フェラン・アドリア ロブションの賞賛
天才料理人 フェラン・アドリア。
かつて、ガストロノミーの権威はフレンチにあり、
アドリアのようなスペイン人が評価されるなどありえないことだった。
そんな時代に、誰より先に彼の才能を見抜き、
とある一言で、アドリアの運命を変えた男がいる。
アドリアは間違いなく、世界最高のクリエイターだ。
その男こそ、かの有名なジョエル・ロブションだ。
フェラン・アドリア ロブションの賞賛
天才料理人 フェラン・アドリア。
かつて、ガストロノミーの権威はフレンチにあり、
アドリアのようなスペイン人が評価されるなどありえないことだった。
そんな時代に、誰より先に彼の才能を見抜き、
とある一言で、アドリアの運命を変えた男がいる。
アドリアは間違いなく、世界最高のクリエイターだ。
その男こそ、かの有名なジョエル・ロブションだ。
cronicagastronomia
フェラン・アドリア ガストロノミー
天才料理人、フェラン・アドリア。
彼はレストランエル・ブリを畳んだ後、
近未来味覚ラボラトリーなる財団を設立した。
その場所を、アドリアのビジネスマネジャーを長年務める
エルネスト・ラポルテはこう表現する。
レストランは、音楽を演奏する場所。
タジェールは、“曲”を書く場所なんです。
様々なクリエイターたちを随時招聘し、チームで様々な議論をする。
最新のデジタル技術と連携しながら、
そのアイデアをどう料理に応用していくか、
終わりなき戦いに挑戦し続けているのだ。
アドリアの言葉に、こんな一言がある。
イワシとホワイトチョコレートを
混ぜちゃいけないなんて、誰が言った?
フェラン・アドリア。御年、53歳。
彼の挑戦はまだまだ終わらない。
チョコレート① ヴァン・ホーテン
世界中の人々が愛するチョコレート。
その誕生の裏には、4つの大きな革命があった。
1つ目が、オランダの化学者
C・J・ヴァン・ホーテンによる「ココア」の発明だ。
それまで、ざらざらとした口当たりの悪さで、
おいしくなかったチョコレート。
しかし1828年、彼がカカオ豆から
ココアパウダーとココアバターを分離製造する機械を開発。
これにより、簡単に飲めるチョコレートドリンク、いわゆるココアが生まれた。
200年弱が経ったいまでも、ココアと言えばヴァン・ホーテン。
すべての人が親しむ、唯一の味になったのだ。
チョコレート② ジョセフ・フライ
チョコレートを誕生させた、4つの革命。
その2つめはイギリスで起こった。
1847年まで、チョコレートは飲みものとされていた。
なぜなら、当時の製法でつくられたチョコレートは
とても砕けやすく、固めることができなかったからだ。
しかし、イギリスのジョセフ・フライがその歴史を変える。
ココアの粉末とココアバターを分離して混ぜ合わせ、
ペースト状にして、簡単にバーの形にできるようにした。
この技術によってチョコレートを成形することが可能になったのだ。
2年後、ジョセフは『おいしい食べるチョコレート』という名の板チョコを発売。
これが現在の板チョコのはじまりとなった。
そんなジョセフのチョコレートは
いま、キャドバリーと看板を変え、
全世界で40種類以上のチョコバーを売る人気ブランドとなった。
チョコレート③ ダニエル・ペーター
4大チョコレート革命の3つめは、
1876年、ダニエル・ペーターのミルクチョコレートの発明だ。
これまで香辛料のように苦みの強かったチョコレートが、
ミルクを加えることによって、まろやかな味に生まれ変わったのだ。
完成に至るまでは、長い道のりだった。
ダニエルは本来、ろうそく職人。
義父の経営するチョコレート会社の様子を見るうちに
職人魂に火が付いたのか、味の改良に取り組むようになる。
しかし、ただミルクを入れればよかったわけではない。
溶けたチョコレートに水分を混ぜると、
砂糖が油と分離するために食感が悪くなってしまう。
試行錯誤を繰り返していたダニエルは、
隣に住むベビーフード業者、アンリに相談を持ちかける。
二人は、昼夜を問わず研究に没頭。
ついにアンリがチョコレートに合う「粉ミルク」をつくり上げ、
ダニエルはミルクチョコレートを完成させるのだ。
アンリの本名は、アンリ・ネスレ。ネスレ社の創業者だ。
いまもチョコレートとコーヒ―がぴったりと合うのは、
彼らの友情の証かもしれない。
Chocolate Reviews
チョコレート④ ロドルフ・リンツ
4大チョコレート革命。
その最後の革命は、スイスで起きた。
発明者は、ロドルフ・リンツ。
誰もが知るリンツ社の創業者だ。
父親とお菓子屋を営んでいたロドルフは、
ある日、間違えてチョコレートを一晩中ミキサーに掛けたままにしてしまう。
一晩練り上げられたチョコレートは、
口あたりはなめらかで、
溶けるほどに、アロマと甘さが口いっぱいに広がる。
まさに、とろける美味しさだったという。
それが後に「コンチング」と呼ばれる、
チョコレートに欠かせない製法になる。
私たちの知るチョコレートは、
25歳の青年の、おっちょこちょいによって完成したのだ。
Creativity103
「デザインエンジニア」山中俊治 楕円
椅子、携帯電話、ロボットなど
様々なものを世に生み出す
デザインエンジニア、山中俊治。
それらは、みな、
一枚の紙を楕円で埋め尽くす準備運動から生まれた。
普通、円を描こうとすると、
つなぎ目がいびつになってしまう。
そこでまず山中は、ペンを空中に少し浮かせたまま
一定のスピードで円運動させる。
軌道が安定してきたところで紙に着地させ、
一周以上走らせてからそっと離す。
円運動の一部として、美しい楕円を描きつけるのだ。
Dick Thomas Johnson
「デザインエンジニア」山中俊治 Suica自動改札機
Suicaの自動改札機。
これも、デザインエンジニア 山中俊治のデザインによるものだ。
いまでは当たり前にある自動改札。
しかし開発段階では、うまく通れない人がほとんどだった。
カードを縦に当てたり、激しく振ったり。
人にするようにカードを機械に見せて通ろうとしたり。
改札はたちまち大渋滞となった。
そんなとき、山中がデザインしたのが「角度」だった。
手を正しく読み取り面に誘導し、立ち止まらせることなく、
でも、通り過ぎてしまわないように。
ICカードを読み込ませる一瞬の「間」をつくらせたのは、
手前側にちょっと起き上がった、傾斜面だった。
13.5度。その絶妙な角度が、
今日も大勢の人々をスムーズに街へと送り出している。
hayano
「デザインエンジニア」山中俊治 大根おろし
デザインエンジニア 山中俊治。
彼の代表作に「大根おろし」がある。
工場でつくられた大根おろしは
歯が規則的に並んでいる。
そのため、同じ向きで使っていると、
歯が溝をなぞるだけでおろせなくなってしまう。
昔、職人が銅板を叩いて作っていたものは
歯やその並びが微妙に乱れていたために、
そういうことは起こらなかったという。
だから山中は、あえて
歯の高さを2種類にしてランダムに並べ、
驚くほどおろしやすい「大根おろし」をつくりあげた。
彼は、職人技と生産性の両立をデザインしたのだ。
Jim Thurston
「デザインエンジニア」山中俊治 義足ランナーとの出会い
オスカー・ピストリウス。
この男も、デザインエンジニア 山中俊治に
大きな影響を与えたひとりである。
両足を膝下から切断した、義足のランナー ピストリウス。
美しく超人的な走りで、大会に出る度に記録を更新し、
パラリンピストの中では敵無しの選手であった。
しかし、世界陸上競技連盟は
そのカーボン製の義足が競技規定に反しているとし、
健常者と競う一般競技への参加を一切認めなかった。
2008年、スポーツ裁判所がその判断を覆す。
ロンドンではオリンピック、パラリンピックの両方に出場をし、
全世界の話題の人となった。
山中も、そんな彼の走りに魅せられた1人であった。
北京パラリンピックではじめてピストリウスを見たときのことを、こう語っている。
こんなにも人体と一体になっていて、
それでいながら、見た目はくっきりと人工物。
しかもそれがとても美しかった。
その後、彼はデザイナーとしてはじめて、アスリート義足界の門を叩くことになる。
機能美を操るプロとして、コンマ1秒を競う新たな領域への挑戦。
日本人パラリンピストたちの、美しく速い走りを、支えている。
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