はとバスのお話① / はとバスの名前の由来
観光で、日本を立て直す。
昭和23年8月、終戦間もない東京で、
6台の中古車両とともに
「はとバス」は生まれた。
「はと」の名前にこめられた想いは、
平和の象徴としてのハト、
そして、すべてのお客様が
安全に戻ってくるように、という願い。
観光業は、平和な時代でこそ成り立つもの。
はとバスがたくさん走っている今日は、
東京が平和であるという証かもしれません。
さあ、行楽の季節。
あなたは今年、どんな秋をすごしますか?
はとバスのお話① / はとバスの名前の由来
観光で、日本を立て直す。
昭和23年8月、終戦間もない東京で、
6台の中古車両とともに
「はとバス」は生まれた。
「はと」の名前にこめられた想いは、
平和の象徴としてのハト、
そして、すべてのお客様が
安全に戻ってくるように、という願い。
観光業は、平和な時代でこそ成り立つもの。
はとバスがたくさん走っている今日は、
東京が平和であるという証かもしれません。
さあ、行楽の季節。
あなたは今年、どんな秋をすごしますか?
臨終の話 チャールズ・チャップリン
チャールズ・チャップリン。
世の中を鋭く風刺しつつも
決してユーモアを忘れない彼は、
喜劇王と称された。
そんなチャップリンは1977年、クリスマスの朝に息を引きとった。
老衰による静かな死だった。
彼の訃報が日本に届いた、25日の夕刻。
東京有楽町のニュー東宝シネマ1では、
チャップリンの伝記映画「放浪紳士チャーリー」が上映中だった。
ラストシーンの途中、その死が場内マイクで伝えられると、
客席は一瞬静まり、やがて彼を称える万雷の拍手が起こった。
チャップリンらしい、見事な幕引きだった。
臨終の話 トーマス・エジソン
発明王、トーマス・エジソン。
彼は、1929年10月。白熱電灯発明50周年の祝典で、
フーバー大統領をはじめとする、多くの来賓から賛辞をおくられた。
けれど、エジソンは、彼らと満足に会話をすることができず、
短い感謝を述べると崩れるように椅子にすわった。
胃がんと糖尿病、さらに腎炎と高血圧を患い、ギリギリの状態だったのだ。
1931年10月18日、いよいよそのときが近づくと、
エジソンは昏睡状態から目を覚まし、妻のミーナにこう言った。
「いいお天気だね」まだ夜があけない暗い時間だった。
ミーナがエジソンに「苦しいですか」とたずねると、
彼は一言「いや、待っているだけだ」とこたえ、
ほどなくして、息を引きとった。
臨終の話 フランツ・カフカ
フランツ・カフカは、
労働局災害保険局で働きながら、小説を書いたという。
まじめで、自分にきびしいカフカは、
過労で体を壊すほど仕事にのめりこんだ。
彼は、34歳で、結核を発症する。
そして、壮絶な闘病生活をおくる中、41歳で生涯を終えた。
カフカの死後に発見された友人への手紙には、こう記されている。
「最後の願いだ。僕の遺稿のぜんぶ、日記、原稿、手紙のたぐいは、
ひとつ残らず、なかみを読まずに焼き捨ててくれたまえ」
カフカの死顔は、彼の精神があらわれたように、
きつく、きびしく、近寄りがたかったという。
臨終の話 魯迅
中国近代文学の父、魯迅。
彼はあるとき、自叙伝を書くことをすすめられると、こう答えた。
私の生涯には、とりたてるようなことは何もない。
私の伝記程度なら、中国では四億も集まり、図書館を満たすことだろう。
伝記として残ることを拒んだ魯迅だが、遺書をしたためたことはある。
そこには、こう記されている。
キリスト教徒は、臨終ですべてを許すそうだが、私には敵が多い。
恨むなら恨め。こちらも誰ひとり許しはせぬ。
一刻者だった魯迅の葬儀には、六千人の学生や労働者が参集したという。
臨終の話 アルフレッド・ノーベル
ダイナマイトを発明した化学者、アルフレッド・ノーベル。
彼は晩年、持病のリューマチが高じて、心臓に障害を起こした。
これは、療養中のノーベルが友人にあてた手紙の一部。
皮肉なことに、医師は私の内服薬として、
ニトログリセリンを処方しています。
ニトログリセリンとは、
ノーベルが生み出したダイナマイトの原料である。
一方で、血管を広げる作用もあり、
現代でも狭心症や心筋梗塞の妙薬とされている。
ノーベルは、ニトログリセリンで治療を重ねるも回復せずに、
はげしい心臓発作を起こして死んだ。
dryden.
プロポーズの話 柳沢慎吾
コメディアン、柳沢真悟。
ひとり警視庁24時、ひとり甲子園など、持ちネタを挙げればきりがないが、
彼の決め台詞と言えば、去り際に言い放つ「あばよ!」だろう。
そんな柳沢は、1992年。
6年交際した一般女性に、こんな言葉をおくった。
「オイ、いい加減、あばよと言わすなよ! 一緒にいい夢見てゆこうよ」
去り際の決め台詞だった「あばよ!」は、
二度と彼女のもとから去らないための決め台詞になった。
プロポーズの話 猫ひろし
お笑い芸人、猫ひろし。
その名の通り「ニャー!」と叫ぶ猫マネを鉄板ネタに持つ彼は、
2006年に一般女性と結婚している。
出会った当初から「猫まっしぐら」で猛アタックをかました猫。
彼女へのプロポーズは、こんな一言だった。
「僕の飼い主になってください」
猫の渾身の一言を受けとった彼女は、こう返事したという。
「ニャー」
nakashi
プロポーズの話 大柿一真
騎手、大柿一真。
彼は、とあるレースで一躍、注目の的になった。
それは2011年9月22日、第13回園田プリンセスカップでのこと。
その日、大柿は、重賞初騎乗、初勝利を決めた。
しかし、勝利者インタビューにのぞむ大柿は、
嬉しさを爆発させるどころか、緊張して青ざめている様子。
それもそのはず、彼の口をついた言葉は、意外なものだった。
「僕でなんですが、僕と、結婚してください」
レースで勝ったら、勝利の舞台でプロポーズすると決めていた大柿。
無論、見事にゴールインを決めた。
プロポーズの話 伊集院光
豊富な雑学を武器に活躍するタレント、伊集院光。
ラジオパーソナリティーとしても活動する伊集院は、
なんといっても聞き上手。
だからだろう。
多くの恋愛を見聞きした彼は、1995年、
最愛の人にこんなプロポーズをした。
「恋愛なんて所詮勘違い。だったら僕と60年間勘違いしてみませんか」
結婚して10年。
相変わらず、伊集院は妻にぞっこん。勘違いし続けている。
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