚なカスタードが舌をもったりと包み込み、
焦がしたカラメルがほどよく素材の甘さを引きたてる…
そう、バインフランとは、プディングのことだ。

甘くて濃厚なバインフランのように、
カラメリゼされた歴史をそっと包みこんできた美食のベトナム。
街ごと味わう美食紀行はいかがですか。

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星合摩美 19年11月10日放送



美食  ロッシーニ

牛フィレ肉のステーキに、
フォアグラとトリュフを贅沢に添える。
フランス料理の定番、通称「ロッシーニ風」
その名はオペラ作曲家ジョアキーノ・ロッシーニに由来する。

才能溢れる彼はヨーロッパで人気だったが、37歳の若さで引退。
レストラン経営に専念した。
ロッシーニ風ステーキを考案したのも、その頃のことだ。

1日に20枚のステーキを食べた、という逸話もあるロッシーニ。
肥満に悩まされながらも、76年の美食人生を謳歌した。

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星合摩美 19年11月10日放送



美食  ロートレック

画家ロートレックは、美食家でもあった。
自ら腕を振るい、様々な料理で友人をもてなした。

200を超えるレシピは、のちに本として出版されている。
ニンニク入りオニオンスープや、
タラの虹色ソース焼きなど、
いかにも美味しそうなものから、
皮肉たっぷりな空想のメニューまで。

ロートレックはこんな言葉を残した。
「人間は醜い。されど、人生は美しい」

彼にとっては「食」もまた、
人生の美しさのひとつだったのかもしれない。

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佐藤日登美 19年10月13日放送


© Citron
深海  ラブカ

深海に住む古代ザメ、ラブカ。
一瞬可愛らしい生き物を想像しそうだが、
なかなかにインパクトのある姿をしている。
うなぎのような長い胴体に、ひらひらと揺れる赤い6対のエラ。
大きな頭のほとんどを口が占め、歯は300本も持つ。

実は映画『シン・ゴジラ』に現れる
ゴジラの第二形態のモデルになっているのだとか。
深海をひっそりと泳ぐラブカも、
まさか映画のスクリーンに登場するとは思わなかっただろう。

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蛭田瑞穂 19年10月13日放送



深海  海底二万里

フランスのSF小説家ジュール・ヴェルヌが
1870年に発表した小説『海底二万里』。

正体不明の巨大海洋生物の探査に出た探検隊が、
ネモ船長という人物によって建造された潜水艦
「ノーチラス号」に乗り込み、海底を旅する冒険譚。

この小説が発表された当時の潜水艦は性能が低く、
外洋を自由に航行できるものはなかった。

『海底二万里』で描かれるノーチラス号の性能は
ジュール・ヴェルヌの空想の産物。
しかし、のちに現実がその空想に追いつくことになる。

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