小林組・四宮拓真

四宮拓真 16年12月11日放送

161211-05

天才絵師 河鍋暁斎「コンドルとの交流」

天才絵師・河鍋暁斎は、多くの外国人と親しく交わった。
なかでも、イギリス人建築家ジョサイア・コンドルとの交流は有名だ。

暁斎の才能に惚れ込んだコンドルは弟子入りを志願し、
暁斎もそれを受け入れた。
明治14年、暁斎50歳、コンドル28歳のときだった。
その2年後には、イギリスの英の字をとって、
コンドルに「暁英(きょうえい)」という名が授けられた。

要職にあったコンドルは最も忙しい時期だったが、
その合間を縫って、暁斎との交わりを心から楽しんだ。
暁斎の絵日記にはたびたび「コンデル君」が登場する。

ふたりは、国籍の違いや師弟の関係を超えて、
親友だったのかもしれない。
明治22年、暁斎が胃ガンでこの世を去ったときも、
コンドルはしっかりと彼の手を握っていた。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-06

天才絵師 河鍋暁斎「動物画」

絵師・河鍋暁斎は、動物画をよく描いた。
猫・犬・猿・虎・・・
優れた伝統技法を用いて、
非常に美しく描かれている。
しかし、暁斎の動物画は、
ただ美しいだけではなかった。

猫の集団がまるまる太ったナマズを狙う
「群猫釣鯰図(ぐんみょうちょうねんず)」。
猫たちは花街の芸者を表し、
長いヒゲを生やしたナマズは官僚を表すといわれる。

暁斎は
かわいらしい動物の姿を通して、
社会に鋭い視線を向けていたのだ。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-07

天才絵師 河鍋暁斎「絵日記」

酒好きで知られた絵師・河鍋暁斎。
明治3年、暁斎は酒に酔って政府を批判する画を書き、
投獄されてしまった。

翌年釈放された暁斎は、
まるで世間に反省を示すように雅号(がごう)を改めて
創作を再開したが、
酒をやめることは、もちろんなかった。

そんな暁斎を、
弟子のコンドルはユーモアあふれる表現で
こう擁護している。

 彼は、その極めて奔放な空想、最も新鮮なる構図、
 および大胆不敵な筆致が、
 酒神(しゅしん)バッカスの力によって生み出されたものであることを
 「わきまえて」いたのだ。

と。

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四宮拓真 16年12月11日放送

161211-08

天才絵師 河鍋暁斎「河鍋暁斎記念美術館」

天才絵師・河鍋暁斎の作品は、
埼玉県蕨市にある、
河鍋暁斎記念美術館で見ることできる。

静かな住宅街の中の小さな美術館は、
あの濃密な作風と比べると、
ややアンバランスな印象さえ受ける。

暁斎は、過激で豪快な人柄というイメージがあるが、
実のところ、真面目で気の小さい男だったと言われる。
晩年には狩野派(かのうは)に再入門し、
伝統技法の遵守・継承にも力を注いだ。

喧騒を離れたところに、本質がある。
暁斎は、いまも静かな場所であなたを待っている。

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