門田陽

岡安徹 12年6月23日放送


星玉
旅のはなし/山下清

裸の大将の愛称で親しまれた
貼り絵作家、山下清。

彼が全国を放浪し、旅先で見た風景を
驚異的な観察力と記憶力で貼り絵として再現したのは有名な話。

しかし、なぜ彼は放浪にでたのか。
当時、周囲の人がその理由を尋ねると
「兵隊にいくのがイヤだったから」と応えたという。

奇しくも、戦争に向かう国内情勢が山下清を放浪に導き
類い希なる芸術作品を誕生させたのだ。

旅の理由は、どこに転がっているかわからない。



旅のはなし/ジェームズ・クック

世は18世紀。大航海時代とよばれ
世界地図にまだ空白が多かった頃。
海の向こうに未開の大地があると信じ、
航海にでた船乗りがいた。
彼の名をジェームズ・クック。
後にクック船長として歴史に名を残す男である。

かれは卓越した航海術をもち、
当時ヨーロッパで伝説となっていた
オーストラリアへの上陸をはたし、
人類がまだ知らない世界地図の1/3を埋めた。

クック船長の航海日誌にはこう記されている。
「これまでの誰よりも遠くへ、それどころか、
人間が行ける果てまで私は行きたい」

いまだ世界の果てがあった頃、旅は希望そのものだった。



旅のはなし/ゲーテ

「人が旅をするのは、到着するためではなく、
道中を楽しむためである」 
と言ったのは、詩人ゲーテ。

ゲーテは、実に多くの恋をし、
多くの別れを経験した。

複雑な人間関係、葛藤、遂げられない思い。
身を焦がすような日々の末に訪れる別れを経験するごとに
人の心を惹きつける作品を生み出した。

成就しない恋も、その最中こそが醍醐味。
それは、人を魅了する旅と恋の共通点のひとつ。



旅のはなし/伊能忠敬

旅をするのに欠かせない、地図。

日本の地図が最初につくられたのは
江戸時代、伊能忠敬によるもの。

50歳を過ぎてから、地球の大きさを
測る子午線の長さを求めるべく私財を投じ
測量に出た。

その後幕府の後援をえて、驚くべき精度の日本地図を
作り上げるまで自分の足で歩きとおす。
その距離約4万キロ。
地球を一周してしまうほどの距離である。

想像を絶する偉業を成し遂げた忠敬は、
こんな言葉を残している。

「願望は寝ても覚めても忘れるな。どんなに状況が変化しようが、
一時も忘れずに心がけていれば、かならず事は成し遂げられる。」

何気なく見ていた地図には、目には見えない情熱が詰まっていた。

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岡安徹 12年3月25日放送


filtran
忘れてもいいこと/アインシュタイン

アルバート・アインシュタイン。
人類史上に名を残す科学者。

しかし驚くべきことに
アインシュタインは自宅の電話番号を記憶していなかったという。

「電話番号は覚えていないが、電話番号をメモしてあるノートは覚えている。」

必要なものだけを覚えておくために、
余計な物は覚えない。
だからこそ、大切な物が見つかりやすいのかもしれない。



忘れてもいいこと/アインシュタイン

大学での教鞭をとった経験もある、アインシュタイン。
そんなアインシュタインが、教育に関する
彼なりの理論を語った事がある。

学校で学んだことを、
一切忘れてしまった時になお残っているもの、
それこそ教育だ。

大切なことは、自然と残る。
それは、今を精一杯過ごせばよいのだよ、という
励ましに聞こえる。



忘れてもいいこと/アインシュタイン

高名な科学者となった後も、
一風変わった人物と言われることも多かったアインシュタイン。

例えば、靴下をはかないことや、年中同じ上着をきていること。
床屋に行かず、ボサボサの髪の毛でいることなど。

世間的に見れば常識と思えることを敢えてしなかった彼は、こんな
言葉を残している。

「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことだ」

常識とずれた行いも、アインシュタインによれば自然なこと。
靴下をはかなければ、破れた靴下を繕う妻の負担が減る。
一張羅でいれば洋服代がかからない。
髪を切る時間を、研究につかえる。

常識を忘れられる人は、
自分だけの新しいルールを見つけられた人なのかもしれない。

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宮田知明 12年3月25日放送


Strifu
忘れられない日/北野武

「まあまあじゃん」

映画・戦場のメリークリスマスの試写を終え、
お笑い芸人にしては、
それなりの演技をしたな、と思った、
北野武。

こっそり、映画館に観に行くと、
シリアスなシーンにもかかわらず
彼が出たとき、観客が急に笑ったのを見た。

「これ、どうにかしないと、映画なんてやってられない」

それ以降、彼は出演映画に、
俳優としてのこだわりを持つようになる。

北野武の俳優としての生き方を決めたのは、
そんな、なんでもないはずの一日。



忘れられない日/大山のぶ代

「先生、あのー、私、
 あれでいいんでしょうか?」

それは、藤子不二雄と大山のぶ代の初対面の日。
アニメ、ドラえもんの録音現場で、
出演者と藤子不二雄が挨拶をする時のことだった。

彼の持つ優しい雰囲気にほだされ、
とっさにでた一言であり、
そして、いちばん、気になっていたこと。

藤子は、一度彼女を見て、
そしてスクリーンのドラえもんに目を移し、
こう言った。

「ドラえもんって、ああいう声だったんですねえ。」

それは、大山の、
ドラえもんの声への迷いや、不安が消えた、大切な日。


じぇにゅ
忘れられない日/鈴木健

2007年10月4日、ヤクルトvs横浜。

それはヤクルトスワローズ、
鈴木健の引退試合。

8回裏、宮本の代打として
バッターボックスに立った鈴木の打席は、
リーグ優勝も決まった後の消化試合とは思えない
大きな盛り上がりを見せた。

粘りに粘り、ファールの山を築く鈴木。
1球1球にどよめく球場。
13球目、打球は、サードへの平凡なファールフライ。
しかしサード・村田は、追いつくも、ワザととらない。
スタジアムに、大きな拍手が沸き起こる。

そして15球目、センター前ヒット。
1塁ベース上で、涙する鈴木。

結果だけみれば、単なるシングルヒット。
でも、この1つの打席に、
苦労を積み、ひたむきに野球をやってきた鈴木への、
選手たちの想いがこもっていた。

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岡安徹 11年12月17日放送



幸せを運ぶ男/メンデルスゾーン

結婚式では定番となった、
メンデルスゾーンの結婚行進曲。

もともとは、シェイクスピアの戯曲、
「真夏の夜の夢」に対して後年作曲された
劇付随音楽であることをご存知だろうか。

「真夏の夜の夢」の劇中では、
目を開けて最初に見た人を愛してしまうという魔法により、
男女の運命が翻弄される。

「結婚行進曲」が流れるのは、その魔法から解き放たれ
結ばれるべき者どうしが結ばれる結婚式の場面。

色んな恋を経験して初めて、真の愛が分かる。
そんなメッセージが聞こえてくるようだ。



幸せを運ぶ男/ヒュー・ヘフナー

プレイボーイ誌創刊者、ヒュー・ヘフナー。
85歳にして若い恋人をつくり続ける、
世界に名だたる正真正銘のプレイボーイ。

「プレイボーイとは別れ方が上手な男のことさ」
という言葉は彼のためにあるかのように、
破局を次の恋の始まりにしていく。

なぜ、彼はもてるのか。もちろん、地位や名誉も魅力のひとつ。
しかしなにより、若々しさというファッションで身を包んでいるからこそ、
若い女性とうまくいくのかもしれない。

一番最近別れた彼女は、60歳年下の25歳。
「僕より若い男達よ。じっとしていてはいけないよ」
そう、激励されているような気がする。

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宮田知明 11年12月17日放送



幸せを運ぶ男/浅尾拓也

打率リーグ最下位。
今年、そんなチームをリーグ優勝まで導いた原動力は
まぎれもなくその層の厚い投手陣。

中でも、特に輝いていたのは、
セ・リーグMVP、
中日ドラゴンズのセットアッパー、浅尾拓也。

2011年は球団新記録の79試合に登板し、
防御率は0.41。

絶対的な安定感でドラゴンズに
リーグ優勝をもたらした彼のMVP受賞式。
そんな彼へのインタビューは、なぜか謝罪会見に。
そこには、浅尾らしい、
謙虚さがにじみ出ていた。

 吉見が取るもんだと思っていました。
 ボクが吉見の勝ちを2つ消してしまったので、
 本当は20勝してるはず。
 ごめんなさいって言いたいです。



幸せを運ぶ男/小林武史

Mr.Childrenをはじめ、
日本を代表する数々のアーティストを
スターダムに押し上げてきた音楽プロデューサー、小林武史。

NHKの番組で
アーティストとの接し方について、
意外にも「友達として」と答えた。

プロデュースする若いバンドのやりたい
路線ではない方向性を示した後、
彼はこんな言葉を使った。

・・・これは友人として言うんだけどね。

今のそのバンドは、殻を破った方がいいが、
でも、殻を破ったからと言って絶対成功するとは限らない。
だから、友人として、そのことを言う、ということ。

相手が若いアーティストだからと言って、
上から押しつけるわけではない、
そのフラットな「友人」としての一言が、
アーティストの心に届くのだろう。

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宮田知明 11年11月12日放送



グレースケリー①

幼い頃のグレース・ケリーは、
病弱で内気な女の子だった。

オリンピックのボート競技の
金メダリストである父は、
スポーツのできる姉や兄の方をかわいがった。

「グレースにできることは、
姉のペギーならもっとうまくこなせる。」
と、父に言われつづけた。

尊敬する父に認められたい。
その想いが、グレースを動かす力になった。

1955年3月30日、
『喝采』でアカデミー主演女優賞を獲得した時の、
彼女の語った言葉。

 これで、やっとケリー家の一員になれました。

ハリウッド女優から、モナコのプリンセスへ。
今日、11月12日は、
グレース・ケリーの誕生日。



グレースケリー②

「背が高すぎ。痩せすぎ。
顎ががっちりしすぎ。」

若き日のグレース・ケリーは、
自分の容姿に
コンプレックスを感じていた。

しかし、それこそが
オードリー・ヘップバーンや、
マリリン・モンローと違う、
彼女らしい、全く別の魅力を放っていた。

その美しさを一言で表した言葉が、
「クールビューティー」。

もし、グレースが、
背がちょうど良くて、痩せてなくて、
顎ががっちりしていなかったら、
同じ成功は得られなかったのかもしれない。

今日、11月12日は、
グレース・ケリーの誕生日。



グレースケリー③

「嬉しくて、この喜びを何て
言葉にしたらよいか分かりません。
この受賞を可能にしてくださった皆様に、
心から感謝を述べたいと思います。」

映画『喝采』でアカデミー主演女優賞を
獲得したグレース・ケリー。
しかし彼女は、その時の気持ちを
こうも語っている。

オスカーを受賞した日、
 それは私の人生の中で一番寂しい時間でした。

受賞後、宿泊先のホテルの
部屋に戻ったグレースは、たった一人きりだった。

いくら成功しても、
分かち合える人がいなければ幸せではない。
一人彼女は、そう感じていた。

しかしその1ヶ月後に、
まさか運命の出会いが待ち受けていることなど
知る由もないグレース・ケリー。
このとき25歳。

11月12日は、グレース・ケリーの誕生日です。



グレースケリー④

ハリウッドのスター女優グレース・ケリーと
モナコのプリンス、レーニエ三世

華やかな世界に住む2人の交際の手段は
文通だった。

カンヌ映画祭で出会い、
ほんのひととき、交わした会話。
それ以来、2人は手紙のやりとりを欠かさなかった。

後にグレースはこう語っている。

女性がある程度の成功を果たすと、
結婚することで自分を失わず、
尊敬できる男性を見つけるのは大変なこと。

そのことを考えたら、
ふたりを隔てる距離などは
問題ではなかったのかも知れない。

11月12日は、グレース・ケリーの誕生日。



グレースケリー⑤

そして、お姫さまは、
幸せに暮らしましたとさ。

おとぎ話ならそこでハッピーエンドだが
モナコのプリンセスになったグレース・ケリーの現実は
その先があった。

本音を話せる友人がいない。
自由に出かけることもできない。
フランス語も流暢に話せない。

公務や生活に慣れて、
安定した毎日を送れるようになるには、
女優になってからアカデミー賞を取るまでより
ずっと長い時間を要した。

グレースは言う。

私は、女優に挑戦したように、
結婚にも挑戦したんです。

今日、11月12日は、
グレースケリーの誕生日。



グレースケリー⑥

 ただ月を眺めるためだけに
 竹で縁側を作るとは、
 なんと素敵なセンスなんでしょう。

大の親日家、グレースケリーが、
京都の桂離宮を訪れたときの言葉。

いつかモナコにもこのような庭園を造りたい。
そんな願いをかなえたのは、
他ならぬ夫のレニエ公。

グレースが亡くなって12年後に完成した日本庭園。
その茶室は、GRACE GARDENと名付けられた。

そんなグレースが、日本に送った言葉。

優しさ、礼儀、美、敬愛といった美徳を
日本が失わずにいることを、
世界中が切望しています。

今日は、日本を愛した
グレースケリーの誕生日。



グレースケリー⑦

「出産おめでとう(グレース公妃より)」

病院で出産があると、自ら病院へ出かけ、
お祝いの言葉と自分のサインを入れたカード、
そして花束を届けた、グレース公妃。

少しでも国民とのつながりを深めたい。
そう考えてのアイデアだった。

アメリカABCテレビのインタビュー中に
語った彼女の言葉は、
そのまま人柄や生き方を象徴している。

慎ましく、思いやりのある人間だったと、
みんなの記憶に残しておいてほしいのです。

今日、11月12日は、
グレースケリーの誕生日。

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岡安徹 11年10月15日放送



正岡子規と夏目漱石

近代文学の礎を築いた文人、正岡子規と夏目漱石。
二人は日頃から、俳句や漢文などをつくっては見せ合う仲でもあった。

しかし年上の子規は、漱石の作品を見るたびに
辛口の批評をあびせたり添削したりする。

よしそれならと、今度は漱石、英語で詩を綴り子規に見せた。

「さすがの彼も英文にはお手上げだったらしい。
ただ、“VERY GOOD”と書いてもどしてきたよ」
と笑いながら後々まで人に語ったという。

英語の苦手な正岡子規に対するこの勝負は
技あり1本、漱石の勝ちだった。



マイケル・ジョーダンと1人のファン

この世には、まれに“神”と喩えられる人がいる。
バスケットボールの神様と呼ばれた「マイケル・ジョーダン」
もそのひとり。

スーパースターとして多くのファンに囲まれていた彼も、
あるファンのひと言には、「まいったね」と苦笑いする。

ある日、ジョーダンが家に帰ると
そのファンが待ちかまえていてこう言った。

「お父さん、今日ね、テレビでマイケル・ジョーダンを見たんだよ!」

そう言いながらおもちゃのバスケットボールを投げてよこす。
「ねえ、マイケル・ジョーダンごっこをしようよ」

目の前の人がテレビの中のジョーダンなんだと理解できるのは、
小さなファンがもう少しおおきくなってから。

神様も、家に帰れば、お父さん。ですね。



ドカベン作者水島新司と葉っぱのイワキ

野球漫画「ドカベン」の作者水島新司。
彼が描くキャラクターは、皆が個性をもち、
イキイキとしている。

その中でもひときわ元気で、「絶好球や!」が口癖の
葉っぱをくわえた無頼漢、岩鬼正美。

豪快なバッティングが取り柄の彼も、
ストーリー上、三振することだってある。
しかし事件は、その三振を描くシーンで起こった。

空振りする岩城を下書きし、ペンで原稿を仕上げていた時のこと。

「あ!打ってもうた!」
なんと、気づいたらホームランをかっ飛ばすシーンになってしまったという。

「あいつら、たまに、作者の言うこともきかん」

作者の手に負えないほど強烈な個性のキャラクターが活躍した「ドカベン」は
連載終了後も根強い人気を維持しつづけた。

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岡安徹 11年9月18日放送



ある食通の美学/北大路魯山人

料亭で、椀の汁を1口すすり、
「うま過ぎる」といって、顔をしかめている
男が居る。食通、北大路魯山人である。

誰が食しても「さすが」とうなる料亭自慢の逸品。
しかしあろうことか魯山人はお湯をドボドボ注ぎ
味を薄く変えてしまった。

一同、唖然。
一人魯山人だけ「これでよし」との顔。

しかしてその後、真意は明らかとなる。

目一杯うまさを突き詰めてしまうと、食事全体では
舌がもたれ、うまかったという気持ちが残らない。
だからこそ。

人生、食事のできる量は決まっている。
だからこそ一食一食にとことんこだわる。
美学を貫き通す偉人の振るまい。



ある批評家の美学/北大路魯山人

いいものを身辺におけ。
さもなくば人物はできあがらない。
そう言うのは美術家であり美食家でもある
北大路魯山人。

その批評は時の文化人にも及ぶ。

夏目漱石の書斎をみれば、
火鉢、机、硯、文房具の類をして低級と評し、

芥川龍之介の持ち物は、ただ一点
骨董の織部を所有すること褒めた。

樋口一葉の程度の良い机は女性らしいと
やや満足げだが、

大町桂月にいたっては下宿同然、論外と切り捨てた。

では当の本人、魯山人の身の周りに
あったのは何なのか。

例えば庭前に半分埋めて金魚鉢としている鉢がある。
よく見れば、明の時代の赤絵水禽文の大鉢。
その値段を評価すれば数千万円ともなるらしい。

人に意見するならば、まず自らが行う。
その姿勢の中にも魯山人の美学があった。



ある研究者の美学/ドクター中松

発明家、ドクター中松は
食に並々ならぬこだわりを持っていた。

しかしそのこだわりとは、
味ではなく栄養に関する考察。

34年にわたり自分の食事全てを記録し、
身体の具合をメモしていった。

そしてついに発見されたのが「3日後理論」。

食したものの影響が3日後身体に表れることを
身をもって発見したのだ。

人生全てが、実験と発見。
それこそ発明家の美学と言える。

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宮田知明 11年9月18日放送



あるスポーツ選手の美学/三浦知良

日本では、引き際のいさぎよさを
よく「美しい」とされる。

その考え方の逆、
つまり「やめない」ことに美しさを見出す人、
キングカズこと、三浦和良。

余力を残して辞めていく選手は多い中で、
44歳になってもカズは全くそのそぶりを見せない。

4年前、テレビ番組で、
「いつまでやるのか」という質問に対して、
彼はこう答えている。

できたら還暦までやりたいんだけどね。

3月29日のチャリティーマッチでのゴールを見せられると、
あのときの言葉は、あながち冗談でもないかもしれない。



ある毒舌家の美学/有吉弘行

毒舌にも、美学がある。

平成の毒舌王、有吉弘行曰く、
「悪口はいいけど、陰口はダメ」。
その真意とは。

僕は絶対に本人のいないところで悪口は言いません。
陰口をたたけば周りの人から
「こいつは俺の事もどこかで悪く言ってる」と
思われて自分の評判が下がる。陰口は自分に返ってくる。

これは、毒舌キャラとして芸能界でやっていくための、
彼独特の美学なのかもしれない。

でも、
むしろ毒舌でも何でもない普通の人にとって、
この考え方に学ぶところは多い。



あるジャーナリストの美学/池上彰

いい質問ですね!でおなじみの
ジャーナリスト・池上彰。

分かりやすい説明に定評のある彼にも、
一つの美学がある。
それは、説明するときに、
「自分の個人的な意見は差し挟まない」ということ。

NHKを辞めてすぐの頃、民放の番組の
コメンテーターとして出演したとき、よく言われた言葉。
「あなたの意見を聞かせてください。」

視聴者からすると何でもない質問だが、
池上には違和感があった。

それは、32年間のジャーナリストとしての生活で、
「自分の意見は一切出すな」
「客観報道に徹しろ」と教えられてきたから。

誰かのバイアスのかかった意見よりも、
公平な視点での説明の方が人は納得しやすい。

そう思ってテレビを見ると、コメンテーターの
自分勝手な意見が、なんと多いことか。

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岡安徹 11年7月23日放送



闘うひと~アントニオ猪木

燃える闘魂、アントニオ猪木。

「元気ですか!」

世の中には、人を励まそうとする言葉が
あふれているけれども、猪木氏の言葉は
中身の濃さがちがう。

複雑な生い立ち、順風満帆とは言えない興業、
成功ばかりの人生ではなかった。
それでも、へこたれている姿などみたことはない。

「燃え尽きた時に、もう次に踏み出していたい」

元気があればなんでもできる。
そう笑う男は元気そのものに見える。



闘うひと~サッカー元日本代表監督/岡田武史

重圧という言葉の力を知る男、岡田武史監督。

二度目の日本代表監督、
世論の圧力にもかかわらず
その采配により快進撃を見せた。

岡田氏は言う
「重圧やプレッシャーは重力みたいなもので、
重力がないと筋肉も骨もダメになっちゃう」

いいプレーは強いカラダから。
優れた指揮は強いココロから。
プレッシャーに鍛えられた岡田さんのコトバだから、
かっこよかったんですね。



闘うひと~登山家/三浦雄一郎

登山家三浦雄一郎
75歳にして、2度目のエベレスト登頂という
偉業を成し遂げた。

もちろん、その挑戦は順調なものではなかった。
60歳を超えてからのトレーニング。無理をすれば身体が
悲鳴をあげ、ドクターストップがかかったこともある。

そんなとき三浦が心がけていたのは、
ゆっくりでも、止まらず進むということ。

「無理せず、一歩ずつ歩いていたら、
8,848メートルに立っていました」

どんな困難も、止まらず進めば
乗り越えられるんですね。

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