小林慎一

河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 幕の内弁当

江戸時代、庶民の間で人気だったのが、芝居見物。

当時の芝居は、朝から晩までの長時間娯楽であった。
そのため、芝居の間の“幕の内”に食べるお弁当のことを
「幕の内弁当」と呼ぶようになった。

幕の内弁当のご飯に俵形のおにぎりが多いのも、
狭い場所でも、短時間で食べやすいようにという意味が込められている。

そう、歌舞伎見物の楽しみは
「か・べ・す」と言われていた。
菓子・弁当・寿司、のことだ。

歌舞伎をつまみに、飲んだり食べたり、
自由気ままに楽しんでいたんだとか。

そんな観客の様子を見て、
「なあに、客が飲んだり食べたりするのを忘れるくれえ、
うまい芝居をして見せてやらあ!」と
役者たちも張り切っていたようだ。

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河田紗弥 19年3月17日放送


Miguel Discart
ちいさなフルコース

海外でのBENTOブーム
火付け役になったのは、日本のアニメや漫画だ。

学校でお弁当を広げ、みんなで食べるシーンや
好きな人に手作り弁当を渡すシーン。
そして、そこで描かれるかわいくて、おいしそうな、
おにぎりや玉子焼き、タコさんウィンナーに
世界中が虜になったのだ。

真っ先にBENTOに目をつけたのは日本文化に関心の高いフランス。

元々フランスでは、
優雅にランチタイムを堪能しないのは
“かっこ悪い”という風潮があったのだ。
そのため、昼休みのランチに
2時間もの時間をかけてコース料理を楽しむのが普通だったとか。

しかし、リーマンショックの影響を受け、
フランスは不景気に見舞われた。
昼休憩が削られ、収入も減ってしまったフランス人は、
オフィスで簡単に食べられるサンドウィッチや携帯食を昼に食べることが増えた。

そんな生活に、どこか寂しさを感じていたフランス人の間で、
おいしそうな料理の数々が
色鮮やかに詰められた日本のBENTOが普及していくのに、
時間はかからなかった。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 駅弁

日本の鉄道の歴史は
1872年の新橋–横浜間の開業によって始まった。
しかし、その当時は、
「食まかりならず」との御触れが出されていて、
列車内での飲食が禁じられていた。

しかし、
1885年7月16日。
当時の日本鉄道が大宮–宇都宮間の開通と当時に歴史は変わった。

電車に乗っている時間が増えたため、
車内での食事が認められるようになり、
宇都宮の旅館 白木屋が駅で弁当を売り始めた。

白木屋の斎藤嘉平氏が販売したのは
梅干しいりのおにぎり2個に
ごま塩をふりかけ、
たくあん2切れと一緒に竹の皮に包んだもの。

それから132年、
現在は約4000もの種類の駅弁が販売され、
列車だけではなく、家で楽しむ人もいるんだとか。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 日の丸弁当

弁当箱いっぱいに詰められた白いご飯に、
アクセントとなる酸味と赤い色を添える梅干し。

平安時代から漢方薬として扱われてきた梅干しは
保存性に優れ、抗菌・防腐作用があり、
解熱や疲労回復にも効果があるとされる。

そして、日露戦争が始まったころには、
軍需用としても需要が高まり、
ご飯の真ん中に梅干しを埋めた
日本の国旗のデザインに似た日の丸弁当が食された。

今となっては、質素なお弁当のイメージである日の丸弁当だが、
当時は、貧しい家の子どもは、
ご飯に野菜屑などを混ぜて量を水増ししていた。
そのため、白いご飯に、良質な梅干しのお弁当を持参できる
豊かな家の子どもの弁当は
羨望や憎しみの対象になったんだとか。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 花見弁当

古くから、上流階級の貴族たちの間で楽しまれてきたお花見が
庶民のものになったのは江戸時代のこと。
徳川吉宗が、庶民の娯楽をつくるために、
隅田川堤や江戸の飛鳥山に桜を植えたことで普及していった。

当時のお弁当箱は、
提重(さげじゅう)と呼ばれる
今の重箱のようなもの。
食事を入れる塗り箱、
それと揃いで作られた取り皿、箸、酒器などを
コンパクトにまとめることができるものであった。

1801年に醍醐散人によって書かれた「料理早指南」には
花見弁当の献立が残されている。
玉子焼き、かまぼこ、蒸しかれい、さくら鯛、ひらめの刺身、
焼きおにぎり
さらには、そして椿餅やきんとんなども用意されていたんだとか。

鮮やかな料理とお酒を片手に、
桜を見上げ、楽しげに語らう姿は
今も昔も変わらない。

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河田紗弥 19年3月17日放送


Joe-Zachs
ちいさなフルコース インドのお弁当

インドの食事といえば、カレー。
もちろん、お弁当の中身もカレーが主流だ。

インドでは、温かく調理された食事を
三食きちんと食べる食文化を大切にしている。

そんなインドだからこそ生まれたシステム
「ダッバーワーラー」というものがある。

インドの最大都市ムンバイで100年以上前に誕生したシステムで、
毎朝ダッバーワーラーが各家を周り、
中身が入ったお弁当箱を回収し、
次々と他のスタッフに引き継いでいき。
お昼の希望時間に熱々のお弁当を届けるというもの。

携帯やGPSがない時代から現在もなお、
電車や自転車、徒歩を駆使し、
お弁当の回収から宅配まで、5〜6人の配達員を挟みながら、
時間通りにお弁当を届けているんだとか。

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河田紗弥 19年3月17日放送



ちいさなフルコース 中国のお弁当

同じアジア圏で、お米もよく食べるお隣の国、中国。

中国では一般的に冷めたご飯を食べる文化がない。
冷めたご飯は、お腹を壊すなど、
体に悪いという考えが古くからあるため、
朝昼晩問わず、あたたかいものを食べる人が多い。

そんな食文化が根付く中国では、
日本のコンビニチェーンのお弁当がオープン当初
全く売れずに苦戦した。

しかし、店内で出来たてのあたたかいお弁当を
買えるようにしたところ大ヒット!

食文化が違えば、お弁当も違う。
ただ、蓋をあけたときの笑顔は世界共通なのだろう。

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原央海 19年2月16日放送



ラグビー 始まり

ラグビーを生み出したのは、たった1人の少年だった。

約200年前。とある学校でのフットボールの試合中。
興奮した1人の少年が
突然、ボールを手に持って走り出し、ゴールを駆け抜けた。
イングランドのラグビーという町で起きたこの出来事が、
ラグビーの始まりだ、といわれている。

そして、2019年。
日本でラグビーワールドカップが開催される。
熱くなった1人の少年が生み出したスポーツが、
今年、日本中を熱くさせるだろう。

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原央海 19年2月16日放送



ラグビー ノーサイド

日本のラグビーでは、
試合終了を「ノーサイド」と呼ぶ。

身体をぶつけ戦った敵同士。
でも、試合が終われば関係ない。
健闘をたたえ合い、同じラガーマンとして1つの仲間になる時に、
敵も味方もどちらのサイドもない。
つまりは「ノーサイド」ということだ。
試合後には、両チームの選手やスタッフが
お酒を飲みながら交流を深めることも。

ゲームセットでもタイムアップでもなく、
すべての戦いの終わりが、ノーサイドであればいいと思う。

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原央海 19年2月16日放送


Kirk Wilkinson
ラグビー 子どもとラグビー

ラグビーは、子どもを成長させる。
体力面やスポーツマンシップだけでなく、
「1人は皆のために、皆は1人のために」
といった自己犠牲の精神も学ぶことができる。

元フランス代表キャプテンのジャン・ピエール・リーブ選手はこう言った。

 ラグビーは子どもをいち早く大人にし、
 大人にいつまでも子どもの魂を抱かせる。

今年のラグビーワールドカップ、開催国は日本。
北海道から九州まで全国12カ所で試合が行われる。
せっかくの機会だ。親子で初めてのラグビー観戦はいかがだろう。

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