大友美有紀

大友美有紀 18年8月5日放送

180805-03
ik Schuiling
「遠いアフリカ」ブルキナファソ 世界遺産

今日、8月5日は、ブルキナファソの独立記念日。
西アフリカの内陸の国です。
日本からブルキナファソを訪れる人は、そう多くない。
ブルキナファソには、ふたつの世界遺産があります。
ひとつは「W(ドゥブルヴェ)=アルリ=ペンジャリ国立公園複合体」。

 ドゥブルヴェとは「W」のフランス語読み。
 国立公園内を流れるニジェール川が、
 Wの形に蛇行して流れていることから名付けられた。

「W(ドゥブルヴェ)=アルリ=ペンジャリ国立公園複合体」は、
ブルキナファソ、ニジェール、ベナンの3国にまたがっています。
最初にニジェールの「W」国立公園が世界自然遺産に登録。
その後、10年近くが過ぎ、2017年にブルキナファソの「アルリ国立公園」と
ベナンの「ペンジャリ国立公園」も登録されます。新しい遺産です。

もうひとつは、ロロペニの遺跡群。
14世紀から17世紀にかけて金の採掘や精錬で栄えた地域。
石壁に囲まれた、砦のような集落跡。

 作られたのは、少なくとも1000年近く前。
 けれど誰が何のために作ったのか、明らかにはなっていないらしい。

自然と謎。それだけでもブルキナファソを訪れる理由になりそう。

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大友美有紀 18年8月5日放送

180805-04

「遠いアフリカ」ブルキナファソ 白い呪術師

今日、8月5日は、ブルキナファソの独立記念日。
西アフリカの内陸の国。
ほとんどの人は知らない国。
でも、サッカーファンなら、知っているかもしれません。
それは、トルシエ監督。
1997年にブルキナファソの代表監督を務めました。
そして、翌年のアフリカ・ネーションズカップで、
ブルキナファソ代表を4位に導いたのです。

 それまでほとんど無名に近かった国を
 アフリカ第4位に押し上げたトルシエは
 白い呪術師と呼ばれていました。
 
ブルキナファソは、2017年の
アフリカ・ネーションズカップで
史上初の第3位を獲得します。
白い呪術師が去って、20年近くが経っていました。

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大友美有紀 18年8月5日放送

180805-06
CIFOR
「遠いアフリカ」ブルキナファソ 千葉県白井市

千葉県の北部に位置する白井市(しろいし)。特産品は梨。
ここに「日本ブルキナファソ友好協会」があります。
貧困や病気に苦しむブルキナファソの人たちを
救済するために設立された民間活動団体です。
代表の松山倫政(のりまさ)は、
学生時代に知り合ったブルキナファソの友人と
文通を重ねるうちに支援を計画するようになったといいます。
 
 ブルキナファソの人たちは正直で勤勉、
 争いごとが嫌い。どこか日本人に似ている。
 
西アフリカの内陸の国、ブルキナファソに
診療所を作り、学校を作り、井戸を作り、
そのほかの支援も続けています。
今日、8月5日はブルキナファソの独立記念日。

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大友美有紀 18年8月5日放送

180805-05

「遠いアフリカ」ブルキナファソ/国名変更

今日は、西アフリカの国、ブルキナファソの独立記念日。
けれども、1960年に独立してからも、
クーデターの絶えない国でした。
1983年、第5代大統領に就任した
トーマス・サンカラは、
国民本位の政治をしようと考えました。
最初に変えたのは国名。それまでのオートボルタ、
ボルタ川の上流という意味の国名から、
ブルキナファソ、高潔な人々の国という名にしたのです。

 今の国旗もそのときにつくられました。
 上半分は赤、革命。下半分は緑、希望と豊かさ、
 そして中央にある黄色い星は、国の宝である
 鉱物資源をあらわしています。

その国名を体現するように、
サンカラ大統領が自ら汚職や腐敗を否定し、
質素に暮らしたのです。

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大友美有紀 18年8月5日放送

180805-07
CIFOR
「遠いアフリカ」ブルキナファソ シアバター

今日は、西アフリカの国、ブルキナファソの独立記念日。
美容に関心のある人なら、知っているかもしれない。
ブルキナファソは、シアバターの原産国です。
顔にも、身体にも髪にも使える保湿クリーム、
シアバターは、ブルキナファソにある「シアの木の実」から作られています。
南フランスのスキンケアブランドの創業者が、
シアの木と出会ったのは1980年代。

 女性だけが触れることのできる神聖な木があるという。
 その実を拾うのも、絞るのも、売るのも女性だけ。

シアの木は、ウーマンズゴールドと呼ばれるそうです。
ブルキナファソの女性の宝が、
世界中の女性を潤す宝になっていきます。

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大友美有紀 18年8月5日放送

180805-08
Rita Willaert
「遠いアフリカ」ブルキナファソ 2つの祭典

今日は、ブルキナファソの独立記念日。
西アフリカの内陸にある、あまり知られていない国。
日本の約70%の国土を持ち、人口は約1800万人。
60以上の部族。失業率は3%。
主な輸出品は、金と綿と胡麻。
この国には2つの文化の祭典があります。

 偶数年の10月に開催される国際工芸見本市。
 各部族の伝統工芸品、木の彫刻やろうけつ染め、
 銀細工を目当てにアフリカ各国から人が訪れます。
 奇数年の2月に開催される、パン・アフリカ国際映画祭。
 40年以上の歴史があり、多くのアフリカ出身の映画監督が
 ここで注目を浴び有名になっていきました。
 
今年は偶数年、そして来年は奇数年。
秋の休暇か、冬の休暇に、遠い遠い西アフリカの国、
ブルキナファソを訪れるのもいいかもしれません。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-01

「七夕の夜に」七夕の行事

今日は七夕。
旧暦で、七夕はお盆の7日目にあたる。
東北地方には、七草がゆならぬ、
「七たび飯を食べて七たび水につかる」行事があったという。
水を浴びるのは、体を清めるため。

この日に「井戸がえ」をする家もあった。
井戸の水をぜんぶさらって、お神酒を添えて、
いい水がわくように願った。

この日を「ネムリナガシ」と呼んでいる地方も多かった。
笹の葉に人の「眠り」をのせて、川へ流す。
青森の「ネブタ」も、「眠たさ」を流すことから
きたのかもしれない。

かつて、夏は眠くなる季節と考えられていたようだ。
七夕に水を使う行事は、涼しい夜を過ごすための
知恵だったのだろう。
今の熱帯夜にも使えそうだ。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-02
abdul / yunir
「七夕の夜に」ロシアの天の川

今日は七夕。
織り姫と彦星が年にいちど渡る川、天の川。
英語ではミルキーウェイ、乳の川だけれど、
ロシアのバシキール族に伝わる話は、少し違う。

ウラル山脈の南の谷には、毎年、鶴が渡ってきた。
ある秋、鶴が暖かい地方へ戻ろうとした時、
激しい風が吹いた。
こどもの鶴たちは、風に飛ばされ、群れから放れ、
くるくると回り、目指す方向がわからなくなった。
大人の鶴たちは、あわてて、こどもたちに道を示そうと
自分の羽を天にまき散らす。羽は、たちまち星になった。
こどもたちは、この星の道にそって飛んでいくことができた。

乳、ではないけれど、大人たちの愛情が星の道になったのだ。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-03

「七夕の夜に」アネサマ人形流し

今日は七夕。
かつて女の子たちは、裁縫が上手になるようにと
軒に人形をつり下げる風習があった。
富山県の黒部市には「尾山の人形流し」という行事がある。

その人形はアネサマと呼ばれ、女の子のいる家で作られる。
高さ40センチほどの人形で、家の一番目立つところで作られ、
華やかな飾り付けがなされ、出来上がると家族全員で
出来具合をほめる。
男の子の家では木製の船が作られ、やはり華やかに飾り立てられる。

七夕の夜に子どもたちが川に入り、アネサマや船を押し流す。
それは、穢れや厄災を祓うため。

ここにも、子を思う愛情がある。

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大友美有紀 18年7月7日放送

180707-04

七夕の夜に」牽牛とこども

今日は七夕。
中国から伝わったとされる織り姫と彦星の物語。
その中国の七夕物語にもいろいろなバリエーションがある。
河南省に伝わる民話では、
主人公は継母にいじめられていた牛飼いの少年。
世話をしている牛のアドバイスで、
父母の元を離れ、家を手に入れる。そしてさらに、牛は、
水浴びをしている娘の服をとってこいと言う。
その服は西王母(せいおうぼ)のおつきの織女(しょくじょ)のもの。
服がないと天に帰ることはできない。
服をとられた織女は、牛飼いと結婚し二人のこどもを授かる。
そんなある日、西王母が織女を連れ戻しにくる。
牛飼いは、空を駆けることのできる靴をはき、
こども二人を連れ、織女を追った。が、届かず。
織女は「毎月7日に会いにいく」と言ったけれど、
牛飼いは「7月7日」と聞き違えてしまう。

そして今、天の川を挟んで、織女の星と牽牛の橋が輝いています。
牽牛の星の横には小さな星が二つある。それは子どもたちの星なのです。
聞き違えさえしなければ、家族揃って毎月会うことができたのに。

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