門田陽

伊藤健一郎 15年8月23日放送

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友へ チェ・ゲバラ

チェ・ゲバラと、フィデル・カストロ。
二人の革命家は、キューバ革命を成し遂げた後、
ほどなくして別々の道を歩みだす。

再び革命に身を投じる道を選んだゲバラ。
彼は、キューバを離れる祭に、一通の手紙を友におくる。

「フィデル」と語り始めるその手紙には、こんな想いが綴られている。

 もし異国の空の下で、最期のときを迎えるようなことがあれば、
 僕の最後の思い出は、この国の人々に、とりわけキミに馳せるだろう。
 キミの与えてくれた教えやお手本に感謝したい。
 そして、僕の行動の最後まで、それに忠実であるよう努力するつもりだ。

ときに、政治観の不一致や仲違いが騒がれることもあった二人。

けれど、革命家として、友として、ときに肉親以上の絆で結ばれていた。
フィデルにあてた手紙は、こう結ばれる。

 ありったけの革命的情熱を込めて、キミを包容する。 チェ

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伊藤健一郎 15年7月25日放送

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背筋を凍らせる人 鈴木光司

「そのビデオを見た者は、一週間後に呪い殺される」

作家、鈴木光司を一躍有名にしたのは、
ホラー小説『リング』だった。

執筆を始めた当時、鈴木の家庭には生まれて間もない長女がいた。
家計は妻に頼むかわりに、家のことは自分が引き受ける。
慣れない育児に奔走する中、構想を練った。

ある日の執筆中、ふと一本のビデオテープに目が留まる。
幼い長女が何気なく差し出したものだった。
そこで鈴木は思いつく。身の毛もよだつ、呪いのビデオを。

鈴木は、自身の作品をこう論ずる。

リングシリーズはホラー小説でありながら、
人間を信じる、人類の明るい未来を信じる。
そんな願いが込められている。

まだ無名だったあの頃、鈴木は必死に信じたのかもしれない。
自分と家族の明るい未来を。

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伊藤健一郎 15年7月25日放送

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wwarby
背筋を凍らせる人 稲川淳二

ひたひたひたひた…

夏の風物詩、怪談。
その語り部といえば…ご存知、稲川淳二。

聞くまいとしても、つい誘われてしまう声。
しだいに目に浮かぶ怪しい景色。いつしか漂う何かの気配。

からんころん、からんころん…

人々の背筋を凍らせ続ける彼には、ひとつの持論がある。

怪談がどんなに怖くたって、
地獄を見た人間にとっては
怪談なんか怖くない。

来年も、再来年も、ずっと。
怪談を怖がり涼む、平和な夏が続いてほしい。

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伊藤健一郎 15年7月25日放送

150725-03
plancas67
背筋を凍らせる人 楳図かずお

 面白いものを作りたかったら、人間の本能を突けばいい。

これは、楳図かずおの言葉だ。
ホラー漫画の名手として知られる彼は、
あるときこんな胸中を打ち明けた。

僕はこれまで、誰も描かないような
おどろおどろしい作品をたくさん描いてきました。
でもそれは、怖い話をつくりたかったからではなく、
「恐怖」という最も本質的な感情を通して人間を描きたかったからです。
「美しい」という感情もそう。
それらを抜きに、人間を描くことはできません。

天才と称されることもあれば、狂人と揶揄されることもある楳図。
美しさに怖いほどの執着をみせる人間を描いた
『洗礼』という作品には、こんな問いかけがある。

狂った世界の中にただ一人狂わない者がいたとしたら
はたしてどちらが狂っていると思うだろう?

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伊藤健一郎 15年7月25日放送

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Adam Polselli
背筋を凍らせる人 スタンリー・キューブリック

世界を恐怖で震撼させた映画『シャイニング』。
作品を象徴するのは、ジャック・ニコルソンの狂気に満ち満ちた表情だ。

ジャケットにも採用されたそのシーンは、わずか2秒。
しかし、撮影は2週間におよび、190以上のテイクを重ねた。

監督を務めたのは、スタンリー・キューブリック。
完璧主義と言えば聞こえはいいが、彼の制作意欲こそ狂気そのものだった。

映画に狂った彼は言う。

 映画を作っているときは、ときたま幸せだ。
 映画を作っていないときは、間違いなく不幸せだ。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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iConJohn
あの頃、あなたに憧れた。(甲本ヒロトの場合)

ブルーハーツ、ハイロウズを経て、
クロマニヨンズで活躍する
ロックンローラー、甲本ヒロト。

若き日の彼は、ひとりの男に憧れる。

男の名は、ジョー・ストラマー。
イギリスのパンクロックバンド、ザ・クラッシュのボーカリストだ。

甲本は言う。

 ジョーに憧れました。
 ジョーのようになりたいと思いました。
 ジョーのようになる?
 それは、彼の音楽やファッションを真似る事じゃなく、
 誰の真似もしないことでした。

ジョーに憧れた少年は今。
唯一無二のロックンロールをかき鳴らしている。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

150418-02

あの頃、あなたに憧れた。(ジャクソン・ブラウンの場合)

シンガーソングライター、ジャクソン・ブラウン。
『1970年代で最も完成された作詞家』と称される彼が、
音楽の洗礼を受けたのは1964年。16歳の頃だった。

ジャクソンはその日、ローリングストーンズのライブに出かけた。
そして、人生を変える景色に出会う。

 だれかが、灰皿で重みをつけたパンティーを
 ステージめがけて投げたんだ。
 そしたらキースに当たってね。
 僕と一緒にいた女の子は、すっかり正気を失ってしまった。
 それで思ったわけさ。“これを仕事にしなきゃ”って。

空を飛び交い埋め尽くす女性の下着。
実に仕様もない光景が、偉大なミュージシャンを誕生させた。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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mpieracci
あの頃、あなたに憧れた。(スガシカオの場合)

シンガーソングライター、スガシカオ。
若き日のスガは、デビューに先駆け、
敬愛する村上春樹にできたてのアルバムを送りつけた。

差出人不明のCDが届いたその日のことを、村上はこう語る。

 「なんか変てこな名前の歌手だな」と思いつつ、
 とりたてて期待もせずに、そのCDをかけてみた。
 何かべつのことをしながら片手間に聴いていたのだが、
 聴こえてくる音楽の新鮮さに、はっとさせられることになった。
 スピーカーの前に座り、居住まいを正して、
 もう一度始めから聞きなおしてみた。
 そして「うーん、これ、悪くないじゃん」とあらためて思った。

村上が、特に気に入ったのは『月とナイフ』。
その曲は、こんな一言で始まる。

 ぼくの言葉が足りないのなら
 ムネをナイフでさいて えぐり出してもいい

スガがデビューして、もうすぐ20年。
送りつけられなくても、村上春樹はスガシカオを聴き続けている。

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伊藤健一郎 15年4月18日放送

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dishhh
あの頃、あなたに憧れた。(森田一義の場合)

森田一義は、歌舞伎町の小さなバーで、赤塚不二夫に見出された。
お笑いについて、映画について、絵画について、あらゆることを赤塚に学んだ。

赤塚との関係を、森田は振り返る。

 私の父のようであり、兄のようであり、
 そして時折見せるあの底抜けに無邪気な笑顔は、
 はるか年下の弟のようでもありました。

誰よりも慕った赤塚の葬儀で、森田はこんな弔辞を読んだ。

 私はあなたに生前お世話になりながら、
 一言もお礼を言ったことがありません。
 それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
 お礼を言う時に漂う他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです。

森田の弔辞は、こう結ばれる。

 赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 私もあなたの数多くの作品のひとつです。

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伊藤健一郎 15年2月15日放送

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月に立った男たち アラン・シェパード・ジュニア

 長い道のりだった。しかし、我々はここまで来た。

アポロ14号の搭乗員、アラン・シェパード・ジュニアの言葉だ。

ようやくたどり着いた場所。
月面歩行だけでは飽き足らずに、彼はなんとゴルフを始めた。

 月には空気がない。
 風もないからフォローもアゲンストも、
 さらにはフックもスライスもない。
 そのかわり、シャンクも見事なまでにまっすぐ飛んでいく。

第一打がダフリ、第二打はシャンク。
ゴルフとしては、惨憺たる成績だったが、
間違いなく、人類史上に輝くミラクルショットであった。

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