中村組・三國菜恵

三國菜恵 14年1月26日放送


kimuchi583
はじまりの言葉 川端康成

東北・信越地方では
ことしも積雪2メートル以上の雪が降っているという。



スタッドレスタイヤを履いた車を走らせ、

寒い地域へと渡るトンネルにさしかかったときに

思い出すにうってつけの一行がある。



 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった



この川端康成の一行を胸に、真っ白な景色を見ると、

ただの移動もちょっとだけ物語をおびてくる。
そんな効果がある気がする。

topへ

三國菜恵 14年1月26日放送


nakimusi
はじまりの言葉 阿久悠

1971年にヒットした

尾崎紀世彦の『また逢う日まで』。

この曲の作詞を手掛けた作詞家・阿久悠は

歌のなかで男女の新しい別れのかたちを

描けないかと模索していた。



当時、別れの歌といえば、

別れたら最後、二度と会うことのないかなしみを

描くばかりのものだった。



けれど、阿久は、

男と女が話し合い、納得しあって、二人で出ていく

そんな新しい別れのかたちをこの歌詞で提示できないかと考えた。

そうして生まれたのが、この一節。



 ふたりでドアをしめて

 ふたりで名前消して

 その時心は何かを話すだろう



別れてはじめて知る、始まりがある。

この新しいパターンの別れの歌は

尾崎紀世彦の朗々と力強い歌声と

晴れ晴れとしたラッパの音とともに

日本中に届けられた。

topへ

三國菜恵 14年1月26日放送



はじまりの言葉 寺山修司

シャツの胸ポケットにおさまるサイズの

短くて、美しく、時にどきりとさせられる名言の数々を

ぎゅっと一冊に詰め込んだ本がある。

劇作家・寺山修司作『ポケットに名言を』。



彼はこの本を編さんするにあたっての動機を、

冒頭にこんな一行で書き記している。



 言葉を友人に持ちたいと思うことがある。

 それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに

 気がついたときにである。

topへ

三國菜恵 13年12月22日放送


Ömer Ünlü
アーヴィング・ヴァーリン

I’m dreaming of a White Christmas.

クリスマスソングの定番『ホワイト・クリスマス』。

白く、ほわほわとした雪が、ゆっくりと降りてくる光景が
自然と浮かんでくるあのメロディは、
実は、太陽がさんさんと輝く、ロサンゼルスで生まれた。

作者は、アメリカのシューベルトとも言われたアーヴィング・ヴァーリン。
1942年に上映されたミュージカル映画
『スイング・ホテル』の中の一曲として書き下ろされた。

始まりは、こんな歌詞。

 ここは太陽の輝くビバリー・ヒルズ、
 オレンジとパーム・ツリーが風に揺れ、草は緑に揺れる。
 でも、今日はクリスマス・イブ。
 北へ行きたい。雪降り積もる銀世界のクリスマスに出逢いたい。
 私は雪のクリスマスを夢見る。

真っ白な雪景色を前に、この歌は書かれていない。
雪の見えない場所で書いたから、
どの場所で暮らす人にも、真っ白な雪景色を想像してもらえるのだろう。

topへ

三國菜恵 13年12月22日放送


maaco
クリスマスに人々は 谷川兵三郎

ケーキの上で、テーブルの上で、
クリスマスムードを盛り上げてくれる、ローソク。

たくさんのローソクを届けている老舗メーカー
『カメヤマローソク』の創始者
谷川兵三郎(たにかわひょうさぶろう)は、
ある日、宮大工を辞めて、ローソクをつくろうと決意した。

「神に仕える仕事を」

ゆらゆらとゆれる灯りは、たしかに、
神様とちょっとつながれそうな気持ちにさせてくれる。

topへ

三國菜恵 13年12月22日放送


noiseburst
クリスマスに人々は パラダイス山元

日本にたった一人、
サンタの国、グリーンランドから
サンタ日本代表として認められた人がいる。

パラダイス山元。
彼の一年は、せわしい。
なぜなら、毎年7月、「世界サンタクロース会議」に参加すべく、
夏から準備をはじめているのだ。

彼はおちゃめにこう語る。

成田や羽田空港で、
季節外れのサンタクロースを見かけたら
「HoHoHo~」と手を振ってあげて下さいね

topへ

三國菜恵 13年11月16日放送


Phil and Pam
カメラの裏には 藤岡亜弥

写真家・藤岡亜弥。
彼女は20代のある日、旅に出た。
正確には、カメラを片手に、やっと外へ出た。

彼女は俗に言う、ひきこもりだった。
部屋にこもり、犬をかわいがるだけの生活をしていた。

けれどもある日、
彼女をずっと受け入れてくれていた犬がこの世を去る。
それを機に彼女の特異すぎる日常も終わり、
ようやく扉の外へと目を向けたのだった。

部屋を出て、国境を越えて、遠くエストニアの地に降り立つ。
片手にはカメラ。日本とちがう冬。
吐く息に彼女のめがねは曇り、こんなことを思ったという。

 世界はぼんやりとうつくしく見えた。
 はじめて、孤独の至福を味わった。

となりに誰もいなくても。
あたたかい犬がいなくても。
カメラという機械があれば、
人間は孤独を至福に変えることだってできるのだ。

topへ

三國菜恵 13年6月15日放送


Paul McAlpine
その男、チェ・ゲバラ

革命家というのは、
その行動の大胆さから
荒々しい性格なのではないかと
つい思いがちだけれど、

キューバ革命を成功させた チェ・ゲバラは、
実に慎重な姿勢の持ち主だった。

彼は、著書『革命戦争の足跡』の中で、
革命の記録をつづるにあたり、こんな心がまえを示している。

私たちが唯一願うこと、
それは物事の語り手が真実を述べることだ。

自分の教養と才能に従って、
自らのやり方で原稿を数枚書いたら、
できる限り厳しく自己批判をしてほしい。

そして、厳密には事実でない箇所、
完全なる真実という確信が持てない部分を
全て削るのだ。

こうした気概をもって、
我々は記憶の記録を始めることにしようではないか。

topへ

三國菜恵 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

革命家 チェ・ゲバラ。
彼のポートレイトは若者たちのTシャツのモチーフになるほど、
その顔が、現代風に言うところの
“イケメン”であったことも知られている。

彼が妻と新婚旅行に行った時。
旅先のチチェインツァーという場所で
あるハプニングが起こる。

2人は映画の撮影現場に遭遇。
野次馬としてのぞき込んでいたら、
こどもたちがゲバラを映画スターと勘違いして
サインを求めてきたのだ。

困ったゲバラ。こんなことばで切り抜けた。

「僕は忙しいんだ。」

夢を壊してはいけないと、
映画スターを気取ってじょうずに断った。
その行動に、彼の人格がうかがえる。

topへ

三國菜恵 13年6月15日放送


Paul McAlpine
その男、チェ・ゲバラ

革命家でもあり、医師でもあったチェ・ゲバラ。
彼には、とりわけ気にかけていた患者がいた。

マリーア婆さん、というぜんそく持ちの患者。
昼夜を問わず彼女のために病院へ駆けつけ、
その熱心さは、妻も首をかしげるほどだった。

なぜそんなにもゲバラは彼女を放っておけなかったのか。
その生涯をひも解くと、見えてくる。

マリーア婆さんは
生涯、洗濯屋として働き、
たった一人の娘と、孫を数人だけをのこして
貧しくこの世を去ろうとしている人だった。

彼女の姿はゲバラの目に、
最も忘れられ、最も搾取された階級の
生きる証人のように映っていた。

彼女の死を経て、ゲバラは世界を変えようと奮起する。

生涯君の希望を裏切り続けたひどい神様には祈らないでいい。
君の孫たちは皆幸せに生きることを、
僕は約束します。

topへ


login