小林組・河田紗弥

河田紗弥 17年12月17日放送

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文房具のあれこれ 〜消しゴム〜

16世紀に鉛筆が誕生し、それに伴い消しゴムも登場した。

はじめは、小麦パンを使って消していたが、
1770年に酸素の発見者として知られるイギリスの科学者プリーストリーが
天然ゴムで、鉛筆の文字が消せることを発見したのだ。
それから2年後の1772年には、
イギリスではじめて
角砂糖ほどの大きさの消しゴムが販売されるようになった。

日本では、明治時代から大正時代にかけて
鉛筆が発展したことに合わせ、
いくつかの消しゴムメーカーが誕生した。

その後、日本のメーカーは、
消しゴムの消す力を高める研究を続けた。
1959年、世界初のプラスチック消しゴムは、
日本で誕生した。

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河田紗弥 17年12月17日放送

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文房具のあれこれ 〜のり〜

人は昔、モノとモノをくっつけるのに
「にかわ」と呼ばれるものを使っていた。
「にかわ」とは、動物の皮や骨をお湯で煮たときにでる
粘り気のある液体を乾燥させたものである。

その後、日本ではご飯つぶをヘラなどで練ったものや
おかゆの炊きこぼれを集めたものなども使っていた。
当時、おかゆのことを「ねまり」と呼んでいたことから、
それが変化して、
現在の「のり」になったと言われている。

江戸時代になると、のりは幅広い場面で必要とされ、
人々の生活に欠かせないものとなった。
しかし、米を原料としていた、こののりは
すぐに腐ってしまい、長く保存ができなかった。

そして明治20年。
藤井恒久は、ドイツののりからヒントを得て、
でんぷんに防腐剤や香りを加えた
でんぷんのりをつくった。
第二次世界大戦が始まり、食べ物が不足すると、
「お花のでんぷんのり」が生まれた。

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河田紗弥 17年12月17日放送

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文房具のあれこれ 〜セロテープ〜

戦後、日本に駐留していたGHQは、
検閲した手紙の封かんにアメリカ製のセロハン粘着テープを使っていた。

しかし、輸入が遅れ、テープ不足が発生し、
GHQは、急遽、絆創膏などを製造していた会社に製造を打診した。
セロテープに、大きな可能性を感じた当時の社長、歌橋憲一は、
絆創膏製造の技術を応用し、
1948年には、セロハン粘着テープの試作品を納品した。
短期間で試作品をつくり上げた日本の技術力を
当時のアメリカは高く称賛したという。

GHQへの納入を続けるうちに、安定して生産ができるようになり、
1984年には「セロテープ」として市販を開始した。

しかし、当時の日本では、ものを貼るのに
粘着テープを使う習慣がなかったため、全く売れない。

そこで、セロテープの広告をボディに貼り付けた宣伝カーを全国に巡回させ、
使い道や特徴を直接伝えていった。
かわいい形をした宣伝カーが子どもたちの目を惹き、
商品の便利さに大人たちが目を留め、
瞬く間に、セロテープは普及していった。

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河田紗弥 17年12月17日放送

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文房具のあれこれ 〜修正液〜

1950年代のアメリカでは、
文書をタイプライターで打ち出すのが一般的であった。
そのため、タイプミスをする度に、打ち直しをしたり、修正をしたりと、
多くの時間をとられてしまっていた。

最後の一行でタイプミスをしてしまった場合、
修正できず、
もう一度、最初から打ち直す必要があった。
そのため、たった一つの資料を完成させるのに、
清書だけでも約1ヶ月かかることもあったという。

しかし、アメリカのベット・ネスミス・グラハムという女性に
あるひらめきが生まれた。
「紙と同じ色で塗りつぶしてしまえばいいのでは」と。
そこで、実際に間違えたところに、白い絵の具を塗って、
タイプを打ち直してみると、見事に成功した。
そして、この一年後の1951年に、
彼女によって、修正液は発明され、
翌年1952年には、日本にも輸入された。

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河田紗弥 17年12月17日放送

171217-05

文房具のあれこれ 〜チョーク〜

誰もが一度は手にしたことがあるであろう「チョーク」
これらが何でできているかを、ご存知だろうか。

チョークは、かつて海に浮かび暮らしていた「コッコリス」という
小さな丸い生き物の死骸が、海底に沈み、
何千年もかけ積み重なったものが材料となっている。

世界で初めて顕微鏡でチョークを観察した博物学者の
トーマス・ハクスリーは、こう語っている。

「何の変哲も無い1本のチョークを握り、その中にある微小な構造を
 注意深く見つめてみると分かることがあります。
 それは、南イングランドの平野がかつては今の状態とは異なり、
 浅い海の下にあったこと。
 そして、小さな生き物たち、
 まさに今あなたの手の中にあるもので溢れていたということです。」

そして彼は続けた。

「近年になって、大地が上昇し、海水は蒸発しました。
 そして今あなたの目の前にあるチョークは、今となっては姿を消した
 化石化された古代世界の証拠なのです」
と。

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河田紗弥 17年12月17日放送

171217-06

文房具のあれこれ 〜カッターナイフ〜

「紙が切れやすく、長持ちするナイフが欲しい」
一人の男の悩みが、ある文房具の発明のきっかけとなった。

オルファ株式会社の創業者である岡田良男は、
昭和30年代に印刷会社で働いていた。
その作業中に、刃が古くなると、なかなか紙が切れにくくなり、
非常に不便であることを悩んでいた。

そこで、刃先をポキポキと折ることで、
最後まで切れ味を持続させる方式を考案する。
昔の紙職人がガラスの破片で紙を切っていたこと、
そして進駐軍にもらった板チョコのパキパキとした割れやすさ、
これらを組み合わせて、昭和31年に折る刃先カッターの試作品が完成した。

しかし、当時このアイディアを採用してくれる会社は全くなく、
岡田は自ら会社を興し、販売を開始した。

そしてカッターナイフは、国内で徐々に評判を高めていき、
次第に海外にも広まっていった。

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河田紗弥 17年12月17日放送

171217-07
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文房具のあれこれ 〜ダブルクリップ〜

紙を束ねたり、挟んだり…。
こういった行為は、紙の歴史とは切っても切れない動作である。
当時は、仕方なく紙に穴をあけ、針や紐などで束ねていた。

どうにかして、紙に穴をあけることなく、
紙を束ねることはできないだろうか。
そうして、アメリカ人のルイス=エドイン=バルツレーによって発明されたのが、
ダブルクリップだ。
ダブルクリップは、テコの力を利用してレバーでクリップが開くようになっている。

クリップの持ち手を折りたたんで横から見るとWの形に見えることから、
この名前がつけられた。

また、持ち手のレバーがぶらぶらしないように、
レバーが外に開くようなバネとして作用している。

そして、ルイスのもう一つの工夫は、クリップ部分に文字が記入できるようにすることで、
インデックスとしての利用も可能にしているのだ。

1910年に特許が出願され、当時からほぼカタチを変えずに、
現在も便利な文房具として、多くの人に愛用されている。

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河田紗弥 17年12月17日放送

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文房具のあれこれ 〜ハサミ〜

日本のハサミのはじまりは、江戸時代まで遡る。
当時のハサミは、木製の植木用木鋏が中心であり、
あまり機能的なものではなかった。

しかし、明治時代に入り、
衣服の欧風化に伴い、それまで布の裁断に使われていた裁ち刀や裁ち包丁よりも
さらに機能的な刃物が求められるようになった。
ちょうどその頃、明治維新以降、廃刀令が命じられ、
刀の製作ができなくなっていた鍛治の多くは、手持ち無沙汰にしていた。

そこで、江戸の刀鍛治・吉田弥十郎が舶来のラシャ切鋏を参考に
刀鍛治の技法を生かして、裁ち鋏を生み出した。

機能的な刃物の需要の高まりと、
鍛治職人たちの手持ち無沙汰が重なるという偶然の賜物が
現在のハサミにつながっている。

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河田紗弥 17年10月22日放送

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Pedro
文房具のあれこれ 〜鉛筆〜

エリザベス王朝時代の1564年。
イギリスのボローデル山で、黒いかたまりのようなものが発見された。
その黒いかたまりが、現在の鉛筆の芯の原料となる黒鉛だ。

はじめ、人々は黒鉛そのものを手に持って、文字や絵を書いていたが、
手が汚れて使いづらかったため、
木に挟んだり、布で巻いたりして、使うようになった。

こうして、多くの人々が黒鉛を使うようになった結果、
約200年後には、ボローデル山から黒鉛が姿を消してしまった。

そこで、ニコラス・コンテとカスパー・ファーバーは
他の山からとれる黒鉛を細かい粉にし、粘土と混ぜ、焼き固め、
見事に鉛筆の芯をつくりあげたのだ。
また、黒鉛と粘土の割合を変えることで、
芯の濃さを変えることができることも発見した。

黒鉛の使う量を減らすために、生まれたこの方法。
使い勝手も、書き心地も、以前の方法よりよかったため、
今でも、鉛筆の芯は、この方法を基本に作られている。

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河田紗弥 17年10月22日放送

171022-02

文房具のあれこれ 〜シャープペンシル〜

1838年、
アメリカ人のキーランが「エバーシャープ」という名で
シャープペンシルを発表した。
当時は、ネジのついた棒を回して、中の芯を押し出すタイプのものであった。

日本に、はじめて輸入されたのは1877年。
1915年には、日本製のシャープペンシルが発売されたが、
芯の太さが1mmもあり、高価であったため、一般には広がらなかった。

1960年に、国内メーカーが
現在最も多い形であるノック式のシャープペンシルを発売し、
その2年後には、芯の太さが0.5mmのタイプを発売すると、
瞬く間に、多くの人々に使われるようになった。

0.5mmの芯は、
画数の多い漢字を使う日本語にぴったりの細さだったのだ。

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