中村組・三國菜恵

三國菜恵 10年12月05日放送



つくる人のことば/菊池敬一

こんな本屋、アリなんだ。

そんな声が聞こえてきそうな本屋、
ビレッジバンガード。

創始者である菊池敬一さんは、
自らの店を「遊べる本屋」と称する。


 棚を作っていくことを「編集」と呼んでいます。

SFマンガのとなりに、星座の本。
その隣には、地球儀。

連想ゲームのような本棚に、最初は拒絶を示す人もいた。
けれど、今では全国に300店舗。

誰かのルールで並べるのではなく、
自分のルールであたらしくつくる。

そんな本棚は、みんなの心をたのしませた。



つくる人のことば/萩尾望都

「ポーの一族」などで知られる
少女漫画家・萩尾望都(はぎお・もと)。
彼女は、漫画についてこんな考え方をしている。


 少年漫画のほうが、比較的ドラマの起伏、事件が起こることが大事。
 でも、心理が細かくないと女の子は読んでくれない。

彼女はきっと
男女の違いに気づいてるからこそ、
女の子のための漫画が描ける。



つくる人のことば/藤牧義夫

その人は、東京を描いた。
毎日のように、同じ場所から。

群馬県・館林生まれの版画家、藤牧義夫。
故郷を離れ、出てきた東京で
いくつかの版画を残している。

鉄橋、給油所、沈む夕陽。
その多くは、隅田川からの景色ばかり。

彼は、こんな言葉を残している。


 強烈な光が、音響が、色彩が、間断なく迫るその中に、
 不安な気持ちで生存する事実
 それを唄いつつ 自分は常に強く行く。

生きていることを実感できる景色。
それは、故郷を出てはじめて出会うものなのかもしれない。

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三國菜恵 10年11月14日放送



人と石/南アフリカの少年

1860年代、南アフリカ。
オレンジ川のほとりであそんでいた少年が
光る石を見つける。

それが、南アフリカ最初のダイアモンド。
のちに「ユーレカ」と名付けられる。
その意味は、ギリシャ語で「我、発見せり」。

少年の発見は、世界最大の
ダイアモンド鉱脈の発見につながった。



石について/夢の浮橋

数奇な運命をたどった石がある。

その石は、
南北朝時代に、後醍醐天皇が肌身離さず持ち歩いていた。

戦国時代には、豊臣秀吉、
江戸時代には、徳川家康の手に渡り、
「お守り」の石とされてきた。

この石が彼らの命を
本当に守ったかは定かではない。
けど、心をなぐさめていたことは間違いない。
だって、名前がとても美しいから。

石の名前は、「夢の浮橋」。
現代人の私たちは、徳川美術館に行けば観ることができる。



人と石/中島誠之助

「いい仕事してますねえ」のセリフでおなじみの
人気鑑定士、中島誠之助。
彼は、小学生たちにこんな宿題を出したことがある。


 自分の宝物を見つけて、持っていらっしゃい。

思い思いのものを持ってくる生徒たち。
彼自身も生徒に混ざり、
一番の宝物を持ってきてみんなに見せた。

それは、小さな石。
8歳のときに河原で拾って以来、ずっと大事にしてきたという。

高価なお宝はたくさん知っていても、
ほんとの宝物は石ころひとつ。

「お宝」に対する、彼の心がうかがえる。

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三國菜恵 10年10月09日放送


ジョン・レノンと、バンジョー

バンジョーはアメリカ生まれの楽器。
ギターよりも弦の数が少なく
まるい形をしている。

それが、ジョン・レノンが初めておぼえた楽器だった。

手ほどきをしたのは、生みの母である、ジュリア。
訳あって離ればなれに暮らしていた二人だったが
コードを覚えたくて仕方なかったジョンは、
バンジョーが得意だった母のもとへ通った。

母と子の絆になったバンジョーがきっかけで
ジョンはミュージシャンへの道を歩きはじめるが
同時にそれは、ギタリスト ジョン・レノンに
ある癖を残すことになった。
その頃の演奏についてジョン自身が語る。

 6本めの弦の使いかたがわからないままギターを弾いていた

正しく弾けることが、人を魅了する音楽になるとは限らない。


ジョン・レノンと、主夫業。

ジョン・レノンは、
ロックスター最初の「主夫」でもあった。

1975年、35歳の時に
息子 ショーン・レノンが誕生。
彼は、音楽活動を休止して
育児にいそしむことを選んだ。

僕には、仕事と家庭は両立しないように思えた。
ヨーコとの関係や子どものことの方が
ずっと大事に思えたんだ。

息子の骨格の変化を気づかったり、
どんなテレビを見せようか悩んだり。
パンを焼いてヨーコの帰りを待つ日もあったという。

そんな「主夫」生活にも、ピリオドが。
きっかけは、5歳になった息子が
友だちの家から帰ってきた時に発した、こんなひと言だった。

パパって、ビートルズだったの?

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三國菜恵 10年10月09日放送


ジョン・レノンと、俳句。

わび、さびを理解しようとしたジョン・レノン
仏教の修業もこころみたジョン・レノン
日本との結びつきはそれだけではなかった。

俳句は僕が今まで読んだ詩の形式のなかでいちばん美しいものだと思う。

自然、且つ簡潔な言葉で
自分も詞を書こうとしたジョン・レノン。
1969年に発表された「ラヴ」という曲には、
俳句の美意識が生きている。

愛とは感じること
感じることが愛

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三國菜恵 10年09月12日放送


人と、壁。/坂口弘

坂口弘は
死刑を言い渡されて7年が過ぎようとしている。

彼は、拘留所のなかでペンを執り
短歌を書きつづけた。
そしてそれを、新聞の寄稿欄に投稿していた。

定期的に届く歌に
多くの人がハッと心を動かされ、
気づけば、彼は歌壇の「常連」になっていた。

紙を滑る筆ペンの音の心地よさよ 房(ぼう)にも秋はひそやかに来ぬ

彼の短歌は一冊の本になって
壁の外で、ささやかな脚光を浴びている。


人と、壁。/ピーター・ブルック

イギリスの舞台演出家、ピーター・ブルック。
彼は、なにもない空間に可能性を見出すことによって
伝統の壁を軽々と超えた。

 どこでもいい、なにもない空間―
 それを指して、わたしは裸の舞台と呼ぼう。
 ひとりの人間がこのなにもない空間を歩いて横切る、
 もうひとりの人間がそれを見つめる―演劇行為が成り立つためには、
 これだけで足りるはずだ。

いままで誰も見たことがなかったピーター・ブルックの演劇を
言い表す言葉はどこにもなかった、
それはいま、ふたつの言葉で表現されている。
「古典的、かつ、前衛的」


人と、壁。/中村一義

自らつくった心の壁が、
自らを閉じ込めてしまうこともある。

ミュージシャン・中村一義にもそんな時期があった。
自分の部屋をスタジオにして閉じこもり
壁のように閉ざしたドアの向こうで
ひとり聴きつづけた心の声。

自分の心に光をあてたその歌に救われた若者は多い。

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三國菜恵 10年08月15日放送



あの人の8月15日。/高見順

1945年8月15日
プロレタリア作家、高見順は
電車に乗っていた。

彼はそこで、
終戦を信じない日本兵たちの声を聞く。


 今は休戦のような声をしているが、敵をひきつけてガンと叩くに違いない。

高見は、ひそかやな溜息をついた。


 すべてだまし合いだ。
 政府は国民をだまし、国民はまた政府をだます。
 軍は政府をだまし、政府はまた軍をだます。

戦争がはぐくんだ
だましあいの心に気づき、彼はじっと眼を閉じた。



あの人の8月15日。/野坂昭如

1945年8月15日
あの「火垂るの墓」を書いた
野坂昭如は、14歳の少年だった。

玉音放送を聴いたとき、彼はこう思ったという。


 死ななくていい、生きて行ける、
 本当にホッとした。
 この軽い言葉がいちばんふさわしい。

誰もがみんな、
敗けたかなしみに打ちひしがれている訳ではなかったのだ。



あの人の8月15日。/永井荷風

昭和を代表する小説家、永井荷風は
1945年8月15日
玉音放送の直前まで、
谷崎潤一郎と過ごしていた。

二人は戦時中も
絶やすことなく日記を書き、
新たな原稿を書いては、互いに読み合っていた。

そんな荷風の8月15日の日記。
終戦の記録は、たった一行
枠の外にしるされているだけだった。


 正午戦争停止

その言葉のほかには
天気と、食べ物と、友人の話があるばかり。

普通の幸せがいちばんなんだ。
彼は戦火の中で、
そう思い続けていたのかもしれない。

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三國菜恵 10年07月11日放送



哲学者からひと言/シモーヌ・ヴエイユ

あるときは、教室で
あるときは、工場で
そして、内戦下のスペインで

世界のどこかで起きている不幸と
向き合いつづけた哲学者、
シモーヌ・ヴエイユ。

彼女は、人間について
こう綴った。


 人間が存在する唯一の目的は、
 生きるという闇夜に火をつけることである。

彼女の言葉もまた、
灯りとなって誰かの心を
照らしつづけているにちがいない。

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三國菜恵 10年06月13日放送



登場人物たち/源静雄
(藤子・F・不二雄『のび太の結婚前夜』)

夜、ひとりでいると、
さびしさがふっと訪れる。

源静雄(みなもとしずお)は、
結婚式を明日にひかえ、
自分と離れることをさみしがる娘にこう言った。


 少しぐらいさびしくても、思い出があたためてくれるさ。

娘に言っているのか、
自分に言っているのか、わからなかった。

次の日、娘は、おさななじみの、のび太くんと結婚した。



登場人物たち/安倍昌子
(いくえみ綾『私がいてもいなくても』)

人気漫画家・いくえみ綾(りょう)が描いた
「私がいてもいなくても」。
その主人公、18歳の安倍昌子(あべしょうこ)は
タイトルを体現したような女の子だ。

昌子は偶然再会した同級生・真希の仕事を手伝うことになる。
フリーターの自分。売れっ子漫画家の彼女。
サイン会でたくさんの人が押し寄せる中
昌子は思う、
真希がまぶしい。自分にはなんもない。

二人は大きなケンカをした。
そして気づく。

昌子は真希の才能がうらやましかった。
真希は昌子の明るさがうらやましかった。
昌子は思う、


 私は 欲しいものだらけだったけど
 知らないうちに
 誰かに 何かを
 与えているのかもしれない

「私がいてもいなくても」
なんて思っている人は、きっと間違っています。

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三國菜恵 参戦

中村組三國菜恵、6月13日から参戦

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