後藤新平
1923年 関東を未曾有の大地震が襲った5日後、
帝都復興院総裁 後藤新平はこう宣言した。
躊躇逡巡。
この機会を逃すこと、国家永遠の悔を遺すに至るべし。
後藤にとって震災は
東京発展のチャンスだったのである。
復興費に30億円を要せよ。
幹線道路は、幅60m以上、中央に芝を。
建物も広場も、建材はレンガを使うべし。
新聞紙面上に発表された国政の数々。
しかし、後藤は世間に大風呂敷と揶揄され、
結局復興は五億円にも満たない小さなものとなった。
あれからもうすぐ一世紀、
(ナビ)この先、集中工事のため渋滞です。
幅22mの環状線の真ん中で、
今日もカーナビが、
僕たちに国家永遠の後悔を、告げている。