小林慎一

河田紗弥 20年7月26日放送



耳で楽しむ夏の風物詩。 金魚すくい

夏の風物詩、金魚すくい。
その始まりは、江戸時代の後期ごろと言われている。

浮世絵などの版画に
金魚すくいを楽しんでいる子どもたちの様子が
描かれているからだ。

当時は、ポイではなく
すくい網を使って
制限時間内に、
どれだけ金魚を取ることができるかを楽しむものだった。

明治後期になると、
金魚を持ち帰ることができるようになり、
すくい網だと多くの金魚が持って行かれてしまうため、
現在のポイのようなものが誕生した。

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野村隆文 20年5月24日放送



窓を開けよう 大きな窓

「窓が大きさを増すのは、文明の拡大を暗示する」。
チェコ出身で、日本にも多くの建築を残した
建築家アントニン・レーモンドはそう言った。

異なる民族が陸続きで存在したヨーロッパでは、
外敵から身を守るために、強固な壁をつくる必要があった。
時代が下り、恐るべき敵が少なくなるにつれ、
少しずつ窓は大きくなってきたという。

一方で、モダニズム建築の礎を築いたル・コルビュジエは
「ヨーロッパの建築の歴史は、窓との格闘の歴史である」
という言葉を残している。

ヨーロッパの住まいを象徴する、石造りや煉瓦造り。
丈夫で頼りがいのある印象を受けるが、
石や煉瓦を積上げて作った壁に大きな窓を開けるのは、
建築家にとって長い間、悩みの種だった。

風が暖かくなってきた、今日このごろ。
大きな窓が開けられるのは、
平和の象徴であり、
建築家たちの積年の夢でもあるのかもしれない。

さあ、窓を開けよう。

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野村隆文 20年5月24日放送


Raymond.Ling.43
窓を開けよう 窓の由来

まど、という言葉を辞書で調べると、
いくつかの語源に行き当たる。

顔についている目の戸口と書いて、目戸(まと)。
人間にとって、目は外の世界を見て、
情報を受信するためのもの。
目が、身体の内側と外側をつなぐ穴だとすると、
窓は、家にとっての目だということだろうか。

または、間のとびらと書いて、間戸(まと)とも書く。
伝統的な日本家屋においては、周囲に壁はなく、
柱と柱の間に襖や障子を入れる。
シーンによって自由に仕切りをつくることもできるし、
夏には完全に開放して一続きの空間にすることもできた。

窓は、風と光を採り入れるだけのものではない。
間のとびらとして、内側と外側を曖昧につなぎながら、
目の戸口として、外の世界をスクリーンのように映してくれるものでもある。

出窓、飾り窓、天窓、フランス窓…
その人と、その場所の関係性の数だけ、
いろんな窓があるのかもしれない。

さて、いま目の前にある窓は、
あなたにとってどんな窓だろうか?

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野村隆文 20年5月24日放送



窓を開けよう 世界一の窓

世界一有名な窓は?
と聞かれて、何を思い浮かべるだろうか。

ピラミッドには窓がない。
エッフェル塔や、タージマハルや、サグラダ・ファミリアは、
壮大な建築は思い浮かべど、窓の印象は薄いかもしれない。

あるいは、誰もが知っている窓は、
あなたの部屋の中にもある。

ウィンドウズ。
複数の窓=ウィンドウを開く操作方法から名付けられた、
世界のコンピュータの80%以上で使われているシステム。

そもそも英語のwindowは、「風の目」を意味する。
その昔、風を防ぐためにどれだけ壁を作ろうとも、
塞ぎきれない隙間から、風は入りこんできてしまった。
その小さな穴を「風の目」と比喩的に捉えたのが、窓のはじまりなのだ。

いまやコンピュータは、手のひらサイズになった。
どれだけ遠ざけようとも、私たちの生活のなかに、
インターネットの風はどんどん吹き込むようになってきている。

近い将来、あらゆるものが窓となる時代に、
人と窓との付き合い方は、どう変わっていくのだろうか?

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野村隆文 20年5月24日放送


Ruth and Dave
窓を開けよう 窓税

イギリスの古い街を歩くと、
窓枠だけがあり、ガラスがふさがれている窓が見つかるかもしれない。
これは実は、1600年代の終わりから、実に150年以上にもわたり実施された、
「窓税」の名残。

当時、ガラスは非常に高価なもので、
裕福な家でなければガラスを窓に使うことができなかった。
逆に言えば、窓が多い家は裕福だろう、ということで、
住宅の窓の数に応じて課税されたのだ。

しかし、税を逃れようとして、
窓を埋めてしまう人々が続出。
そのため日光も射さず、風通りもない部屋が出来上がり、
健康を害する人々も後を絶たなかったとか。

この少し変わった税制は、
江戸時代の日本にもあった。

「間口税」と呼ばれ、家の間口の広さごとに税金がかかる仕組み。
京都では、節税のために町家の間口はどんどん狭くなり、
間口が狭く奥に細長い「うなぎの寝床」と呼ばれるまでに至ったとか。

大きな窓を自由に開けられることは、
いつの時代も当たり前のことではないのだ。

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野村隆文 20年5月24日放送


Shinoda-tym
窓を開けよう 日本一の窓

日本一窓の多い部屋、は定かではないが、
日本一窓の多い茶室は、
江戸時代に建てられた京都の擁翠亭(ようすいてい)
だと言われている。

設計者は、3代将軍徳川家光の茶の湯の先生であった
小堀遠州(こぼりえんしゅう)。
その茶室は、なんと全部で13の窓を持ち、
「十三窓席」(じゅうさんそうせき)の異名がついている。

中に座ると、眼前には色鮮やかな緑の庭園が広がる。
茶室の閉鎖性と、茶屋のような開放感が同時に存在する、
ちょっと変わった茶室。

千利休が好む、「わび」「さび」を代表する内向きの趣に対し、
落ち着きのあるたたずまいの中にも華やかさを伝える
遠州の「きれいさび」という美意識が、
見事に体現されている。

彼は、窓を開け放つことで、
茶会は暗く閉ざされたものという価値観にも、
軽やかに風と光を採り入れたのだ。

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野村隆文 20年5月24日放送



窓を開けよう 窓辺の人

善も悪も、ようするに人間の内にあるもの
すべてを引き出して際立たせるのが
窓なのである。

都市や建物を研究する建築史家であり、
建築家としても活躍する藤森照信はそう言った。

窓辺に立った人には、額縁に入ったように、
安定感と、格別な気配が生まれるという。

想像するのは、映画のワンシーン。
ラブロマンスでは、窓辺で恋人に想いを馳せ、
サスペンスでは、窓越しに異変がないか目を光らせる。
コメディは、たいてい窓を突き破るし、
ファンタジーは、窓から未知への旅に出る。

窓辺は人の本質を引き出し、
想像力をかき立ててくれるのだ。

家から出られない日曜日。
たまには窓辺に椅子を置いたりして、ゆっくり過ごしてみれば、
あたらしい考えや、今まで知らなかった自分が見つかるかもしれない。

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野村隆文 20年5月24日放送


Colt International Limited
窓を開けよう 窓は生命である

イタリアの建築家でありデザイナー、ジオ・ポンティは、
窓は生命であり内部でもある、と言った。

ピラミッドや塚といった、
幾何学に基づく古代建築の、現代の建築との違いは、
窓がないこと。
それもそのはず、墓では誰も会わないからだ。

一方で、マシンランドスケープと呼ばれる、
巨大なデータセンターや、物流倉庫がある。
現代の生活の象徴とも言える人間不在の建築には、
当たり前のように、窓はない。

窓は、
その内部で生活する人々のためのものであり、
そこに人が生きている証拠でもある。

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野村隆文 20年5月24日放送



窓を開けよう 心地よい窓辺へ

窓辺を提示すること。
荒れ狂う世界に対して、建築ができることはこれしかない。

力強い言葉でそう語ったのは、
新しい銀座線渋谷駅の設計も手掛けた建築家、内藤廣。

アルヴァ・アアルトの名建築 マイレア邸に感銘を受けた内藤は、
その窓辺は、大きな安堵感と、人の尊厳を支える場所だと述べる。

人にとって居場所があることは、不安定で混乱した外の世界に対する
心のシェルターとしての役割も大きい。
そもそも、建築は風雨から身体を守るものとして発展したもの。
あらゆる窓辺や建築は、人間が自由に守られるために存在するのだ。

人の居場所が、あらためて考え直されている今。

自分の家に、好きな街のどこかに、あるいは
遠く離れた国や、バーチャルな空間のなかに、
それぞれの人にとって居心地のいい、
とっておきの窓辺が見つかりますように。

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山本貴宏 20年3月15日放送



桜のはなし 暴れん坊将軍

お花見は昔、貴族や武士だけが家の庭や敷地内でするものだった。
庶民が花見をする場所を作ったのは、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗だった。

「享保の改革」の一環として浅草や飛鳥山に桜を植えて、
さらには花見客用の飲食店までつくらせ、
一般庶民も桜を楽しめるようにと環境を整えたのがはじまりと言われている。

度重なる放火など、治安が悪かった当時
庶民に花見という娯楽を与えることで人の心を安定させようとしたのだ。

300年の時が過ぎた2020年、忙しない春の日には
粋な暴れん坊将軍の心意気を感じながら花見を楽しんでみると、
また格別かもしれない。

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