大友美有紀

大友美有紀 19年6月2日放送


cozymax5454
路地の話  路地サミット

今日は6と2で、路地の日。
「全国路地サミット」という催しがある。

NPO法人 日本都市計画家協会の事業の一つで
今年で16回目。10月に青森県、八戸で開催する。
八戸は、青森県の南、太平洋に面した都市。
港があり、工業地帯でもあり、城下町でもある場所。
昭和の風情漂う路地も多く残っている。

なかでも「横丁」と呼ばれる飲み屋街が8つ。
辞書によると、路地とは「建物と建物との間の狭い道」
「門内や庭内の通路」とある。
横丁は「表通りから横へ入った道筋。また、その通り」。
英語では、どちらもalley。
路地の飲み屋、よりも、横丁の飲み屋、のほうが、
人気があるように感じる。
八戸の横丁は、花小路、みろく横丁、ロー丁(ろーちょう)れんさ街、
長横町れんさ街、八戸昭和通り、ハーモニカ横町、たぬき小路、五番街。

巡り歩くだけでも、良い気分になりそうだ。
全国横丁サミットも開催してほしい。

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大友美有紀 19年6月2日放送


OZAKIX
路地の話  神楽坂

今日は、6月2日。路地の日。

お洒落な町として人気の神楽坂は
その「町割」(まちわり)、つまり区画は
江戸時代からほとんど変わっていない。

メインの大通りから横丁に入り、
さらにその奥の路地を曲がっていくと、
徐々に人通りは少なくなり、喧騒も遠ざかる。

かつて神楽坂の大半は花柳界が占めていた。
料亭や割烹につながる路地は、
ただの通り道ではなく、
店へとつながるもてなしの空間だったともいう。

町がまるごと、大人のためのしつらえになっている。

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大友美有紀 19年6月2日放送


663highland
路地の話  迷路のまち

今日は、6月2日。6と2で路地の日。

瀬戸内海、小豆島。
二十四の瞳やオリーブで有名な島に、
昔から「迷路のまち」として
知られる場所がある。土庄本町。
海賊や海風から島民を守るために、
あえて路地を複雑に作った
と言われている。

三叉路が多く、細い路地は緩くカーブしている。
ここだと思った角を曲がっても
なんども同じ場所に出てしまう。
スマートフォンの地図を見ても迷う。
まるで妖怪に騙されているかのよう。
このまちには妖怪美術館もある。

路地を入ったら、二度と元には戻れない。
そんなスリルを味わうのもいい。

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大友美有紀 19年6月2日放送


きんちゃん
路地の話  三國湊

今日は、6月2日。6と2で路地の日。

福井の三國湊は、北前船の寄港地として栄えた場所。
江戸時代の風情を感じる町並みが残っている。
格子戸のある町家、廻船問屋の屋敷、土蔵、商家。
花街の面影を残す料理茶屋もある。
それでいて、町家を眺めながら歩いていると、
不意に高見順の生家の前に出たりする。
三好達治が通った元料亭に出くわしたりもする。

そして、湊町の通りを離れて、路地を抜けると、
現代的な住宅やタイル張りのビルが現れる。
どこにでもある、地方の町並みになる。
今が何時代なのか、軽く混乱してしまう。

観光地としては、そう有名ではない三国湊。
タイムスリップできる路地のある町だ。

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大友美有紀 19年6月2日放送


Asturio Cantabrio
路地の話  裏界線

今日は、今日は、6月2日。6と2で路地の日。

「裏界線(りかいせん)」という路地がある。
裏の界隈の線と書く。
おそらく世界でも長野県飯田市だけにある路地だ。

昭和22年「飯田の大火」と呼ばれる大火災で市街地は焼失した。
その復興の時、各家が裏口に面する土地を提供しあって、
境界線となる場所に路地を作ったのだ。

防災とインフラのための通路として作られた路地。
けれども散策してみると表通りとはまた違う「飯田」
を感じる路地にもなっている。

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大友美有紀 19年6月2日放送


Jon Baldock nz
路地の話  繁華街の路地

今日は、6月2日。路地の日。

東京の路地には、いろいろな顔がある。
下町の路地には人情が、
山手の路地には無口なシェフのレストランが、
繁華街の路地にはドラマがある、気がする。

路地は隠れ家。
路地は冒険。
路地は異世界への入り口。

目的地に最短距離で行くのもいいけれど、
路地にちょっと入り込んで、
見たいことのない景色に出会いたい。

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大友美有紀 19年5月5日放送


Hazel Terry
「レオ・レオニ」 あおくんときいろちゃん

5月5日は、こどもの日。
そして絵本作家、レオ・レオニの誕生日。

誰もが一度は読んだことのある
『あおくんときいろちゃん』の作者。
レオは、はじめて自分の本が発売される日、
開店と同時に本屋に入った。
そして若い母親が本を買ったのを見て、
その絵本の作者であることを告げ、
サインをさせて欲しいと申し出た。

こうして最初の「あおくんときいろちゃん」は
読者の手に渡り、いまでも私たちのもとに
届き続けている。

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大友美有紀 19年5月5日放送



「レオ・レオニ」 ほんとうの仕事

今日は、こどもの日。
そして、絵本作家レオ・レオニの誕生日。

こどものころは、両親の仕事の関係で、
ヨーロッパ、アメリカを転々とした。
アムステルダム、ブリュッセル、
フィラデルフィア、ジェノヴァ。
大学は、スイスのチューリッヒ大学。
卒業後は仕事も転々とした。
会計士の助手、文房具店のセールスマン、
建築雑誌の記事の執筆。
製菓会社の広報部でデザインを学び、
ようやく自分の「ほんとうの仕事」に出会うことができた。

レオの絵本には「自分」らしさを探すお話が多い。
それは「そういう わけ」なのかもしれない。

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大友美有紀 19年5月5日放送



「レオ・レオニ」 アートディレクター

今日は、こどもの日。
そして絵本作家、レオ・レオニの誕生日。

『あおくんときいろちゃん』で絵本作家になる前、
レオ・レオニは、ニューヨークでアートディレクターだった。
雑誌『フォーチューン』や『プリント』の
アートディレクションを手がけていた。
タイプライターで有名なオリヴェッティ社の
コーポレート・デザインも行なっていた。
オフィスはロックフェラーセンターの最上階。
ニューヨーク・デザイン界の成功者だった。

そこに23歳のエリック・カールが
ポートフォリオを携えて、面会にきた。
カールを気に入ったレオは、就職の世話をした。
レオは絵本作家になった後にも、
カールの作風が絵本向きだと自分の編集者に紹介した。
レオがいなかったら、カールの『はらぺこあおむし』も
生まれなかった。
世界中のこどもを代表して、
ニューヨークと二人の出会いにありがとうを言いたい。

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大友美有紀 19年5月5日放送



「レオ・レオニ」 黒いテーブル

今日は、絵本作家レオ・レオニの誕生日。

レオは、
幼い頃、建築家の叔父さんから
鉛筆画の描き方を教えてもらった。
叔父さんは、レオの9歳の誕生日に、
小さな黒いテーブルをプレゼントしてくれた。
黒の上だと、あらゆる色がよく映えるから、と。

レオのお話は色がキーになるものが多い。
「あおくんときいろちゃん」、
赤い魚の中の黒い魚「スイミー」、
じぶんの色を探すカメレオンのお話。

それは、叔父さんと黒いテーブルの
おかげかもしれない。

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