中村組の三國です。
カンヌにこのたび行ってきましたので
そのことをぽつぽつと書こうと思います。
たぶん日記みたいな感じで書いていきます。
中村組・三國菜恵
三國菜恵 11年6月12日放送
あの人の師/井上雄彦
漫画家・井上雄彦。
彼の師匠は、あの『シティーハンター』の作者・北条司だった。
20年もの間〆切を守り、
机の上で肉体と精神をつかい果たす姿をずっと見てきた。
『スラムダンク』がヒットして
師匠にほめられたときのことを、彼はこう語る。
職人に誉められるなんて、とても嬉しかった。
あの人の師/角田光代
小説家、角田光代(かくた・みつよ)には
ちょっと変わった師匠がいる。
それは、プロボクサーの輪島功一(わじま・こういち)さん。
角田さんは、大失恋をきっかけにスポーツジムに入門。
それがたまたま、輪島さんのジムだった。
輪島さんは、
毎日、練習生たちの靴をきれいに並べる。
毎回、気持ちの良いあいさつを返してくれる。
角田さんはその行動に、ひそかに尊敬の念を寄せていた。
彼女が輪島師匠からもらったことばに、こんなものがあるという。
おんなじことを嫌がらずに繰り返しやった人と、やらなかった人とでは、
得られるものがぜんぜん違うんだ。
三國菜恵 11年6月12日放送
あの人の師/戸田奈津子
職業のなかにはいくつか、
「どうやったらなれるのかわからないもの」がある。
戸田奈津子(とだ・なつこ)さんも悩んでいた。
映画字幕の翻訳家になりたいけれど、なり方がわからなかった。
そこで彼女は、映画のエンドロールの中に、師匠をさがすことにした。
字幕翻訳家、清水俊二(しみず・しゅんじ)。
生涯で2000本もの映画を翻訳した、重鎮だった。
清水さんは戸田さんに、簡単には仕事をくれなかった。
それどころか、いつもこう聞いた。
まだ、あきらめないの?
そのたびに戸田さんは言った。「あきらめません」。
いま、映画のエンドロールに、彼女の名前を見ない日はない。
それは、師匠が鍛えてくれたねばり強さの証かもしれない。
三國菜恵 11年5月22日放送
生き物のはなし/いとうせいこう
ベランダで、花を育てている。
けれども、うまくいかず
ときには、枯らしてしまうこともある。
クリエイター・いとうせいこうは
そんな失敗を繰り返すひとり。
けれども彼はその失敗を、とても大事に考えている。
園芸は植物を支配することではないのだ。
むしろそれが出来ないことを教えてくれるのである。
生き物のはなし/高村光太郎
作家としてはもちろん、
彫刻家としても数多くの作品を残した
高村光太郎。
彼は、ある生き物のことが
特別好きだった。
それは、セミ。
彫刻のモチーフとして
すばらしい姿をしている
と考えていたようで、
セミを見つけにいくことを
「モデル漁り」、なんて言い方をしていた。
加えて、やかましく聞こえがちなあの声も
高村にとっては愛らしく聞こえていたらしい。
あの一心不乱な恋のよびかけには
同情せずにいられない。
まっすぐなセミの声は、
まっすぐな心をもつ高村に、心地よく聞こえていたようだ。
三國菜恵 11年5月22日放送
生き物のはなし/野毛山動物園の飼育員たち
横浜市にある野毛山動物園には
いっぷう変わった場所がある。
その名も、「しろくまの家」。
名前のとおり
しろくまが暮らしているのか、と思いきや
そこには何の姿もない。
そして入口には、こんな文字。
みなさんもホッキョクグマになったつもりで、
また飼育係になったつもりで探検してみましょう。
そう、ここはかつてしろくまが暮らしていた家。
飼育員さんたちはそこをお客さんに開放して、
自由に見てもらえるようにしたのだ。
しろくまがいたのと同じ場所に立って
景色を眺める人もいれば、写真を撮り合う人もいる。
それはとっても明るい光景。
飼育員さんたちのはからいで
「しろくまの家」は、今も変わらず
お客さんのいい顔であふれている。
三國菜恵 11年4月16日放送
こどもにとって、
父親の仕事は気になるもの。
チャップリンのこどもたちも、
パパの映画に興味があった。
そんなことを知ってか、
チャップリンは自分の映画の上映会を
よく開いてくれたという。
それも、本人による解説つきで。
「さあきました。ちっぽけ放浪者です」
「さてまいりましたが、足に包帯をしたでっかい野郎といっしょです」
それは、映画の説明と言うより、独演会。
こどもたちはみんな、声をあげて笑った。
上映会が終わると、チャップリンはこうたずねる。
ほんとうにおもしろかったかい?
子供たちを喜ばすことが世界中で一番むずかしいんだよ。
チャップリンにとって我が子は、
いちばん反応が気になるお客さんだった。
チャップリンが
いちばん信頼していたといわれる付き人は、実は日本人。
名前は、高野虎市(こうの・とらいち)さん。
彼の気遣いは、とてもきめこまやか。
たとえば、チャップリンのポケットに
いつも50ドルを入れておく。
それは、
ボーイさんにチップをあげ忘れることがないように
という配慮から。
気まぐれなチャップリンは、
お金を持たないまま
つい外出してしまう癖があった。
なので、
チャップリンがけちだといわれているのは
まったくの誤解なのですと、高野さんは語る。
いいところも、だめなところも。
ちゃんと「わかって」くれてる人だったから
チャップリンは秘書に選んだのかもしれない。
三國菜恵 11年4月16日放送
チャップリン80歳の誕生日のとき、
彼の家には報道陣があふれた。
けど、チャップリンは沈黙をつらぬくばかり。
そんなようすを見た、スイスの新聞社は
こんな文章を掲載した。
チャップリンが沈黙を守るのは仕方がない。
八十一本の彼の映画のうち
七十六本はサイレントなのだから。
三國菜恵 11年03月27日放送
弟子だった人も、
ひとり歩きをしなければならない時がくる。
現代短歌の歌人・山本かね子は心細かった。
師匠、植松壽樹(うえまつ・ひさき)がこの世を去ってから
アドバイスしてくれる人が
いなくなってしまったから。
でも、彼女は思いだすことができた。
困ったときに先生から言われる、いつものことばを。
自分の歌は見えにくいものです。
毎日眺めていてもなかなか良くならない。
そこで、四、五日見ずに置くこと。
師匠のことばを一生の宝に
弟子は今日も、確かな一歩を踏み出していく。
宮沢賢治の『雨ニモマケズ』の
モデルになったといわれる人物がいる。
彼の名前は、斎藤宗次郎。
『非戦論』をとなえた内村鑑三の愛弟子にあたる青年だ。
雨にも負けず、風にも負けず
毎日新聞配達をつづける彼のポケットには
いつもすこしの小銭とお菓子が用意されていて
それを、行く先々でこどもたちに与えていた。
師匠が晩年、床に伏した時も
必要な薬を駆けまわって探し、
最後まで看病の手を休めることはなかった。
そんな斎藤を弟子に持った内村は、
彼の人柄について、こんな言葉をのこしている。
彼の澄める眼眸(ひとみ)に我等は無量の平和を読めり
三國菜恵 11年01月09日放送
「わたしがいちばんきれいだったとき」で知られる、
詩人・茨木(いばらぎ)のり子。
彼女はこんなふうに二十歳を実感したという。
鏡見たら、目が真っ黒に光っててねえ。
今が一番きれいなときかもしれないっていうふうに思ったのね。
毎日見てる自分が、
ある日ちょっと違って見えたなら
大人になれてるサインなのかもしれません。
がんばりすぎるとカッコ悪い。
適当なくらいがちょうどいい。
作家・金原(かねはら)ひとみは
そんな価値観で育った若い世代のひとり。
「蛇にピアス」で芥川賞を獲った二十歳のとき、
彼女はこんな受賞のことばを残した。
がんばって生きてる人って何か見てて笑っちゃうし、
何でも流せる人っていいなあ、と思う。
私はそんな適当な人間だから、小説にだけは誠実になろうと思う。
適当でいいや。
そう思えなかった、ただひとつのものが
彼女の人生を支えるものになった。
三國菜恵 11年01月09日放送
お風呂つきのアパートに引っ越した。
赤坂見附の近くのラーメン屋さんに寄るのがたのしみだった。
女優・樋口可南子(ひぐち・かなこ)の二十歳は、
はんぶん学生で、はんぶん女優。
ある仕事で、彼女は脚本家の先生に
こんな思いきったことを言ったという。
このヒロイン、もっと悪くなりませんか?
そのひと言で、
旅館のおかみさん役の彼女に
お客さんと不倫するシーンが加わった。
強気な性格がそうさせたのか、
それとも、若さのせいか。
いずれにせよ、
若者のひと言が、
物事を思いきった方向に運ぶことってあるみたいです。